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Channel: 詩人PIKKIのひとこと日記&詩
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アリの一言~コロナ禍と徳仁天皇―”無為の知恵”

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http://www.labornetjp.org/news/2020/1591829365593sasaki
コロナ禍と徳仁天皇―“無為の知恵“

    
 2カ月前に「徳仁天皇は『ビデオメッセージ』を発してはならない」と書きましたが(4月9日のブログ参照)、その後も天皇は何も「メッセージ」を発していません。理由は分かりませんが、この状況はたいへん意味のあることです。

 4月以降、「コロナ禍」に関連して徳仁天皇が雅子皇后とともに行ったことは次の通りです。
 4月10日 専門家会議の尾身副座長から聴取(政府・宮内庁はこれを「ご進講」と称します)
 4月15日 厚労省医務技監から聴取
 5月20日 日本赤十字社長・副社長から聴取
 6月3日  東京都葛飾区保健所長らと面会(専門家からの聴取はこれが5回目とか)

 それぞれの場面で感想は述べていますが、「国民」に向けたメッセージは発していません。天皇主義者はこの状況に不満を募らせていると思われます。宮内庁はやむを得ず、専門家会議と日赤からの聴取で徳仁天皇が述べた感想をHPに掲載しています。

 明仁上皇が天皇であればとっくに「ビデオメッセージ」を出していたでしょう。「天皇退位有識者会議」(2017年)で座長を務めた御厨貴氏(元東大教授)が、「東日本大震災の時に上皇さまはビデオメッセージを出した。陛下も国民に向けて何らかのパフォーマンスを見せてほしい」(4月14日付中国新聞=共同)と公言していましたが、徳仁天皇・雅子皇后にメッセージ(パフォーマンス)を求める声は少なくありません。

 東京新聞の望月衣塑子記者が、「皇室が世界に本来進むべき道を指し示すというのは、理想的なウィジョン」(「波」5月号)とコロナ禍のいま天皇・皇后に発言・行動を求めていることは先にみましたが(6月2日のブログ参照)、同類の声はほかにもあります。

 作家の赤坂真理氏は、ドイツ・メルケル首相のスピーチ(3月18日)を評価したのに続き、「日本で機能していないと思うものがある」としてこう述べています。

 「それは『象徴』だ。この歴史的な時に、首相は統合を象徴する存在たり得ていない。残念なのは、憲法第1条に書かれた『象徴』もまたそうであることだ。『象徴』と書かれた存在が、もし本当にその役を引き受けるのなら、今、何かを言ってほしい。でなければいつ象徴的であられるのか?」(4月29日付地方各紙=共同配信) 

 こうした声にもかかわらず、徳仁天皇が何もメッセージを発していないのは、したいけれどできないのか、それとも何らかの判断であえてしないのか。それは分かりませんが、客観的にみれば、何もしないことこそ“無為の知恵”と言えるでしょう。

 天皇が政治・社会情勢に関連して自らの意見を述べることは、憲法が二重三重に禁じています。何もしないことが「憲法第1条」に沿うものです。しかも、「コロナ禍」ではそれが一層重要です。

 今回の「コロナ禍」あるいは「コロナ後」は、私たちに様々な選択を迫っています。その1つは、「全体主義的な監視(国家による監視と制限)か、市民に力を与えるエンパワーメント(自己決定力)か」(イスラエルの歴史学者・ユヴァン・ノア・ハラリ氏、4月4日NHK・ETV特集)です。言い換えれば、「国家主義」か「市民主義」かの選択です。私たちが目指すべきは当然後者、「市民の自己決定力」を強化することです。

 天皇(象徴天皇)はいうまでもなく国家機構・体制の一部です。天皇が自らの言動によってその存在を強めることは、上からの権威によって「国民」を束ねる国家主義(全体主義)の強化にほかなりません。それは私たちが目指すべき「コロナ後」の社会に逆行するものです。

 天皇は「コロナ禍」でも、いいえ「コロナ禍」だからこそ、メッセージを発するべきではありません。このまま「無為」を貫くことこそが市民のためです。


(写真中)が、「この危機の時代に、私たちは特に重要な2つの選択を迫られている」と提唱していることが紹介されました。


 第1の選択…全体主義的な監視か、市民に力を与えるエンパワーメントか。

 第2の選択…国家主義による孤立か、グローバルな連帯か。



 「全体主義的な監視」は「国家による監視と制限」、「エンパワーメント」は「市民の自己決定力」とも言い換えられました。

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