重い首相の任命責任<本澤二郎の「日本の風景」(3478)
<政治混乱は結果責任、安倍の口先責任は主権者を冒とく!>
首相官邸に品性などなくなって久しい。菅原のような事件発覚に対して、首相は一瞬の間だけ、殊勝な顔つきをして「任命責任は私。お詫びしたい」でやり過ごした。与野党の無力をいいことに、これまで何度も繰り返してきた。こんな腹黒い政治屋も珍しいが、政治混乱の収拾を口先だけで終わりにすることは、断じて許されない。口先責任は、主権者である国民を冒とくする、新たな犯罪的行為である。結果責任を国民に示す義務がある!
それにしても、菅原のような悪辣な国民の代表を選んだ有権者にあきれるばかりだ。民度の低さは、房総半島や神奈川県・愛知県・福岡県などの、やくざが跋扈している地域に限らないことを知らしめている。東京都民の民度も問われている。
そんな輩を、強引に押し出した幹事長の二階と官房長官の菅、それに応じた安倍晋三の三者の政治責任が、共に問われてもいる。官邸には、北村など捜査のプロが徘徊している。身体検査をする能力もあるのに、問題議員を入閣させたわけだ。官邸と自民党本部が腐りきっている証拠でもあろう。
他方、自民党の右翼化と腐敗阻止に成果を出すだろうと期待されていた信濃町の公明党創価学会も、いつもながら傍観者を決め込んだ。信濃町も毒饅頭に慣れてしまったのか。恐ろしい日本の前途を暗示している。
<国政を停滞・混乱、国民に政治不信をもたらした罪は重大>
安倍の任命責任は重い。国会審議から逃げ回っている安倍である。わずかな大事な国会審議を停滞させただけでも、政治責任は重い。
ましてや関電疑獄を目の前にしての問題議員の起用である。東電福島の放射能汚染対策にも責任を負っている、さらには日韓貿易問題の処理にも責任のある重要ポストに菅原を起用した首相責任は、極めて重いものがある。
一瞬の口先責任で許されるわけがない。
主権者が納得できる責任の取り方で、国民に詫びる責任がある。財閥にのみ、甘い汁を吸わせてきた安倍内閣である。そこに弱者・庶民大衆には10%消費税の強行である。国民の怒りは天を衝く勢いである。宮中での贅を尽くした狂宴に多数国民は、胸にこみあげる怒りを抱え込んでいる。
<検察は適切な捜査で違法議員を刑に服させる責任>
捜査当局は、憲法と法によって、国民に対して正義を貫く使命を帯びている。その代わりに国民は、税金で彼らの生活を保障している。国民のためのもので、権力者の手足ではない。
菅原事件の捜査は、適正に行われなければならない。「韓国の検察は捜査するが、日本は放任する」と揶揄されている昨今である。日本の検察は地に落ちてしまっている。
正義を貫けない検察は、国民による罷免の対象となる。
<一度も責任を取ったことがない田布施の心臓>
安倍内閣を採点すると、それは国民のための内閣ではない。安倍のための私的な内閣との印象を与えている。現に安倍内閣で尊敬と信頼を集めた閣僚は一人もいない。
したがって、いつでも総辞職に追い込まれる内閣といえる。それが7年も継続している。これの理由は明確である。
本来、政権を厳しく監視する責任を負っている新聞テレビが、政府の宣伝機関に成り下がっているためである。最近は相当数の国民が理解してきている。
悲しいことだが、彼らの多くは選挙で棄権している。主権者の権利を放棄している。救いがたい日本の実情ではある。
いえることは、田布施の心臓は、この7年間、多くの問題を引き起こしてきたが、1回も責任を取ったことがない。高額報酬を国庫に返上したことがない。「もう血税である官房機密費を使っての会食を止める」ということさえも。
この7年間、血税を60兆円も海外にばらまいてきた責任も巨大だ。拉致問題や北方領土問題では、1ミリも前進させることができなかった。むしろ大きく後退させてしまっている。
アメリカからの武器弾薬の爆買いに対して、狂喜しているのは財閥のみである。
<国会は無責任首相を放任することは許されない>
衆参の国会議員の責任が、いま問われている。国権の最高機関は議会にある。官邸の暴政を止める役割を担っている。裁判所も、である。三権を機能させる今である。議会は国民の信頼に応える時である。
2019年10月27日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
<政治混乱は結果責任、安倍の口先責任は主権者を冒とく!>
首相官邸に品性などなくなって久しい。菅原のような事件発覚に対して、首相は一瞬の間だけ、殊勝な顔つきをして「任命責任は私。お詫びしたい」でやり過ごした。与野党の無力をいいことに、これまで何度も繰り返してきた。こんな腹黒い政治屋も珍しいが、政治混乱の収拾を口先だけで終わりにすることは、断じて許されない。口先責任は、主権者である国民を冒とくする、新たな犯罪的行為である。結果責任を国民に示す義務がある!
それにしても、菅原のような悪辣な国民の代表を選んだ有権者にあきれるばかりだ。民度の低さは、房総半島や神奈川県・愛知県・福岡県などの、やくざが跋扈している地域に限らないことを知らしめている。東京都民の民度も問われている。
そんな輩を、強引に押し出した幹事長の二階と官房長官の菅、それに応じた安倍晋三の三者の政治責任が、共に問われてもいる。官邸には、北村など捜査のプロが徘徊している。身体検査をする能力もあるのに、問題議員を入閣させたわけだ。官邸と自民党本部が腐りきっている証拠でもあろう。
他方、自民党の右翼化と腐敗阻止に成果を出すだろうと期待されていた信濃町の公明党創価学会も、いつもながら傍観者を決め込んだ。信濃町も毒饅頭に慣れてしまったのか。恐ろしい日本の前途を暗示している。
<国政を停滞・混乱、国民に政治不信をもたらした罪は重大>
安倍の任命責任は重い。国会審議から逃げ回っている安倍である。わずかな大事な国会審議を停滞させただけでも、政治責任は重い。
ましてや関電疑獄を目の前にしての問題議員の起用である。東電福島の放射能汚染対策にも責任を負っている、さらには日韓貿易問題の処理にも責任のある重要ポストに菅原を起用した首相責任は、極めて重いものがある。
一瞬の口先責任で許されるわけがない。
主権者が納得できる責任の取り方で、国民に詫びる責任がある。財閥にのみ、甘い汁を吸わせてきた安倍内閣である。そこに弱者・庶民大衆には10%消費税の強行である。国民の怒りは天を衝く勢いである。宮中での贅を尽くした狂宴に多数国民は、胸にこみあげる怒りを抱え込んでいる。
<検察は適切な捜査で違法議員を刑に服させる責任>
捜査当局は、憲法と法によって、国民に対して正義を貫く使命を帯びている。その代わりに国民は、税金で彼らの生活を保障している。国民のためのもので、権力者の手足ではない。
菅原事件の捜査は、適正に行われなければならない。「韓国の検察は捜査するが、日本は放任する」と揶揄されている昨今である。日本の検察は地に落ちてしまっている。
正義を貫けない検察は、国民による罷免の対象となる。
<一度も責任を取ったことがない田布施の心臓>
安倍内閣を採点すると、それは国民のための内閣ではない。安倍のための私的な内閣との印象を与えている。現に安倍内閣で尊敬と信頼を集めた閣僚は一人もいない。
したがって、いつでも総辞職に追い込まれる内閣といえる。それが7年も継続している。これの理由は明確である。
本来、政権を厳しく監視する責任を負っている新聞テレビが、政府の宣伝機関に成り下がっているためである。最近は相当数の国民が理解してきている。
悲しいことだが、彼らの多くは選挙で棄権している。主権者の権利を放棄している。救いがたい日本の実情ではある。
いえることは、田布施の心臓は、この7年間、多くの問題を引き起こしてきたが、1回も責任を取ったことがない。高額報酬を国庫に返上したことがない。「もう血税である官房機密費を使っての会食を止める」ということさえも。
この7年間、血税を60兆円も海外にばらまいてきた責任も巨大だ。拉致問題や北方領土問題では、1ミリも前進させることができなかった。むしろ大きく後退させてしまっている。
アメリカからの武器弾薬の爆買いに対して、狂喜しているのは財閥のみである。
<国会は無責任首相を放任することは許されない>
衆参の国会議員の責任が、いま問われている。国権の最高機関は議会にある。官邸の暴政を止める役割を担っている。裁判所も、である。三権を機能させる今である。議会は国民の信頼に応える時である。
2019年10月27日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)