●山口正紀の「言いたいことは山ほどある」(2020/6/26 不定期コラム)
第一次再審請求を棄却した判事が第二次請求の裁判長に?〜日野町事件で大阪高裁がトンデモ人事
*事件を報じるTVニュース
大阪高裁で今、前代未聞のとんでもない裁判官人事が強行されようとしている。友人からのメールで知り、「そんなことがあり得るのか」と目を疑った。
2018年7月に大津地裁で再審開始決定が出された「日野町事件」の第二次再審請求。その即時抗告審の裁判長が交代し、後任に岡山家裁所長から大阪高裁第二刑事部総括判事に異動したばかりの長井秀典判事が就くことが6月17日、高裁から弁護団に伝えられた。
長井秀典――弁護団や支援者にとって、忘れることのできない名だ。2006年3月、第一次再審請求審で請求を棄却した大津地裁の裁判長である。
一度審理に関わって〝有罪認定〟した裁判官が、後に「再審開始決定=事実上の無罪認定」が出た同じ事件で、再び審理を担当する?そんなことがあり得るのか。それほど裁判所は人手不足なのか。いや、再審開始決定を覆すための人目をはばからない最高裁人事?
憲法37条は「公平な裁判所」の裁判を受ける権利を保障している。大阪高裁は、これを真っ向から踏みにじろうとしている。こんな不公平裁判をいったいだれが信用するのか。
日野町事件とは――。1984年12月、滋賀県東部の日野町で、酒店を経営する女性が行方不明になった。翌年1月、町内の宅地造成地で遺体が発見され、4月には被害者宅から盗まれた手提げ金庫が近くの山中で発見された。
それから約3年経った1988年3月、この酒店でコップ酒を飲む常連客だった阪原弘さん(当時53歳)が日野警察署に呼び出された。阪原さんは連日、脅しや暴行を交えた長時間の取調べを受けて「犯行を自白」させられ、強盗殺人容疑で逮捕された。
この事件では、「自白」以外に証拠はなく、自白の殺害方法も遺体の鑑定結果と矛盾し、事件当日のアリバイもあった。阪原さんは裁判で終始一貫無実を訴えたが、1995年6月・大津地裁で無期懲役判決、1997年5月・大阪高裁で控訴棄却、2000年9月・最高裁で上告棄却となり、有罪判決が確定して服役を余儀なくされた。
2001年11月、阪原さんは日弁連の支援を受け、大津地裁に裁判のやり直しを求めて再審を請求した。審理では、自白と遺体鑑定や現場の状況が合致せず、アリバイをめぐる新証拠も提出された。しかし、長井裁判長は2006年3月、自白通りの方法では遺体の傷を説明できないことなど「いくつかの疑問点がある」ことを認めながら、「別の絞め方をすれば同様の傷がつく」「自白は事件から3年以上経過しており、記憶違いと理解できる」などと一方的な解釈認定で請求を棄却した。
証拠によって明らかになった客観的事実と自白の矛盾。そんな辻褄の合わないことを事実認定に基づいて判断するではなく、「予断による想像力」で糊塗し、覆い隠す。それが、長井裁判長の手法だった。
広島刑務所で服役していた阪原さんは2010年、体調を崩した。食欲を失い、体重が極端に減って12月、肺炎で重篤な状態に。家族などの要請で検察庁が刑の執行を停止し、広島市内の病院に入院したが、2011年3月、東日本大震災の1週間後に亡くなった。
これにより、大阪高裁で審理中だった再審請求は打ち切りになったが、翌2012年3月、遺族が本人に代わって大津地裁に第二次再審請求を申し立てた。
第二次再審請求では、阪原さんが手提げ金庫を捨てた現場まで捜査員を案内したとされる実況見分調書の写真が証拠開示された。この実況見分調書は自白を裏付ける証拠とされてきたが、開示された写真19枚のうち8枚は、「往き」ではなく「帰り」に往路写真を装って撮影されたことが判明、「警察官の誘導なしに現場を案内した」としてきた検察の主張とともに自白の信用性も崩れた。
弁護団は、殺害方法などに関する新たな鑑定書も提出し、有罪根拠がほとんど破綻。2018年7月、大津地裁(今井輝幸裁判長)は弁護側の主張を認め、再審開始を決定した。
これに対して検察は即時抗告し、大阪高裁でその審理が続いている。そのさなか、突然伝えられた裁判長交代人事だ。弁護団は6月18日、第一次請求に関わった長井判事が再び事件を担当することについて、「審理及び判断の公平性に対し、重大な疑問を抱かざるを得ず、裁判所あるいは再審手続きに対する社会的な信頼を大きく損なうことにもなりかねない」として、長井判事に自ら審理関与を退く「回避」を求める要請書を提出した。
日弁連(荒中会長)も25日、「第一次再審請求当時前記判断(筆者注:棄却決定)をした裁判長が、本件において再び裁判長を務めることになれば、実質的に過去の自らの判断の当否を審理することになり、予断を持って審理に臨むのではないかとの懸念を生じ、裁判の公正さが疑われる」などとする会長声明を発表した
「冤罪日野町事件関西連絡会議」や日本国民救援会は、大阪高裁に長井裁判長の即時交代を求める要請書を提出すべく、全国に協力・支援を呼び掛けている。
「長井秀典」と言えばもう一つ、別の冤罪事件で有罪判決を出した「前歴」がある。今年3月、大津地裁が再審無罪判決を言い渡した「湖東記念病院事件」だ。
2003年5月、滋賀県近江市の同病院で入院患者の人工呼吸器チューブを外し、窒息死させたとして看護助手の西山美香さんが殺人罪で逮捕・起訴された。一審大津地裁・長井裁判長は無実を訴えた西山さんに対し、「自白は信用できる」として懲役12年の有罪判決を言い渡した。西山さんは2017年まで和歌山刑務所で服役生活を強いられた。
こんな誤審・誤判まみれの人物が、その責任を問われることもなく「出世」し、家裁所長を経て高裁刑事部総括判事になり、再審事件を担当する。そのこと自体が驚きだ。
そして、大手メディアの責任。今回のトンデモ人事、関西エリアでは一部新聞で報道されたそうだが、私の知る限り東京エリアではニュースになっていない。常習賭博の高検検事長を検事総長にという法務省・検察長人事も言語道断だが、今回の裁判長人事は、日本の裁判史に重大な汚点となる許し難い不公平・不公正人事ではないか。
それを重大なニュースととらえることができない司法記者、大手メディアの「ニュース価値判断」の劣化も問われる。(了)
第一次再審請求を棄却した判事が第二次請求の裁判長に?〜日野町事件で大阪高裁がトンデモ人事
*事件を報じるTVニュース
大阪高裁で今、前代未聞のとんでもない裁判官人事が強行されようとしている。友人からのメールで知り、「そんなことがあり得るのか」と目を疑った。
2018年7月に大津地裁で再審開始決定が出された「日野町事件」の第二次再審請求。その即時抗告審の裁判長が交代し、後任に岡山家裁所長から大阪高裁第二刑事部総括判事に異動したばかりの長井秀典判事が就くことが6月17日、高裁から弁護団に伝えられた。
長井秀典――弁護団や支援者にとって、忘れることのできない名だ。2006年3月、第一次再審請求審で請求を棄却した大津地裁の裁判長である。
一度審理に関わって〝有罪認定〟した裁判官が、後に「再審開始決定=事実上の無罪認定」が出た同じ事件で、再び審理を担当する?そんなことがあり得るのか。それほど裁判所は人手不足なのか。いや、再審開始決定を覆すための人目をはばからない最高裁人事?
憲法37条は「公平な裁判所」の裁判を受ける権利を保障している。大阪高裁は、これを真っ向から踏みにじろうとしている。こんな不公平裁判をいったいだれが信用するのか。
日野町事件とは――。1984年12月、滋賀県東部の日野町で、酒店を経営する女性が行方不明になった。翌年1月、町内の宅地造成地で遺体が発見され、4月には被害者宅から盗まれた手提げ金庫が近くの山中で発見された。
それから約3年経った1988年3月、この酒店でコップ酒を飲む常連客だった阪原弘さん(当時53歳)が日野警察署に呼び出された。阪原さんは連日、脅しや暴行を交えた長時間の取調べを受けて「犯行を自白」させられ、強盗殺人容疑で逮捕された。
この事件では、「自白」以外に証拠はなく、自白の殺害方法も遺体の鑑定結果と矛盾し、事件当日のアリバイもあった。阪原さんは裁判で終始一貫無実を訴えたが、1995年6月・大津地裁で無期懲役判決、1997年5月・大阪高裁で控訴棄却、2000年9月・最高裁で上告棄却となり、有罪判決が確定して服役を余儀なくされた。
2001年11月、阪原さんは日弁連の支援を受け、大津地裁に裁判のやり直しを求めて再審を請求した。審理では、自白と遺体鑑定や現場の状況が合致せず、アリバイをめぐる新証拠も提出された。しかし、長井裁判長は2006年3月、自白通りの方法では遺体の傷を説明できないことなど「いくつかの疑問点がある」ことを認めながら、「別の絞め方をすれば同様の傷がつく」「自白は事件から3年以上経過しており、記憶違いと理解できる」などと一方的な解釈認定で請求を棄却した。
証拠によって明らかになった客観的事実と自白の矛盾。そんな辻褄の合わないことを事実認定に基づいて判断するではなく、「予断による想像力」で糊塗し、覆い隠す。それが、長井裁判長の手法だった。
広島刑務所で服役していた阪原さんは2010年、体調を崩した。食欲を失い、体重が極端に減って12月、肺炎で重篤な状態に。家族などの要請で検察庁が刑の執行を停止し、広島市内の病院に入院したが、2011年3月、東日本大震災の1週間後に亡くなった。
これにより、大阪高裁で審理中だった再審請求は打ち切りになったが、翌2012年3月、遺族が本人に代わって大津地裁に第二次再審請求を申し立てた。
第二次再審請求では、阪原さんが手提げ金庫を捨てた現場まで捜査員を案内したとされる実況見分調書の写真が証拠開示された。この実況見分調書は自白を裏付ける証拠とされてきたが、開示された写真19枚のうち8枚は、「往き」ではなく「帰り」に往路写真を装って撮影されたことが判明、「警察官の誘導なしに現場を案内した」としてきた検察の主張とともに自白の信用性も崩れた。
弁護団は、殺害方法などに関する新たな鑑定書も提出し、有罪根拠がほとんど破綻。2018年7月、大津地裁(今井輝幸裁判長)は弁護側の主張を認め、再審開始を決定した。
これに対して検察は即時抗告し、大阪高裁でその審理が続いている。そのさなか、突然伝えられた裁判長交代人事だ。弁護団は6月18日、第一次請求に関わった長井判事が再び事件を担当することについて、「審理及び判断の公平性に対し、重大な疑問を抱かざるを得ず、裁判所あるいは再審手続きに対する社会的な信頼を大きく損なうことにもなりかねない」として、長井判事に自ら審理関与を退く「回避」を求める要請書を提出した。
日弁連(荒中会長)も25日、「第一次再審請求当時前記判断(筆者注:棄却決定)をした裁判長が、本件において再び裁判長を務めることになれば、実質的に過去の自らの判断の当否を審理することになり、予断を持って審理に臨むのではないかとの懸念を生じ、裁判の公正さが疑われる」などとする会長声明を発表した
「冤罪日野町事件関西連絡会議」や日本国民救援会は、大阪高裁に長井裁判長の即時交代を求める要請書を提出すべく、全国に協力・支援を呼び掛けている。
「長井秀典」と言えばもう一つ、別の冤罪事件で有罪判決を出した「前歴」がある。今年3月、大津地裁が再審無罪判決を言い渡した「湖東記念病院事件」だ。
2003年5月、滋賀県近江市の同病院で入院患者の人工呼吸器チューブを外し、窒息死させたとして看護助手の西山美香さんが殺人罪で逮捕・起訴された。一審大津地裁・長井裁判長は無実を訴えた西山さんに対し、「自白は信用できる」として懲役12年の有罪判決を言い渡した。西山さんは2017年まで和歌山刑務所で服役生活を強いられた。
こんな誤審・誤判まみれの人物が、その責任を問われることもなく「出世」し、家裁所長を経て高裁刑事部総括判事になり、再審事件を担当する。そのこと自体が驚きだ。
そして、大手メディアの責任。今回のトンデモ人事、関西エリアでは一部新聞で報道されたそうだが、私の知る限り東京エリアではニュースになっていない。常習賭博の高検検事長を検事総長にという法務省・検察長人事も言語道断だが、今回の裁判長人事は、日本の裁判史に重大な汚点となる許し難い不公平・不公正人事ではないか。
それを重大なニュースととらえることができない司法記者、大手メディアの「ニュース価値判断」の劣化も問われる。(了)