https://number.bunshun.jp/articles/-/422500?page=2
もっと認知されていい、“競馬の書き手”としての寺山。
「俳句、短歌、詩、ラジオドラマ、演劇、映画、評論、競馬コラム……。ジャンルを超えて表現し続けた寺山修司」(「読売新聞」'13年4月19日付)
「47年というその短い生涯の間に、文学、演劇、映画、競馬評論とマルチに活躍した寺山修司」(「日経トレンディネット」'13年4月16日付)
これらを見ておわかりのように、寺山のプロフィールを紹介するとき、競馬に関する文章を書いていたことは、決まって最後にポツンと加えられる程度だ。
が、競馬の著書だけでも、『馬敗れて草原あり』『競馬無宿』『競馬への望郷』『旅路の果て』『山河ありき』『競馬放浪記』『さらば、競馬よ』など数多く、また、競馬ファン以外にも広く読まれている『書を捨てよ、町へ出よう』の第2章「きみもヤクザになれる」などは半分ほどが競馬に関する内容だ。さらに、1頭だけだが、馬主として南関東でユリシーズという名の競走馬を所有したり、競馬特番のナビゲーターをつとめたりと、彼の活動全体に占める「競馬」の割合は、かなり大きかったはずだ。
競馬ファンとしては、世界的なクリエイターとして評価されている寺山が競馬をこよなく愛していたということが、もうちょっと認知されてほしいと思う。
没後30年を迎え、沸き起こった「寺山ブーム」。
寺山修司 てらやま しゅうじ
1935年12月10日、青森県弘前市生まれ。劇団「天井桟敷」を主宰したほか、詩人・歌人、エッセイスト、映画俳優など様々なジャンルで才能を発揮した。1983年5月4日、敗血症のため47歳で死去。没後30年の今年は、関連書籍の出版や寺山作品の上演が全相次いでいる。
去年、寺山の享年を追い越した私の世代から、もう20歳ほど上のいわゆる団塊の世代までで、寺山作品を読まずに競馬の文章を書いている人はいないと思う。寺山はそのくらい大きな存在で、実は、この連載コラムのシリーズタイトルも『書を捨てよ、町へ出よう』を想起させる「書を捨てよ、競馬場へ行こう」にしたいと思っていたのだが、ボツになった。
それはさておき、今年に入ってから5冊以上も寺山の関連本が出版されたり、書店でフェアが行われたり、映画祭「幻想と詩とエロチシズムの『寺山修司◎映像詩展』」が開かれたり、寺山戯曲が何十件も上演されたり、寺山と天井桟敷のポスターの展覧会が行われたり、写真が広告に使われたり……と、没後30年を迎え、「寺山ブーム」が来ていると言っていい状況だ。
先に引用した「日経トレンディネット」の記事には、「寺山の映画をマネた」と、顔を真っ白に塗って原宿を歩いている女の子たちがいたことが紹介されている。
また、前出の「読売新聞」の記事にある、九條今日子元夫人の「30年前、こんな現象が起きるとは私は思っていませんでしたが、本人は予測していたんじゃないか。寺山が増殖していくようで、驚いています」というコメントも興味深い。
【次ページ】 寺山修司という存在を持つ競馬ファンの幸せ。
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もっと認知されていい、“競馬の書き手”としての寺山。
「俳句、短歌、詩、ラジオドラマ、演劇、映画、評論、競馬コラム……。ジャンルを超えて表現し続けた寺山修司」(「読売新聞」'13年4月19日付)
「47年というその短い生涯の間に、文学、演劇、映画、競馬評論とマルチに活躍した寺山修司」(「日経トレンディネット」'13年4月16日付)
これらを見ておわかりのように、寺山のプロフィールを紹介するとき、競馬に関する文章を書いていたことは、決まって最後にポツンと加えられる程度だ。
が、競馬の著書だけでも、『馬敗れて草原あり』『競馬無宿』『競馬への望郷』『旅路の果て』『山河ありき』『競馬放浪記』『さらば、競馬よ』など数多く、また、競馬ファン以外にも広く読まれている『書を捨てよ、町へ出よう』の第2章「きみもヤクザになれる」などは半分ほどが競馬に関する内容だ。さらに、1頭だけだが、馬主として南関東でユリシーズという名の競走馬を所有したり、競馬特番のナビゲーターをつとめたりと、彼の活動全体に占める「競馬」の割合は、かなり大きかったはずだ。
競馬ファンとしては、世界的なクリエイターとして評価されている寺山が競馬をこよなく愛していたということが、もうちょっと認知されてほしいと思う。
没後30年を迎え、沸き起こった「寺山ブーム」。
寺山修司 てらやま しゅうじ
1935年12月10日、青森県弘前市生まれ。劇団「天井桟敷」を主宰したほか、詩人・歌人、エッセイスト、映画俳優など様々なジャンルで才能を発揮した。1983年5月4日、敗血症のため47歳で死去。没後30年の今年は、関連書籍の出版や寺山作品の上演が全相次いでいる。
去年、寺山の享年を追い越した私の世代から、もう20歳ほど上のいわゆる団塊の世代までで、寺山作品を読まずに競馬の文章を書いている人はいないと思う。寺山はそのくらい大きな存在で、実は、この連載コラムのシリーズタイトルも『書を捨てよ、町へ出よう』を想起させる「書を捨てよ、競馬場へ行こう」にしたいと思っていたのだが、ボツになった。
それはさておき、今年に入ってから5冊以上も寺山の関連本が出版されたり、書店でフェアが行われたり、映画祭「幻想と詩とエロチシズムの『寺山修司◎映像詩展』」が開かれたり、寺山戯曲が何十件も上演されたり、寺山と天井桟敷のポスターの展覧会が行われたり、写真が広告に使われたり……と、没後30年を迎え、「寺山ブーム」が来ていると言っていい状況だ。
先に引用した「日経トレンディネット」の記事には、「寺山の映画をマネた」と、顔を真っ白に塗って原宿を歩いている女の子たちがいたことが紹介されている。
また、前出の「読売新聞」の記事にある、九條今日子元夫人の「30年前、こんな現象が起きるとは私は思っていませんでしたが、本人は予測していたんじゃないか。寺山が増殖していくようで、驚いています」というコメントも興味深い。
【次ページ】 寺山修司という存在を持つ競馬ファンの幸せ。
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