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Channel: 詩人PIKKIのひとこと日記&詩
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世に倦む日日 結果的には、昭和天皇はスターリンに巧く誑かされて、掌の上で操られていたわけだが

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結果的には、昭和天皇はスターリンに巧く誑かされて、掌の上で操られていたわけだが、なぜ昭和天皇と近衛文麿たちがソ連仲介講和の妄想に最後までしがみついていたかというと、あの独ソ不可侵条約の「ウルトラC」を見ていたからだ。スターリンのボス交政治を見て、期待を託したわけだね。世に倦む日日

長崎市長の平和宣言、素晴らしい。よく言ってくれた。https://twitter.com/yoniumuhibi/status/1292293750949986305?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Eembeddedtimeline%7Ctwterm%5Eprofile%3Ayoniumuhibi&ref_url=https%3A%2F%2Fcritic20.exblog.jp%2F

太平洋戦争すなわち対米戦争での昭和天皇の参謀は、たった一人、山本五十六だけだった。山本が死んでからは、全部一人で決めて進めている。基本は一撃講和策。それがどれも失敗して、ペリリュー島から持久消耗戦策を基軸とした講和策。→硫黄島→沖縄戦→本土決戦。そこにソ連仲介講和策をミックス。

ソ連が参戦してきた以上、ソ連軍が日本海を渡って東京に突入する前に、一刻も早く無条件降伏して、米軍に日本全土を占領してもらう必要があった。米軍に自分の命を守ってもらうために。国体護持とは一義的には裕仁天皇の命を守ることさ。ヒトラーやムソリーニと同じ運命にならないために。

統帥権者は昭和天皇だから。戦争の戦略判断や意思決定は天皇しかできない。梅津とか阿南とか、あんな小物に決められることじゃない。参謀は大元帥の下僚だ。ソ連仲介講和策も昭和天皇だよ。献策は近衛上奏文だが。相矛盾するいろんな策を打ってたんだね。昭和天皇は。ひたすら国体護持の目的のために。

欧州の日本の諜報機関がソ連参戦の確たる情報を大本営(→大元帥天皇)に打電しているのに、昭和天皇は、それを知りながら、スターリンとの独裁者同士のボス交の可能性を期待して、ポ宣言受諾を先延ばししていた。満州をくれてやるとか、ニンジン見せて条件交渉しているつもりになっていた。バカな男。

8月9日にソ連が参戦してそれを知った時点から、昭和天皇には、もうポ宣言受諾しか残されてなかったんですよ。だから内心ではそこで決断している。あとは内部の調整。一撃論も本土決戦論も、昭和天皇自身が決めて陸軍に進めてさせてきた策だから、無条件降伏決定との矛盾を調整しないといけなかった。

読了。一人称単数の短編集。満足。十分に満足。お勧めします。https://ddnavi.com/review/656391/a/ …







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