毎木曜掲載・第170回(2020/9/3)
アナキズムの流れを知る貴重な読み物
『農村青年社事件―昭和アナキストの見た幻』(保阪正康、筑摩選書、2011年)評者 : 根岸恵子
農村青年社事件に惹かれたのは、これがアナキストによる農民解放を目的とした運動であり、事件を裁いたのが長野という点であった。信州は毎年、春夏秋と援農と絵画のために余暇を過ごす場所であり、土地の年老いた農家との話に憧憬にも似た思いを得るところである。彼らの話に出てくる、平塚らいてうの女性運動や山本鼎の農民美術運動は、私にとっては遠い過去のことであるが、彼ら農民には土地に縁故のある現在性を持って語られるのだ。藤村のいた信州はいまだに息づき、村山槐多のうら悲しいスケッチを垣間見ることができる場所なのである。また、秩父事件との関連性や大逆事件発祥といわれる地として、風土的に自由を渇望した運動が根付いてきた土地でもある。言い換えれば、戦前の疲弊し困窮する農村がそこに存在してきた所以でもあるのだろう。信州を歩けば、いまだに地主の立派な屋敷跡を見ることができる。その裏返しとして小作の貧しい生活を想像するのはたやすい。
しかし、この運動は私が想像していた信州の特異性をもって展開されたものでもなく、高い理想とは裏腹に単なる窃盗事件で幕を閉じるに至ったことを、この本を通じて知ることになった。実際「農村青年社事件」を知っている人は少ないだろう。事件が「昭和の『大逆事件』」といわれながら、この事件に関する書籍もほとんどない。なぜだろうか。それはこの事件が手柄を上げたい「黒川思想検事」等のでっち上げ事件で、事件の実態が黒川のあげる大逆罪でも治安維持法に値するものではないにもかかわらず、「大逆事件」に比する大事件だと喧伝されたことにもある。
農村青年社事件が報道解禁となった1937年1月11日の各新聞の号外記事の見出しには、「無政府主義農青社の旋風」「信州根城に全国かけ 黒色陣営・強固に張る」「反逆の徒・暴動計画 疾風的検挙に壊滅」「信州中心に武装蜂起 恐るべき都市焼却計画」そして、「幸徳秋水以来の黒色パルチザン計画発覚」とある。この年、盧溝橋事件が起こり、日中戦争が全面的に始まった。前年には2・26事件があり、日本が戦争へと転がっていくまさにその時であった。
作者保阪正康がこの事件に関心を持ったのは、1974年だという。ノンフィクションとして出版しようと考え、当時まだ存命だった多くの当事者や関係者に取材を行った。にもかかわらず、保阪は執筆を断念してしまう。その理由を「この時代(1970年代)は、いわば過激派の政治闘争が続いていて、それが爆弾闘争に転じていたりもしていた。そのような闘争の中に、アナキズム系団体の影がある、あるいはそのような団体の思想がある、との見方が出てきて、アナキズムという語自体が、そうした過激派の総称と化す報道も続いた。私はそのことにすっかり嫌気がさしてしまった」と述べている。また「取材の過程で私自身が納得できなかったこと、私のアナキズム観でこの運動を見ると批判的になること、さらに農村青年社の組織自体が曖昧であり、充分に私は理解できなかったこと、などが幾つかあり、執筆はあきらめた」とある。ではなぜ保阪は30年の間この事件を温め続けてきたのだろうか。
これは私個人の私見であるが、農村青年社が目指した「自由 自立 自給自足」、共存共栄・相互扶助への実行、平等で貧富の格差のない自主コミューンの理想に、あれから30年後の今、とても価値のある理念になったのではないかという点である。
保阪はノンフィクションのタイトルを『マノフの末裔』とすることを決めていた。サブタイトルも「まぼろしの国を目指したアナキストたち」にしたいと考えていたが断念してしまった。
農村青年社はウクライナのネストル・マノフの無政府主義運動に影響を受け、4人の中心人物によって1931年に結成された。「吾々は、アナキズム革命運動を展開するにあたって、その基盤を農村と農民においた」と彼らは書いている。「疲弊する農村を権力の桎梏から外して自由コンミュンを作ろうと試みた」ということだ。つまり、アナキズム運動を農村に根付かせ、最終目的がコミューンの建設だったというのだ。しかし、問題はそれを遂行する資金力も人材もなかったことである。結局彼らは資金作りを目的に窃盗事件を起こし、服役することになった。その時点でこの運動は終焉したとみていいだろう。ところが、彼らが服役を終え、運動から退いていたにもかかわらず、35年になって、一斉検挙されることになった。その裁判の動向や検察の意図などはこの本が詳しい。結局彼らは重罪には値しなかったが、有罪判決を受けることになる。
この「農村青年社事件」には、農村青年社当事者たち運動にかかわった人たちなどへのインタビュー、農村青年社の立ち上げから裁判終了までの過程とその後、その時代背景、彼らの持っていた理念と目標、軍拡されていく中の赤と黒の運動など、情報が詰め込まれている。特に当時のアナ・ボル論争のそれぞれに対する敵対意識や、「黒色戦線」「文芸戦線」など当時の機関誌に触れるなど、興味の奥が深い。
最後に疑問が残ったのは、望月治郎が収監中に脳溢血で亡くなったという記述だ。保阪は深く追求していなかった。彼ら思想犯に対する拷問が当然であった時代に、それについては、あっさりと書かれているだけだった。よって当時の弾圧の過酷さについては知る由はない。
本書は大杉栄亡き後のアナキズムの一つの流れを知るうえで大変貴重な読み物であり、資料である。不穏な時代が続く中、私たちは時代から何を学ぶのか、考える一冊である。
アナキズムの流れを知る貴重な読み物
『農村青年社事件―昭和アナキストの見た幻』(保阪正康、筑摩選書、2011年)評者 : 根岸恵子
農村青年社事件に惹かれたのは、これがアナキストによる農民解放を目的とした運動であり、事件を裁いたのが長野という点であった。信州は毎年、春夏秋と援農と絵画のために余暇を過ごす場所であり、土地の年老いた農家との話に憧憬にも似た思いを得るところである。彼らの話に出てくる、平塚らいてうの女性運動や山本鼎の農民美術運動は、私にとっては遠い過去のことであるが、彼ら農民には土地に縁故のある現在性を持って語られるのだ。藤村のいた信州はいまだに息づき、村山槐多のうら悲しいスケッチを垣間見ることができる場所なのである。また、秩父事件との関連性や大逆事件発祥といわれる地として、風土的に自由を渇望した運動が根付いてきた土地でもある。言い換えれば、戦前の疲弊し困窮する農村がそこに存在してきた所以でもあるのだろう。信州を歩けば、いまだに地主の立派な屋敷跡を見ることができる。その裏返しとして小作の貧しい生活を想像するのはたやすい。
しかし、この運動は私が想像していた信州の特異性をもって展開されたものでもなく、高い理想とは裏腹に単なる窃盗事件で幕を閉じるに至ったことを、この本を通じて知ることになった。実際「農村青年社事件」を知っている人は少ないだろう。事件が「昭和の『大逆事件』」といわれながら、この事件に関する書籍もほとんどない。なぜだろうか。それはこの事件が手柄を上げたい「黒川思想検事」等のでっち上げ事件で、事件の実態が黒川のあげる大逆罪でも治安維持法に値するものではないにもかかわらず、「大逆事件」に比する大事件だと喧伝されたことにもある。
農村青年社事件が報道解禁となった1937年1月11日の各新聞の号外記事の見出しには、「無政府主義農青社の旋風」「信州根城に全国かけ 黒色陣営・強固に張る」「反逆の徒・暴動計画 疾風的検挙に壊滅」「信州中心に武装蜂起 恐るべき都市焼却計画」そして、「幸徳秋水以来の黒色パルチザン計画発覚」とある。この年、盧溝橋事件が起こり、日中戦争が全面的に始まった。前年には2・26事件があり、日本が戦争へと転がっていくまさにその時であった。
作者保阪正康がこの事件に関心を持ったのは、1974年だという。ノンフィクションとして出版しようと考え、当時まだ存命だった多くの当事者や関係者に取材を行った。にもかかわらず、保阪は執筆を断念してしまう。その理由を「この時代(1970年代)は、いわば過激派の政治闘争が続いていて、それが爆弾闘争に転じていたりもしていた。そのような闘争の中に、アナキズム系団体の影がある、あるいはそのような団体の思想がある、との見方が出てきて、アナキズムという語自体が、そうした過激派の総称と化す報道も続いた。私はそのことにすっかり嫌気がさしてしまった」と述べている。また「取材の過程で私自身が納得できなかったこと、私のアナキズム観でこの運動を見ると批判的になること、さらに農村青年社の組織自体が曖昧であり、充分に私は理解できなかったこと、などが幾つかあり、執筆はあきらめた」とある。ではなぜ保阪は30年の間この事件を温め続けてきたのだろうか。
これは私個人の私見であるが、農村青年社が目指した「自由 自立 自給自足」、共存共栄・相互扶助への実行、平等で貧富の格差のない自主コミューンの理想に、あれから30年後の今、とても価値のある理念になったのではないかという点である。
保阪はノンフィクションのタイトルを『マノフの末裔』とすることを決めていた。サブタイトルも「まぼろしの国を目指したアナキストたち」にしたいと考えていたが断念してしまった。
農村青年社はウクライナのネストル・マノフの無政府主義運動に影響を受け、4人の中心人物によって1931年に結成された。「吾々は、アナキズム革命運動を展開するにあたって、その基盤を農村と農民においた」と彼らは書いている。「疲弊する農村を権力の桎梏から外して自由コンミュンを作ろうと試みた」ということだ。つまり、アナキズム運動を農村に根付かせ、最終目的がコミューンの建設だったというのだ。しかし、問題はそれを遂行する資金力も人材もなかったことである。結局彼らは資金作りを目的に窃盗事件を起こし、服役することになった。その時点でこの運動は終焉したとみていいだろう。ところが、彼らが服役を終え、運動から退いていたにもかかわらず、35年になって、一斉検挙されることになった。その裁判の動向や検察の意図などはこの本が詳しい。結局彼らは重罪には値しなかったが、有罪判決を受けることになる。
この「農村青年社事件」には、農村青年社当事者たち運動にかかわった人たちなどへのインタビュー、農村青年社の立ち上げから裁判終了までの過程とその後、その時代背景、彼らの持っていた理念と目標、軍拡されていく中の赤と黒の運動など、情報が詰め込まれている。特に当時のアナ・ボル論争のそれぞれに対する敵対意識や、「黒色戦線」「文芸戦線」など当時の機関誌に触れるなど、興味の奥が深い。
最後に疑問が残ったのは、望月治郎が収監中に脳溢血で亡くなったという記述だ。保阪は深く追求していなかった。彼ら思想犯に対する拷問が当然であった時代に、それについては、あっさりと書かれているだけだった。よって当時の弾圧の過酷さについては知る由はない。
本書は大杉栄亡き後のアナキズムの一つの流れを知るうえで大変貴重な読み物であり、資料である。不穏な時代が続く中、私たちは時代から何を学ぶのか、考える一冊である。