<資生堂批判記事に朝日新聞の輪転機を止めた日本廣告社>
国民に怒りと失望をまき散らし、すっかり色あせてしまった法務検察、他方で日本の言論機関の主力・新聞テレビを制圧、国家主義的独裁政権を支えている実態が明らかとなった広告代理店・電通に、日本国民はコロナ禍も災いして意気消沈の日々を送っている。
二回連続して電通大魔神を紹介した理由だが、読者から若いころの体験談が飛び込んできたので、この機会に紹介することにしたい。1886年・明治19年に福沢諭吉が設立したという日本最古の広告代理店の、やくざまがいの蛮行のことである。
「朝日新聞の輪転機を止めて、問題の社会面の鉛版を床にたたきつけた、というのである。朝日の歴史に記録されているかもしれない。およそ紳士のビジネスではない。いまその代表格の電通が、官邸と自民党を自由自在に跋扈していることが、白日の下にさらされたわけだから、この国の前途は明るくない。
「来年に東京五輪」「景気のV字型回復」という安倍晋三の虚言に踊る日本人は、ほとんどいないだろう。
<「資生堂化粧品で顔のかぶれ」特ダネに広告代理店が実力行使>
本澤先生、昭和46年、初夏の出来事を貼り付けます。
私は昭和46年に実社会に出たのですが、入社(広告代理店)した初夏に、新聞の忌中広告を取るため日曜日に先輩と会社で日直をしていました。その時、事件(出来事)が起こりました。資生堂の化粧品(クリーム系)で全国の女性が皮膚障害を起こした記事が翌日の朝日新聞社会面の全国版に掲載される情報を資生堂の広告部の課長が「電通?」から伝えられて当時在籍していた代理店に乗り込んできたのです。結果は翌日の新聞に間に合うように朝日新聞(日劇のビルの地下3階)の輪転機にはめるべく鉛版を当時在籍していた代理店の課長と私の前で床に投げつけて破壊し、印刷できないようにしたのです。まあ、なかなか見ることができない現場を見てしまいました。翌年に私はその会社を去りました。赤い赤い「朝日新聞」はまゆつばですよ‼️
昭和46年というと、いまから50年ほど前だ。情報を寄せてくれた読者は、現在、70代。何年たっても、広告代理店担当者が朝日新聞に乗り込んで、轟音をとどろかせて回転している輪転機を止める?という、信じられない事件を記憶している。
輪転機を止めて、社会面の鉛版を取り外して、床に叩き潰したというのである。
広告代理店の言論弾圧は、昔から行われていたのだ。やくざでも、ここまでは出来ないだろう。あるいは、やくざを動員しての強硬策だったのか。
問題は、広告代理店に頭が上がらない「高級紙」に衝撃を受けるばかりである。広告を出す側にも広告部、新聞社にも広告局、そして間に広告代理店という三者は、鉄の結束を誇っているのだ。
編集局は「我々の記事で、読者が購読してくれている」と自負しているが、広告局は「我々が企業から広告をとっているから新聞社は飯が食えている」と胸を張っている。
<第四の権力も独裁国の機関紙レベルだった!>
誠に恥ずかしいことなのだが、政治記者として永田町と平河町を闊歩していたころは、肩で風を切って生きてきた。この世に怖いものなし、という感覚で、議員会館を駆けずり回ってきた。自民党派閥記者として、権力の中枢に我が身を置いて、ペンで遠慮せずに右翼をたたき、さしずめ我が世の春を謳歌してきた。
しかし、そうしたややもすれば乱暴な人生も、次男が医療事故で植物人間を強いられ、13年の病院通いと自宅介護で、とことん挫折を強いられてしまった。とどのつまりは、東芝病院の看護回避という大ミスで命を奪われてしまった。
人間の命に対して、反省も謝罪もしない財閥・東芝に、電通の庇護があるとも知らず、ドン・キホーテよろしく立ち向かったが、押しつぶされてしまった。新聞人でありながら、新聞テレビが電通に目を向けていることさえ気づかなかった愚かなジャーナリストだった。
幸いペンは元気だ。電通と東芝に対して、切っ先鋭く、新聞テレビの代わりを務めている?これも不思議な運命であろう。見えなかった世界が、見えてくるのである。毎日パソコンに向かっていても、材料が尽きることがない。ことほど社会は腐ってしまっているのであろう。
一時期、胸を張っていた第四権力論も幻想でしかなかった。新聞テレビも、広告代理店に生殺与奪の権限を握られていた。しかし、真実の報道が保障されない社会、憲法が保障する言論の自由が奪われている日本でいいわけがない。独裁国の機関紙レベルでいいわけがない。
<日刊ゲンダイ方式で電通排除に軌道修正すれば正論が>
たまに夕刊紙・日刊ゲンダイが自宅に届く。
同紙には大手の企業広告が全く載っていない。したがって、電通など広告代理店からの脅しや圧力はかからない。真っ向から政府批判ができる。朝日も検討してみてはどうか。1本の社説に100万、150万は許されないだろう。スリム化して貧しくなれば、民意を反映する新聞造りは困難ではない。
コロナ禍で電通が暴かれ、言論弾圧に弱すぎる新聞テレビも暴かれている現在の危機を、ジャーナリストは座視するわけにはいかない!「徳不孤」なり。
2020年6月15日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
国民に怒りと失望をまき散らし、すっかり色あせてしまった法務検察、他方で日本の言論機関の主力・新聞テレビを制圧、国家主義的独裁政権を支えている実態が明らかとなった広告代理店・電通に、日本国民はコロナ禍も災いして意気消沈の日々を送っている。
二回連続して電通大魔神を紹介した理由だが、読者から若いころの体験談が飛び込んできたので、この機会に紹介することにしたい。1886年・明治19年に福沢諭吉が設立したという日本最古の広告代理店の、やくざまがいの蛮行のことである。
「朝日新聞の輪転機を止めて、問題の社会面の鉛版を床にたたきつけた、というのである。朝日の歴史に記録されているかもしれない。およそ紳士のビジネスではない。いまその代表格の電通が、官邸と自民党を自由自在に跋扈していることが、白日の下にさらされたわけだから、この国の前途は明るくない。
「来年に東京五輪」「景気のV字型回復」という安倍晋三の虚言に踊る日本人は、ほとんどいないだろう。
<「資生堂化粧品で顔のかぶれ」特ダネに広告代理店が実力行使>
本澤先生、昭和46年、初夏の出来事を貼り付けます。
私は昭和46年に実社会に出たのですが、入社(広告代理店)した初夏に、新聞の忌中広告を取るため日曜日に先輩と会社で日直をしていました。その時、事件(出来事)が起こりました。資生堂の化粧品(クリーム系)で全国の女性が皮膚障害を起こした記事が翌日の朝日新聞社会面の全国版に掲載される情報を資生堂の広告部の課長が「電通?」から伝えられて当時在籍していた代理店に乗り込んできたのです。結果は翌日の新聞に間に合うように朝日新聞(日劇のビルの地下3階)の輪転機にはめるべく鉛版を当時在籍していた代理店の課長と私の前で床に投げつけて破壊し、印刷できないようにしたのです。まあ、なかなか見ることができない現場を見てしまいました。翌年に私はその会社を去りました。赤い赤い「朝日新聞」はまゆつばですよ‼️
昭和46年というと、いまから50年ほど前だ。情報を寄せてくれた読者は、現在、70代。何年たっても、広告代理店担当者が朝日新聞に乗り込んで、轟音をとどろかせて回転している輪転機を止める?という、信じられない事件を記憶している。
輪転機を止めて、社会面の鉛版を取り外して、床に叩き潰したというのである。
広告代理店の言論弾圧は、昔から行われていたのだ。やくざでも、ここまでは出来ないだろう。あるいは、やくざを動員しての強硬策だったのか。
問題は、広告代理店に頭が上がらない「高級紙」に衝撃を受けるばかりである。広告を出す側にも広告部、新聞社にも広告局、そして間に広告代理店という三者は、鉄の結束を誇っているのだ。
編集局は「我々の記事で、読者が購読してくれている」と自負しているが、広告局は「我々が企業から広告をとっているから新聞社は飯が食えている」と胸を張っている。
<第四の権力も独裁国の機関紙レベルだった!>
誠に恥ずかしいことなのだが、政治記者として永田町と平河町を闊歩していたころは、肩で風を切って生きてきた。この世に怖いものなし、という感覚で、議員会館を駆けずり回ってきた。自民党派閥記者として、権力の中枢に我が身を置いて、ペンで遠慮せずに右翼をたたき、さしずめ我が世の春を謳歌してきた。
しかし、そうしたややもすれば乱暴な人生も、次男が医療事故で植物人間を強いられ、13年の病院通いと自宅介護で、とことん挫折を強いられてしまった。とどのつまりは、東芝病院の看護回避という大ミスで命を奪われてしまった。
人間の命に対して、反省も謝罪もしない財閥・東芝に、電通の庇護があるとも知らず、ドン・キホーテよろしく立ち向かったが、押しつぶされてしまった。新聞人でありながら、新聞テレビが電通に目を向けていることさえ気づかなかった愚かなジャーナリストだった。
幸いペンは元気だ。電通と東芝に対して、切っ先鋭く、新聞テレビの代わりを務めている?これも不思議な運命であろう。見えなかった世界が、見えてくるのである。毎日パソコンに向かっていても、材料が尽きることがない。ことほど社会は腐ってしまっているのであろう。
一時期、胸を張っていた第四権力論も幻想でしかなかった。新聞テレビも、広告代理店に生殺与奪の権限を握られていた。しかし、真実の報道が保障されない社会、憲法が保障する言論の自由が奪われている日本でいいわけがない。独裁国の機関紙レベルでいいわけがない。
<日刊ゲンダイ方式で電通排除に軌道修正すれば正論が>
たまに夕刊紙・日刊ゲンダイが自宅に届く。
同紙には大手の企業広告が全く載っていない。したがって、電通など広告代理店からの脅しや圧力はかからない。真っ向から政府批判ができる。朝日も検討してみてはどうか。1本の社説に100万、150万は許されないだろう。スリム化して貧しくなれば、民意を反映する新聞造りは困難ではない。
コロナ禍で電通が暴かれ、言論弾圧に弱すぎる新聞テレビも暴かれている現在の危機を、ジャーナリストは座視するわけにはいかない!「徳不孤」なり。
2020年6月15日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)