あなたに値札をつける新自由主義と闘おう!~白井聡「武器としての『資本論』」を読む
内藤洋子
まず、燃えるような真っ赤なカバーが鮮やかである。本書のタイトル「武器としての『資本論』」を見ると、これは硬派の本か、との印象を受けるが、そうではない。第1講から第14講まで、終始わかりやすさを念頭に語りかけるスタイルで、現代社会のメカニズムを解き明かしていく。そのための‘武器’として、『資本論』を使おう、ということだ。その際に、『資本論』で展開されたいくつかの概念、例えば「剰余価値」とか、「資本のもとへの労働の包摂といった概念を取り出して、あたかも縺れ合った糸を解きほぐすように、(時に「寅さん」も登場するなど)卑近な例を交えながら論を進めていく手さばきは、見事である。
マルクスの『資本論』などに全く縁のなかった人びと、「え?何それ」と、これからも読むことはなかったであろう若者たち、しかし今、この社会に希望が持てず、日々生き難さを感じている若者たちに対して、自己責任だからと諦めに引きこもってしまうのではなく、そこから脱却する手がかりを与えようとする。著者は、本書の前書きでこう述べている。「『資本論』は、社会を内的に一貫したメカニズムを持った一つの機構として提示してくれる。…『資本論』を人々がこの世の中を生きのびるための武器として配りたい」と。
ではその武器で何と闘うのか。向かう相手は、21世紀型資本主義である「新自由主義」である。今や世界を席巻する新自由主義とは何なのか。その正体を明らかにするために、資本主義社会の始まりからその変容を歴史的に追う。その際に重要なキーワードとなるのは、「商品」「労働力」「剰余価値」などである。著者がD.ハーヴェイの言葉として引用した「新自由主義とは、資本家階級の側からの階級闘争なのだ」という言が、強く心に残る。そうか、競争万能の社会で、効率化、イノベーション、働き方改革など矢継ぎ早に繰り出される施策は、上から仕掛けられた階級闘争なのだ、と納得する。そして、生き難さの実感はどこから来るのかも見えてくる。自分の労働力を商品として売らねばならない息苦しさ、自分の価値が商品価値として値踏みされる理不尽さ、虚しさである。
第4講「新自由主義が変えた人間の<魂・感性・センス><包摂>とは何かから、私はもっとも衝撃を受けた。‘目から鱗’だった。「資本による労働者の魂の<包摂>が広がっている」(71頁)との指摘は重要である。資本主義の価値観がいつのまにかすっかり内面化されてしまっている。ではそこからどう脱却を図れるのか。最後の第14講「<こんなものが食えるか!>と言えますか?」という挑発的な問いに、読者は答えねばならないだろう。
本書は、今や古典となった『資本論』という理論書を現代に生かす方法を提示し、理論を理論として終わらせずに、直面する現代の諸問題を解決するために、その理論を応用し実践してみせる一つの手本となる、と言えるように思う。(東洋経済新報社、2020年)
*同書は6月27日のレイバーブッククラブで取り上げられました。報告はこちら。
内藤洋子
まず、燃えるような真っ赤なカバーが鮮やかである。本書のタイトル「武器としての『資本論』」を見ると、これは硬派の本か、との印象を受けるが、そうではない。第1講から第14講まで、終始わかりやすさを念頭に語りかけるスタイルで、現代社会のメカニズムを解き明かしていく。そのための‘武器’として、『資本論』を使おう、ということだ。その際に、『資本論』で展開されたいくつかの概念、例えば「剰余価値」とか、「資本のもとへの労働の包摂といった概念を取り出して、あたかも縺れ合った糸を解きほぐすように、(時に「寅さん」も登場するなど)卑近な例を交えながら論を進めていく手さばきは、見事である。
マルクスの『資本論』などに全く縁のなかった人びと、「え?何それ」と、これからも読むことはなかったであろう若者たち、しかし今、この社会に希望が持てず、日々生き難さを感じている若者たちに対して、自己責任だからと諦めに引きこもってしまうのではなく、そこから脱却する手がかりを与えようとする。著者は、本書の前書きでこう述べている。「『資本論』は、社会を内的に一貫したメカニズムを持った一つの機構として提示してくれる。…『資本論』を人々がこの世の中を生きのびるための武器として配りたい」と。
ではその武器で何と闘うのか。向かう相手は、21世紀型資本主義である「新自由主義」である。今や世界を席巻する新自由主義とは何なのか。その正体を明らかにするために、資本主義社会の始まりからその変容を歴史的に追う。その際に重要なキーワードとなるのは、「商品」「労働力」「剰余価値」などである。著者がD.ハーヴェイの言葉として引用した「新自由主義とは、資本家階級の側からの階級闘争なのだ」という言が、強く心に残る。そうか、競争万能の社会で、効率化、イノベーション、働き方改革など矢継ぎ早に繰り出される施策は、上から仕掛けられた階級闘争なのだ、と納得する。そして、生き難さの実感はどこから来るのかも見えてくる。自分の労働力を商品として売らねばならない息苦しさ、自分の価値が商品価値として値踏みされる理不尽さ、虚しさである。
第4講「新自由主義が変えた人間の<魂・感性・センス><包摂>とは何かから、私はもっとも衝撃を受けた。‘目から鱗’だった。「資本による労働者の魂の<包摂>が広がっている」(71頁)との指摘は重要である。資本主義の価値観がいつのまにかすっかり内面化されてしまっている。ではそこからどう脱却を図れるのか。最後の第14講「<こんなものが食えるか!>と言えますか?」という挑発的な問いに、読者は答えねばならないだろう。
本書は、今や古典となった『資本論』という理論書を現代に生かす方法を提示し、理論を理論として終わらせずに、直面する現代の諸問題を解決するために、その理論を応用し実践してみせる一つの手本となる、と言えるように思う。(東洋経済新報社、2020年)
*同書は6月27日のレイバーブッククラブで取り上げられました。報告はこちら。