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Channel: 詩人PIKKIのひとこと日記&詩
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日航123便、墜落原因の続報 森永卓郎・青山透子・ベンゼン環(東海アマ)生存者を虐殺してまで隠蔽したこと=オレンジエア

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 大竹交遊録、森永卓郎のラジオ番組で、1985年、御巣鷹山に墜落して五百数十名の命を奪った、日航123便事故について、驚異的な新証拠が発見されたとの続報が話された。http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/166.html

  https://www.youtube.com/watch?v=fwhvLdZrMHk

  先の、日航123便の森永報告は
https://www.youtube.com/watch?v=H7MVF14ir8Q&t=10s

  これについての私のブログは
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-339.html


  日航123便墜落時、日航スチュワーデスだった青山透子氏は、その後、東大大学院に進み、博士号を取得、ノンフィクション作家として、日航123便事故追求に生涯を捧げてきた。

日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る 単行本 – 2017/7/17 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4309025943/asyuracom-22


  彼女は、1985年に墜落し、すでに33年を経て風化した現地の再調査を繰り返す中で、驚異的な新証拠を発見した。

  墜落現場の遺物をたくさん持ち帰り、精密検査をしたところ、多量のベンゼン環が発見されたのである。

  ベンゼン環は、123便ジェット燃料には決して含まれないもので、これは青山氏が、最初の現地調査で、捜索隊が現地に到着したとき、「ガソリンとタールが混合したような激しい臭気に満ちていた」との証言と、遺体の炭化度の凄まじさから、これは墜落時に漏洩したジェット燃料火災によるものでなく、人為的に「火炎放射器」によって、遺体と現場が焼かれていたことの非常に明瞭な証拠である。


  また、墜落時に、米軍は墜落機を追尾して、現地を確認し、即座に救助隊を送り込んだのだが、日本政府が、これを阻止し、米軍による救助を拒否し、さらに自衛隊の先遣隊が、その日のうちに現地に到着していた証拠があった。

  これらの事実について、公的資料から明らかにされているにもかかわらず、政府もマスコミも、まるで統制されているように、一様に口をつぐんでいるのは、フクイチ事故の被曝障害の実態を絶対に報道しないことと同じである。

  この先遣自衛隊が、火炎放射器を使って、まだ生きていた遺体ごと現場を焼却し、証拠隠滅を図ったとみて間違いない物証が出てきたわけである。
  そして、後発自衛隊員が、現地に近づくと、これを銃撃したことがNHKの実況中継から示された。
  後発隊の数名は、先遣隊が生存者を殺害している現場を目撃したことで、自殺に見せかけて殺害された。


  いったいなぜ、現場を完全に焼却して証拠隠滅する必要があったのか?
  中曽根康弘は、123便事故について、「墓場まで秘密を持って行く」と語った。

  http://rapt-neo.com/?p=28575

https://anincline.com/nakasone-yasuhiro/

  中曽根康弘が墓場に持って行く秘密とは、いったい何なのか?

  青山透子の現地調査と証言採集から、123便を、追うようにオレンジ色の物体が追尾していたという証言が得られている。
註、青山が採集した証言では、オレンジ色の物体が、尾翼に張り付くようにしていたと、たくさんの証言があり、相模湾上空で尾翼を破壊した模擬ミサイルが、そのまま水平尾翼に乗っかるようにして、御巣鷹山まで飛んだと考えられる。
  これを目撃した、機体後部の乗客を皆殺しにしたのである。
  火炎放射器を使った理由は、おそらく乗客のカメラを完全に焼いてフィルム証拠を隠滅するためだっただろう。


  これは、証言から、自衛隊が訓練用に使用している模擬ミサイルの破片であると考えてほぼ間違いない。
  日航123便を、異常飛行を起こす前に、二機の自衛隊戦闘機が、追尾していたと報告が多数あり、この機が装備していた模擬ミサイルの破片が墜落現場から発見されているのである。

  この模擬ミサイルが、123便の尾翼、圧力隔壁を破壊したのは、ほぼ確実といえよう。
  そうすれば、落合客室乗務員の証言と完全に一致した経過が明らかになる。

  http://www.link-21.com/JAL123/011.html

  自衛隊は、おそらく訓練として自衛隊機が模擬ミサイルを123便に発射し、それが尾翼を破壊して五百数十名の死者を出した事実を、墜落生存者を虐殺してまで隠蔽したかったのである。

  墜落時に多数の生存者がいたことも、たくさんの証言から明らかになっている。そして、たまたま、機体が分裂して前部が遠いスゲノ沢中に落ちて、後部の現場から見えなかったことで、落合さんや川上さんたちが殺害されずに救助されたのである。
  先遣自衛隊に発見された機体後部の生存者は、その場で火炎放射器によって激しく焼かれて殺害された。

 自衛隊は、なぜ、ここまで人道上の致命的な極悪判断をしてまで、証拠を隠滅したかたのか?

  おそらく、当時、防衛予算枠の1%枠問題があり、自衛隊に問題があることを知られたくなかったという強い意志が中曽根政権に働いた可能性があるが、詳細は分からない。

  中曽根は、「強い日本」の標語を掲げ、防衛費の大幅増大により、三木内閣が設定した1%枠を廃棄しようとしていたのであり、123便を自衛隊が墜落させたということになれば、おそらく巨大な問題になると同時に、中曽根政権の存続さえ危うくなると考えたのであろう。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%B2%BB1%25%E6%9E%A0

  中曽根が墓場に入るのは時間の問題だが、日航123便事故について、「墓場に持って行く」と語った秘密は、身の毛もよだつほどの恐ろしい内容であることは間違いないだろう。

  これほどの巨大な事件と残酷な証拠隠滅行為を、例え防衛庁長官であっても命令することなどできない。
  乗客をカメラごと火炎放射器で焼くよう命令できるのは、中曽根康弘総理大臣、ただ一人である。

  森永卓郎は、翌年、中曽根政権がプラザ合意によって、日本側が致命的に不利になり、その後の、数十年にわたる日本経済低迷の原因となった奇っ怪な経済協定について、なぜ、日本側が極端に不利な合意を飲まされたかについて、おそらく、この事故の隠蔽をネタにアメリカに脅されたのだろうと示唆している。

  これは十分にありうる話で、墜落時、米軍は完全にレーダー追尾していて、戦闘機も飛ばして墜落現場を確認して、救助ヘリまで送り込んでいながら、日本政府の要請によって撤退している。
  おそらく、アメリカ側は、この事件の真相を知っており、これを取引材料に使って中曽根政権を脅し、後々、日本経済を崩壊させるほどの不公平協定を結ばせたと考えるのには、十分すぎるほどの根拠がある。  

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