●第44回 2020年6月10日(毎月10日)
「これでは分からない 世界のいま」―NHK番組が孕む問題
日曜日の夜在宅していると、「笑点」を楽しみ、その後チャンネルをNHKに切り替えて、短い定時ニュースと、子ども向けの「世界のニュース」的な解説番組を見るのが、過去のある時期の習慣だった。もう20年ほども前までのことか。池上彰氏がまだNHKの専属アナの頃で、父親役として、子ども向けに国際ニュースを、現在よりはるかに「ましな」水準で説明する姿が印象的だった。そのころ或る会合で池上氏と一緒になったとき、同氏は視聴者からの番組の〈偏向〉批判がけっこう多いと述懐していた。もちろん、〈左翼〉への偏向である。時代はすでにそんな雰囲気に充満していた。
その後何回かの改変が加えられ、数年前から現在の形になったと記憶している。「これで分かった! 世界のいま」というのがタイトルだ。若く、〈おバカな〉女性タレントがまず登場し、そこへ男の解説委員が出てきて、その日のテーマについて語り始める。女性は奇声を発しながら驚き、質問し、頷き、納得するというスタイルだ。ジェンダーの視点を欠き、複雑な物事を無理に単純化して解説してしまうことの〈怖さ〉の自覚もないままに、こんな水準で「世界が分かる」とする、視聴者を舐め切った番組制作者たちの弛緩した精神が気に喰わず、見るのをやめた。
去る6月7日(日)、米国の人種差別抗議デモを取り上げた同番組がいかにひどいものであったかということは、ツイッターで指摘する人が多かったので、知った。使われたアニメの動画も、登場した「男の」国際部デスクの言い分も、誤解なく知るに十分な情報量がツイッターとフェイスブック上にあったと思う。1分強のアニメの作画の粗さ、否応なく滲み出ている黒人差別意識、筋骨隆々の黒人男性が差別を訴える口調の粗野さ、問題の本質からかけ離れたその訴えの言葉――制作当事者たちが人権問題についての「勉強」も経験も積まないままに、すでに10日間以上も続いている抗議デモの具体的な在りようも知ろうとしないままに、この番組を担当していること――その姿勢の安易さには絶句するほかない。制作者たちは、日本の民族問題にも露ほどの関心も持たないだろう。
本コラムで毎回のように行なう安倍政権批判をしていて思うのは、あまりにひどいもの(存在)が主要な場に居座っていると、それへの批判の規準がズレていくということだ。検察官の定年延長に特例を設ける検察庁法改正案に関して元検事総長ら14名の検察OBが法務省に対して、痛烈な批判的意見書を提出した。それは、論理構成においても、文体においても、読むに値する意見書ではあった。政権が成立断念に至ったのには複数の理由が考えられるが、検察OBの意見書が大きな反響を呼んだことも大きかっただろう。だが、この意見書の意義は、そこで引用されたジョン・ロックの言葉を借りるなら「法が終わるところ」で始まっている「暴政」に「否!」と言っただけに尽きる。
ここに名を連ねた検察OB個々の名前を調べて、彼らがその世界で揺るぎない権力と〈名声〉を手にしていた時期に、権力犯罪としての冤罪に苦しむ無実のひとはいなかったかと問うてみる。検察が常に〈正義〉を体現しているわけではない。今回は、ただ、時の政治権力のあまりのひどさに、検察OBのエリートたちですらが声を挙げたに過ぎない。日ごろの検察そのものの姿はどうか。それを問う姿勢を持たなければならない。
米国でも、白人警官による黒人虐殺とトランプ大統領の発言・態度のひどさに、ブッシュ(子)、パウエル、オバマ、マティスですらがトランプ批判を行なっていることが話題となっている。国内での抗議運動の盛り上がりに押されてこの種の発言を行なっている者たちが、かつて米国の政治・軍事の高位の責任者であった時代に、アフガニスタン、イラク、シリア、パキスタン……などで、どんな軍事作戦を米国兵士に命令していたか、を忘れてはならない。その殺戮行為の残虐性は、今回のミネアポリスでの白人警官のそれと同等の「質」を持っていた。だが、それは「国外で」起きている事件だったから、自国兵士の仕業だったのに、ブッシュをはじめとする米国の政治家と軍人は「それでよし」とした。むしろ奨励した。哀しいことに、多くの民衆もまた、その枠内にあった。そのような「留保」を裡に抱えつつも、もちろん、私は現在の米国の変革過程に大いなる期待を寄せている。
NHKの今回の番組を批判する際にも、米国の民族問題についての考察を通して、同じ問題を抱える日本社会へと戻ってくるような、内省的な分析が必要だ。