底割れ安倍政権に立ち向かう言葉を探せ~高村薫さん、青木理さん
林田英明
すべてを言い表している集会タイトルである。「モリ・カケ・サクラ…政治の〝底割れ〟と社会の〝劣化〟」。森友学園、加計学園、桜を見る会と、安倍晋三首相が深く関与しているとしか思えない疑獄がもたらす政治腐敗は底が抜けている。2月22日、大阪府豊中市立芸術センター中ホールには定員500人を超える参加者であふれ、作家の高村薫さん、ジャーナリストの青木理さんの話に聴き入った。森友学園問題を考える会主催。
●「声が届かなくなった」慨嘆
司会は「新聞うずみ火」の矢野宏さん。いつもの軽妙な語りで2人から日本社会の矛盾点を次々と引き出していく。
高村さんの第一声は「声が届かなくなった」との慨嘆である。以前は漠然とながら自分は平均的な思考の持ち主だと思っていたのに、気がつくと少数派になっていたという驚きだ。21世紀に入っての小泉政権から、その思いは強くなっている。安倍政権に至って、それは決定的なのだろう、こう表現する。「私自身の言葉が宙に浮く。着地する場所がない」。以前なら社会の反応が強く得られたが、今や「モリカケ」問題にしても世の中の半数は「それがどうした」と空転する。この現実を冷静に眺める必要を高村さんは痛感する。非難や攻撃に終わるだけでは解決しない。価値観の違いを腹に収め、無視するのではなく受け止めたうえで疑問を発し続ける意義をとつとつと説く。
青木さんは、大勢の前で話すのは苦手と言いながら言葉は流れるように止まらない。いびつなナショナリズムが強まったのが森友問題と捉え、安倍政権の本質であるネポティズム(縁故主義)をヤリ玉に挙げた。2000年代の日朝首脳会談時には韓国にいた青木さんは、拉致被害者の一部が帰国した事実を「日本外交の一つの大きな成果」と評価する。ところが「被害者全員が帰らなければダメだ」といきり立つ世論を背景に、対話路線が国賊扱いされ圧力一辺倒になっていく過程で一気に階段を駆け上がっていったのが安倍首相だと青木さんは見る。ところがどうだ。第2次以降の安倍政権7年間で動きは1ミリでもあったか。逆に青木さんが懸念するのは、戦後それまであった日本人のアジアに対する贖罪意識が拉致問題発覚で「被害者」に逆転し、鬱屈した差別主義や自国礼賛主義が噴き出した点である。それは北朝鮮にとどまらず嫌韓嫌中へと一気に加速し、青木さんは怖さを覚える。キャスターとして冷静に韓国を語ろうとしても「韓国擁護が許せない」と過熱する視聴者も少なくなく、青木さんは今やネット社会では「反日極左」に分類されていると苦笑した。「ネトウヨの連中」と口を滑らせると抗議が来るので局から「ネトウヨの皆さん」と言うように求められているといって会場の爆笑を呼んだが、単純に笑うわけにはいかない気もした。
●「法治」の崩壊は独裁へ向かう
集会の3日前に森友学園を巡る補助金詐欺事件の判決が大阪地裁であり、前学園理事長の籠池泰典被告と妻諄子被告に有罪判決が下された。だが、事の本質は小学校建設を巡る不透明な国有地取引。それは何ら解明されていない。小学校の名誉校長に一時就いていた安倍首相の妻昭恵氏の関与はどうだったのか。「気持ち悪さだけ残った」と高村さんは言う。
森友問題を取材していない青木さんは印象論として断りつつ、国有地売却に関連して学園との取引に関する交渉記録が廃棄されたり決裁文書が改ざんされたりした実態を「政治主導で根腐れ」と表現した。黒川弘務・東京高検検事長の〝定年延長〟を1月31日に閣議決定し、つじつまが合わなくなると法解釈を変える露骨なトップ人事介入も含め「法治」の崩壊を青木さんは強く警告する。そして、官僚機構が修復不可能になって後悔する日がくるだろうと予見する。
高村さんも呼応した。「新聞を読んで目が点になった」と黒川氏の人事にあきれつつも、常識と非常識が逆転した世の中で今は阻止する力がなく「絶望的な状況の中に私たちは立っている」と率直に語った。
青木さんは同意を示したうえで、検察イコール正義という図式にも疑問を呈する。カジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職事件で秋元司衆院議員は昨年末逮捕されたが、建設会社からの金銭授受疑惑の甘利明衆院議員は経済再生担当相を辞任するだけで4年前に逃げ切っている。それ以上の言及はなかったが、青木さんには恣意的な判断を感じるのだろう。人間というものは不完全な生き物ゆえ、権力という悪を互いに牽制し合う三権分立の意義を再確認するのも危機感の裏返しである。このまま行政府の長が立法も司法も完全に手に入れれば独裁だ。
●「警察は権力好きの奇妙な組織」
矢部さんが警察人事についても話題に上せた。中村格(いたる)氏である。山口敬之氏の伊藤詩織さんに対する準強姦容疑の逮捕状を握りつぶしたとされる当時の警視庁刑事部長。1月の人事で警察庁次長に昇進、トップの警察庁長官も目前である。菅義偉官房長官の秘書官も経験している人物だ。山口氏は元TBSの報道記者で『総理』といった著書もある安倍首相に極めて近いジャーナリストである。どうせ読むなら一部始終をつづった伊藤さんの『ブラックボックス』のほうが山口、中村両氏を知るうえで非常に興味深く、真実に近いように私は思う。
高村さんは一度だけ警察庁に入ったことがある。当時の刑事局長に会って「権力大好きの、とても奇妙な組織」だと悟った。上意下達だから、自分の頭で考え、判断しないように感じたのだろうか、エリート意識が透けて見え、安倍政権に重用されることを喜んでいるように映った。だから「与えられる権力を使うことに特化している彼らに正義を期待するのは無理」と言い切る。現場で汗をかく市民警察官と、警察幹部は乖離した存在なのかもしれないと、高村さんの感想を聞いて思った。
青木さんは1990年代に警察を取材しているが、『日本の公安警察』などの著書もあるように内部を暴いたために〝追放〟されたと軽く笑う。同じジャーナリストを名乗っていても山口氏とは全く違う道を歩んでいる。警察は機動隊も有する30万人近い組織であり、逮捕もできる「暴力装置」の側面を青木さんは押さえつつ、それよりも怖いのは全国津々浦々張り巡らされた情報網だと言う。だからこそ、そこに政治が手を突っ込むのは危険だと繰り返すのだった。
●「おかしいことはおかしい」と
メディアの状況はどうなのだろう。高村さんは、政権の応援団と、それに反対するメディアの両翼とも言葉が社会に届いていないと見る。新聞も読まず、人の話も聞かない、国会にも無関心な層は言葉を聞き流す。だが、日本がこのまま安泰であるはずはなく、想起される経済破綻が訪れれば「いやが応でも納得する言葉を探しに行く。そこまで行かないと言葉を取り戻せない」と先を見つめる。絶望の果てに光を求めようとしているのだろうか。
青木さんは、メディア批判をすれば自分に降りかかることを理解したうえで、それでも「大事にしているのは国益です」と言い切るメディアの人間にはあきれ果てる。社会益や公益なら理解できるが、国益を持ち出せばメディアは死ぬと考える。「調査・情報収集」目的で海上自衛隊の護衛艦が2月に中東に派遣された際、PKO(国連平和維持活動)を初めて派遣するに当たっての大議論など全くの昔話で〝スムーズ〟に進んだ。青木さんは「半ばイヤミ、半ば本気」と言いながら安倍首相の続投を願う。アベノミクス、少子化、男女不平等など数々の失敗の責任を取らないまま退場する理不尽に怒りが収まらないようだ。「半分ぐらいケツを拭いてから消えてくれ」と少々下品な表現を用いた。
2人は「カタストロフィー(大惨事)」を危惧している。到来すれば、社会的に弱い層へシワ寄せが行くことが目に見えている。いま生きている世代は戦争や大震災を体験しているだけに切実だ。『サンデー毎日』でそれぞれ連載を持つ2人の時評は、この日の話同様、時にニヒリズムに襲われながら、しかしカタストロフィーが来ないよう「おかしいことはおかしい」と述べる点で一貫している。口調の強さで国語力の乏しさを覆い隠す安倍首相とは異なり、時に言いよどみながら言葉を選び抜くしんどい作業を逃げずに続ける表現者の姿勢は、聞く者に勇気を与えてくれる。
林田英明
すべてを言い表している集会タイトルである。「モリ・カケ・サクラ…政治の〝底割れ〟と社会の〝劣化〟」。森友学園、加計学園、桜を見る会と、安倍晋三首相が深く関与しているとしか思えない疑獄がもたらす政治腐敗は底が抜けている。2月22日、大阪府豊中市立芸術センター中ホールには定員500人を超える参加者であふれ、作家の高村薫さん、ジャーナリストの青木理さんの話に聴き入った。森友学園問題を考える会主催。
●「声が届かなくなった」慨嘆
司会は「新聞うずみ火」の矢野宏さん。いつもの軽妙な語りで2人から日本社会の矛盾点を次々と引き出していく。
高村さんの第一声は「声が届かなくなった」との慨嘆である。以前は漠然とながら自分は平均的な思考の持ち主だと思っていたのに、気がつくと少数派になっていたという驚きだ。21世紀に入っての小泉政権から、その思いは強くなっている。安倍政権に至って、それは決定的なのだろう、こう表現する。「私自身の言葉が宙に浮く。着地する場所がない」。以前なら社会の反応が強く得られたが、今や「モリカケ」問題にしても世の中の半数は「それがどうした」と空転する。この現実を冷静に眺める必要を高村さんは痛感する。非難や攻撃に終わるだけでは解決しない。価値観の違いを腹に収め、無視するのではなく受け止めたうえで疑問を発し続ける意義をとつとつと説く。
青木さんは、大勢の前で話すのは苦手と言いながら言葉は流れるように止まらない。いびつなナショナリズムが強まったのが森友問題と捉え、安倍政権の本質であるネポティズム(縁故主義)をヤリ玉に挙げた。2000年代の日朝首脳会談時には韓国にいた青木さんは、拉致被害者の一部が帰国した事実を「日本外交の一つの大きな成果」と評価する。ところが「被害者全員が帰らなければダメだ」といきり立つ世論を背景に、対話路線が国賊扱いされ圧力一辺倒になっていく過程で一気に階段を駆け上がっていったのが安倍首相だと青木さんは見る。ところがどうだ。第2次以降の安倍政権7年間で動きは1ミリでもあったか。逆に青木さんが懸念するのは、戦後それまであった日本人のアジアに対する贖罪意識が拉致問題発覚で「被害者」に逆転し、鬱屈した差別主義や自国礼賛主義が噴き出した点である。それは北朝鮮にとどまらず嫌韓嫌中へと一気に加速し、青木さんは怖さを覚える。キャスターとして冷静に韓国を語ろうとしても「韓国擁護が許せない」と過熱する視聴者も少なくなく、青木さんは今やネット社会では「反日極左」に分類されていると苦笑した。「ネトウヨの連中」と口を滑らせると抗議が来るので局から「ネトウヨの皆さん」と言うように求められているといって会場の爆笑を呼んだが、単純に笑うわけにはいかない気もした。
●「法治」の崩壊は独裁へ向かう
集会の3日前に森友学園を巡る補助金詐欺事件の判決が大阪地裁であり、前学園理事長の籠池泰典被告と妻諄子被告に有罪判決が下された。だが、事の本質は小学校建設を巡る不透明な国有地取引。それは何ら解明されていない。小学校の名誉校長に一時就いていた安倍首相の妻昭恵氏の関与はどうだったのか。「気持ち悪さだけ残った」と高村さんは言う。
森友問題を取材していない青木さんは印象論として断りつつ、国有地売却に関連して学園との取引に関する交渉記録が廃棄されたり決裁文書が改ざんされたりした実態を「政治主導で根腐れ」と表現した。黒川弘務・東京高検検事長の〝定年延長〟を1月31日に閣議決定し、つじつまが合わなくなると法解釈を変える露骨なトップ人事介入も含め「法治」の崩壊を青木さんは強く警告する。そして、官僚機構が修復不可能になって後悔する日がくるだろうと予見する。
高村さんも呼応した。「新聞を読んで目が点になった」と黒川氏の人事にあきれつつも、常識と非常識が逆転した世の中で今は阻止する力がなく「絶望的な状況の中に私たちは立っている」と率直に語った。
青木さんは同意を示したうえで、検察イコール正義という図式にも疑問を呈する。カジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職事件で秋元司衆院議員は昨年末逮捕されたが、建設会社からの金銭授受疑惑の甘利明衆院議員は経済再生担当相を辞任するだけで4年前に逃げ切っている。それ以上の言及はなかったが、青木さんには恣意的な判断を感じるのだろう。人間というものは不完全な生き物ゆえ、権力という悪を互いに牽制し合う三権分立の意義を再確認するのも危機感の裏返しである。このまま行政府の長が立法も司法も完全に手に入れれば独裁だ。
●「警察は権力好きの奇妙な組織」
矢部さんが警察人事についても話題に上せた。中村格(いたる)氏である。山口敬之氏の伊藤詩織さんに対する準強姦容疑の逮捕状を握りつぶしたとされる当時の警視庁刑事部長。1月の人事で警察庁次長に昇進、トップの警察庁長官も目前である。菅義偉官房長官の秘書官も経験している人物だ。山口氏は元TBSの報道記者で『総理』といった著書もある安倍首相に極めて近いジャーナリストである。どうせ読むなら一部始終をつづった伊藤さんの『ブラックボックス』のほうが山口、中村両氏を知るうえで非常に興味深く、真実に近いように私は思う。
高村さんは一度だけ警察庁に入ったことがある。当時の刑事局長に会って「権力大好きの、とても奇妙な組織」だと悟った。上意下達だから、自分の頭で考え、判断しないように感じたのだろうか、エリート意識が透けて見え、安倍政権に重用されることを喜んでいるように映った。だから「与えられる権力を使うことに特化している彼らに正義を期待するのは無理」と言い切る。現場で汗をかく市民警察官と、警察幹部は乖離した存在なのかもしれないと、高村さんの感想を聞いて思った。
青木さんは1990年代に警察を取材しているが、『日本の公安警察』などの著書もあるように内部を暴いたために〝追放〟されたと軽く笑う。同じジャーナリストを名乗っていても山口氏とは全く違う道を歩んでいる。警察は機動隊も有する30万人近い組織であり、逮捕もできる「暴力装置」の側面を青木さんは押さえつつ、それよりも怖いのは全国津々浦々張り巡らされた情報網だと言う。だからこそ、そこに政治が手を突っ込むのは危険だと繰り返すのだった。
●「おかしいことはおかしい」と
メディアの状況はどうなのだろう。高村さんは、政権の応援団と、それに反対するメディアの両翼とも言葉が社会に届いていないと見る。新聞も読まず、人の話も聞かない、国会にも無関心な層は言葉を聞き流す。だが、日本がこのまま安泰であるはずはなく、想起される経済破綻が訪れれば「いやが応でも納得する言葉を探しに行く。そこまで行かないと言葉を取り戻せない」と先を見つめる。絶望の果てに光を求めようとしているのだろうか。
青木さんは、メディア批判をすれば自分に降りかかることを理解したうえで、それでも「大事にしているのは国益です」と言い切るメディアの人間にはあきれ果てる。社会益や公益なら理解できるが、国益を持ち出せばメディアは死ぬと考える。「調査・情報収集」目的で海上自衛隊の護衛艦が2月に中東に派遣された際、PKO(国連平和維持活動)を初めて派遣するに当たっての大議論など全くの昔話で〝スムーズ〟に進んだ。青木さんは「半ばイヤミ、半ば本気」と言いながら安倍首相の続投を願う。アベノミクス、少子化、男女不平等など数々の失敗の責任を取らないまま退場する理不尽に怒りが収まらないようだ。「半分ぐらいケツを拭いてから消えてくれ」と少々下品な表現を用いた。
2人は「カタストロフィー(大惨事)」を危惧している。到来すれば、社会的に弱い層へシワ寄せが行くことが目に見えている。いま生きている世代は戦争や大震災を体験しているだけに切実だ。『サンデー毎日』でそれぞれ連載を持つ2人の時評は、この日の話同様、時にニヒリズムに襲われながら、しかしカタストロフィーが来ないよう「おかしいことはおかしい」と述べる点で一貫している。口調の強さで国語力の乏しさを覆い隠す安倍首相とは異なり、時に言いよどみながら言葉を選び抜くしんどい作業を逃げずに続ける表現者の姿勢は、聞く者に勇気を与えてくれる。