どうしてかアルツハイマー病になり
動脈瘤破裂手術で一週間生死の境をさ迷い
すっかり痴呆症で寝たきりになった母を
ベッドから車椅子でソファーへと運んだあと
朝食を食べさせてからの出勤だった
すぐ側にポータブルトイレとお茶をとおやつ置いて
時々は仕事から帰ると
ポータブルトイレに座ることに失敗して
下半身裸でカーペットに寝そべって
わんわん泣いている母がいた
母を抱き起こしながら
わんわんと泣いているぼくもいた
休みの日にはできるだけ向かいあって運動をした
お手玉やボールを使ってのキャッチボール
昔ソフトボールの選手だったという母を
「補欠じゃなくてバケツなんだろう、母さん」と言って
思いっきりぶつけられたこともあったっけ
運動に疲れると
お茶を飲んで一服しながら
大好きな宮澤賢治の童話や詩や
アイヌ民族ユーカラを一緒に読む
「今日のはどうだった?」と聞くと
いつもきょとんとしていた母
でも好き嫌いははっきりしていたので
たぶん気にいっていたんだろう
桜満開の季節にはせがまれることが多かった
「今年だけは桜を観に連れてってね」
そう入院中の母に頼まれていたのに
天候不順だった
仕事が忙し頃でもあった
その約束を果たせなかったのを
いまでも春になると思いだす
会社の上司の見舞いがあった午後から
意識不明となって一週間後に
あの世へと逝ってしまった母
その時の話を聞こうとしたら
その上司はそのすぐ直後に
遠くへと転勤という
こんな突然の転勤は
トヨタグループ内では初めて聞いた
その上司は葬式にも来てなかった
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古い自作詩リバイバル(21) 母の思い出
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