無恥逃亡会見か<本澤二郎の「日本の風景」(3610)
<名俳優・チャップリンの「独裁」を連想した国民も>
好天の2月29日、よくエンストする中古の小型耕運機を持ち出して、借りている畑のごく一部を耕した。1日二食の早めの食事には、柔らかく炊いた白米に、納豆とフキノトウの炒め物、それに庭先に自生した、菜の茎の部分を切り取って、ゆで上げた濃緑の野菜、これぞ完ぺきな自然食に舌鼓をうち、いつもより倍の量の食べ物が胃袋を占拠した。
食べ過ぎに、慌てて外に飛び出した。夕闇を、ものともせず、早足の散歩だ。我が家もそうだが、どの家の梅も、微風に散っているのが目に付く。同級生のN子さん宅の寒桜は、今日も満開だ。
帰宅したのは午後6時10分ごろか。パソコンを開くと、無料テレビに日本の疫病神が映りだした。新型肺炎の記者会見のようだ。一見して威勢のいい言葉がさく裂している。しかし、よく見つめてみると、顔を左右に振りながらも、目が一点に集中している。
記者席から見ると透明だが、両側の二枚の板にくっきりと文字が浮かび出るプロンプターだ。よどみなく、短い舌で、速射砲のように言葉が飛び出す。桜事件ではないためだろうが、原稿の棒読みだから、国民向けの宣伝には効果的なのだ。
識者の中には、イギリスの名俳優・チャップリンの映画「独裁者」を見ているようだったという。主役にとって最高の宣伝、独演会で、およそ記者会見といえるものではなかった。
<記者の質問はゼロに等しいレベルで、国際社会では通用せず>
いつものことらしいが、質問時間30分程度と、あらかじめNHKと打ち合わせている。たっぷり20分は、自己宣伝に徹する。
残りの時間は、幹事社との馴れ合い質問、ついでの残りをNHKと読売の身内質問、あと一問はこれまた連携している特派員でおしまい。シナリオ通りの三流国の記者会見に終始した。
まじめに最初から最後まで見ていた国民はいただろうか?識者は呆れて途中でやめてしまうだろう。愚民は最初は見なかったが、最後の主役が逃げ出す場面を少し観戦することが出来た。
<まとも質問の声がかかると、事務方が止め、会場を逃げ出した!>
AP通信のさしたる中身のない質問の答弁が終わると、事務方が「時間」と幕引きを始めた。このとき会見場の後方で声がかかった。
まともな質問者が質問したいと声を上げたのだ。こんな場合、幹事社の出番であるが、それはなかった。あらかじめ幹事社と官邸は、シナリオ通りの約束をしている。独裁者に恥をかかせない、というシナリオなのだから。
思い出すと、7年8か月の長期政権・佐藤栄作の最後の記者会見は、大荒れとなった。幹事社が次々と立ち上がって、佐藤にかみついたのだ。佐藤は独裁者然として「テレビ以外は外に出ろ」とわめいた。
この一件は大きく報道された。1972年の日本は、まだまともだった。「いまは飼い主と飼い猫の記者会見」ということなのだろう。
<1日がかりの記者会見に役人の苦労はひとしお?>
新型肺炎は昨年12月からである。1月になると、それが本格化、武漢の悲惨な実情が世界に発信された。
それでも、日本には大勢の旅行客が押しかけていた。観光で稼ぎたい政府も与党も、喜んで受け入れた。一緒に新型肺炎も。東京湾からはクルーズ船で被害が拡大したが、日本の感染症対策のプロも、施設も少ない。
検査機能も弱い。医療大国というのは、嘘だった。そうしてクルーズ船乗客どころか、列島全体に感染者は増えているが、いかんせん、医療機関が逃げている。ことほど感染症治療体制は立ち遅れている。アメリカの比ではない。
この危機的な事態に政府は立ち往生、ひたすら無能な厚労省に丸投げして、被害を増大させてきた。「独裁者はどうしている」との声が、米国から投げつけてきた。あわてて「学校休業」を宣言したところ、全国からブーイング、この日の記者会見となった。
役人は、29日の土曜日、1日がかりで準備したようだ。当人も自宅と官邸で原稿の棒読みに徹したらしい。本番では、プロンプターという便利な会見武器が助けてくれた。
逃げるようにして飛び出したあとは、自宅へまっしぐらで、この日は終わった。
2020年3月1日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
<名俳優・チャップリンの「独裁」を連想した国民も>
好天の2月29日、よくエンストする中古の小型耕運機を持ち出して、借りている畑のごく一部を耕した。1日二食の早めの食事には、柔らかく炊いた白米に、納豆とフキノトウの炒め物、それに庭先に自生した、菜の茎の部分を切り取って、ゆで上げた濃緑の野菜、これぞ完ぺきな自然食に舌鼓をうち、いつもより倍の量の食べ物が胃袋を占拠した。
食べ過ぎに、慌てて外に飛び出した。夕闇を、ものともせず、早足の散歩だ。我が家もそうだが、どの家の梅も、微風に散っているのが目に付く。同級生のN子さん宅の寒桜は、今日も満開だ。
帰宅したのは午後6時10分ごろか。パソコンを開くと、無料テレビに日本の疫病神が映りだした。新型肺炎の記者会見のようだ。一見して威勢のいい言葉がさく裂している。しかし、よく見つめてみると、顔を左右に振りながらも、目が一点に集中している。
記者席から見ると透明だが、両側の二枚の板にくっきりと文字が浮かび出るプロンプターだ。よどみなく、短い舌で、速射砲のように言葉が飛び出す。桜事件ではないためだろうが、原稿の棒読みだから、国民向けの宣伝には効果的なのだ。
識者の中には、イギリスの名俳優・チャップリンの映画「独裁者」を見ているようだったという。主役にとって最高の宣伝、独演会で、およそ記者会見といえるものではなかった。
<記者の質問はゼロに等しいレベルで、国際社会では通用せず>
いつものことらしいが、質問時間30分程度と、あらかじめNHKと打ち合わせている。たっぷり20分は、自己宣伝に徹する。
残りの時間は、幹事社との馴れ合い質問、ついでの残りをNHKと読売の身内質問、あと一問はこれまた連携している特派員でおしまい。シナリオ通りの三流国の記者会見に終始した。
まじめに最初から最後まで見ていた国民はいただろうか?識者は呆れて途中でやめてしまうだろう。愚民は最初は見なかったが、最後の主役が逃げ出す場面を少し観戦することが出来た。
<まとも質問の声がかかると、事務方が止め、会場を逃げ出した!>
AP通信のさしたる中身のない質問の答弁が終わると、事務方が「時間」と幕引きを始めた。このとき会見場の後方で声がかかった。
まともな質問者が質問したいと声を上げたのだ。こんな場合、幹事社の出番であるが、それはなかった。あらかじめ幹事社と官邸は、シナリオ通りの約束をしている。独裁者に恥をかかせない、というシナリオなのだから。
思い出すと、7年8か月の長期政権・佐藤栄作の最後の記者会見は、大荒れとなった。幹事社が次々と立ち上がって、佐藤にかみついたのだ。佐藤は独裁者然として「テレビ以外は外に出ろ」とわめいた。
この一件は大きく報道された。1972年の日本は、まだまともだった。「いまは飼い主と飼い猫の記者会見」ということなのだろう。
<1日がかりの記者会見に役人の苦労はひとしお?>
新型肺炎は昨年12月からである。1月になると、それが本格化、武漢の悲惨な実情が世界に発信された。
それでも、日本には大勢の旅行客が押しかけていた。観光で稼ぎたい政府も与党も、喜んで受け入れた。一緒に新型肺炎も。東京湾からはクルーズ船で被害が拡大したが、日本の感染症対策のプロも、施設も少ない。
検査機能も弱い。医療大国というのは、嘘だった。そうしてクルーズ船乗客どころか、列島全体に感染者は増えているが、いかんせん、医療機関が逃げている。ことほど感染症治療体制は立ち遅れている。アメリカの比ではない。
この危機的な事態に政府は立ち往生、ひたすら無能な厚労省に丸投げして、被害を増大させてきた。「独裁者はどうしている」との声が、米国から投げつけてきた。あわてて「学校休業」を宣言したところ、全国からブーイング、この日の記者会見となった。
役人は、29日の土曜日、1日がかりで準備したようだ。当人も自宅と官邸で原稿の棒読みに徹したらしい。本番では、プロンプターという便利な会見武器が助けてくれた。
逃げるようにして飛び出したあとは、自宅へまっしぐらで、この日は終わった。
2020年3月1日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)