岡村隆史発言の何が問題か
2020年05月04日 | 民主主義・人権
漫才コンビ「ナインティナイン」の岡村隆史氏は、4月23日深夜のラジオレギュラー番組「オールナイトニッポン」で行った発言に対し、ネットを中心に批判が噴出したことから、29日に所属する吉本興行のサイトで「謝罪」するとともに、30日深夜の同番組でも「謝罪」しました。問題の本質はどこにあるでしょうか。
<発端になった23日深夜の発言>
岡村氏はリスナーからの「コロナの影響で、今後しばらく風俗には行けない」というメールを紹介し、こう述べました。
「コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんです」
「収束したら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります」
「短期間でお金を稼がないと苦しいですから。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働いてパッとやめます」
「だから、今、我慢しましょう。我慢して、風俗に行くお金を貯めておき、その3カ月のために頑張って、今、歯を食いしばって踏ん張りましょう」(出典・4月26日「FLASH」。藤田孝典氏のサイトより)
<29日および30日の「謝罪コメント」>
「私の発言により不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。世の中の状況を考えず、また苦しい立場におられる方に対して大変不適切な発言だったと深く反省しております」
「コロナウイルスで緊急事態宣言が日本全国に出されている状況で、多くの人が不自由な生活、苦しい状況にある中で、大変失礼な発言をしてしまいました。今、コロナをはじめ、経済的な問題で生活が苦しくて、やむをえず風俗業に就く方がいらっしゃることへの理解や想像力を欠いた発言をしてしまいました」
岡村氏の「謝罪」には2つの特徴があります。1つは、発端の発言を「不快」「不適切」「失礼」としか捉えられていないこと。もう1つは、コロナ禍の「今」の状況を考えなかったことが問題だったとしていることです。
これでは謝罪になっていません。
第1に、今回の発言は「不快」「不適切」「失礼」という種類の問題ではありません。女性(風俗業に就いている人に限らず)の尊厳を踏みにじり、人権を侵害した明確な差別発言です。岡村氏には一貫してその認識がありません。
第2に、今回の発言は現在のコロナ禍に発せられたから問題なのではありません。「風俗業」に携わる女性に対する蔑視・差別が固定化されており、それを問題と考えないところに根本的問題があります。
岡村氏は「風俗通い」すなわち買春自体は否定していません。「我慢して、風俗に行くお金を貯めて…」などと推奨したことは「謝罪」の対象になっていません。前掲の「FLASH」によれば、岡村氏は「風俗野郎A」を自称し、風俗通いをネタにしているといいます。今回の発言に限らないこうした「風俗」に対するとらえ方についての自己省察・反省はまったくありません。
重要なのは、以上の2点は、岡村氏だけの問題ではないことです。岡村氏に限らず、ニッポン放送、吉本興行の「謝罪コメント」、さらにメディアの報道にも、こうした本質的指摘はありません。
さらにより重大なのは、「風俗業」あるいは「水商売」に携わる女性に対する蔑視・差別は、政治・行政、国家によってつくられ、助長されていることです。
今回のコロナ禍でもそれが表面化しました。厚労省は3月10日に発表した「新型コロナウイルス感染症による小学校休業等対応支援金支給要綱」で、「接待飲食等営業」「性風俗関連特殊営業」に従事する人々には支援金を支給しないと決めたのです(4月16日のブログ参照)。
政府・厚労省のこの差別は、その後厳しい批判にあい、ひとまず撤回されたようですが、反対・批判の声が上がっていなければそのまま差別政策は実行されていました。
しかし、たとえ今回の差別政策は撤回されても、それは現状が固定化されるだけで、問題の解決にはなりません。
「ポルノ被害と性暴力を考える会」(「ぱっぷす」)は、4月5日、加藤勝信厚労相に「要望書」を提出し、今回の「支援金」をめぐる差別を撤回するよう強く求めるとともに、こう指摘しました。
「性風俗営業の従事者がさらされている感染リスクは、この危機的状況下に限らず、平時より存在する望まぬ妊娠や性感染症のリスク、客や事業者からの暴力のリスクと切り離すことができません。
こうした実態に即した支援策として、スウェーデンなどの先進国では、政府が性風俗営業の従事者の生活を保障した上で性風俗営業以外の職につくための支援を行っています」
「本来こうした公的支援を提供すべき」責任が政府にはある、という指摘です。
岡村氏のように「風俗通い」(買春)を悪びれず吹聴する女性差別。それが問題にならない日本社会。その社会の実態が政府(国家)の差別政策を許し、その政府の差別政策が市民・社会の差別を助長する。この差別の連鎖を断ち切らなければならない。それが今回の「岡村発言」問題が提起していることではないでしょうか。