http://www.labornetjp.org/news/2020/1594356282591staff01
●第45回 2020年7月10日(毎月10日)
倒されゆく、空疎な指導者の銅像の背後に何を読み取るか
*奴隷商人の像を引き倒す(イギリス・CNNより)
銅像に心ひかれたり、ましてや大事なものとして拝んだりしたことは、幼いころから、ほぼなかったと思う。郷里・釧路の高台には、松浦武四郎の銅像があった。なんでも、江戸時代の「探検家」「大旅行家」だったという。長じてその人物をよく知れば、当時、蝦夷地に押し寄せた和人に、アイヌの人びとが虐待されている現実に心を痛め、さまざまな記録を残したひとだった。そんな人道主義的な人物像を小学校でも中学校でも教えられなかったなあ、知らなかったなあと、悔やんだ。今では日本で、民族間の関係性を考える時、彼は無視できない存在になっている。銅像がなくても、彼の実像に近づく方法はいろいろとある。
現存する銅像で驚くのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、DPRK)の首都、ピョンヤンの万寿台に立つ金日成と金正日のそれだ。行ったことがないから、現物を見たわけではない。
写真や動画で見ただけだが、その大きさに圧倒される。像の前に立つ者、何かといえば花束を捧げる民衆との間に、これほどまでに「水平感」(=平等性)のない銅像は、どんな意図で作られるのか? それを思って、白けるばかりだ。DPRKは外貨稼ぎの一つとして、銅像の設計・建立を請け負っているという報道をいくつも見聞きしてきた。注文主は、アフリカ諸国が多い、とも。
私は、主要には1960年に始まるアフリカ諸国の独立の息吹に触れて、世界史像の形成を心掛けてきた人間だから、「独立」「解放」「革命」の果てに行き着くのが、その運動の指導者の巨大な銅像の建設だと知ると、侘しい。もちろん、民衆レベルで獲得された重要なものもあるだろうから「解放」を全否定はしない。だが、上に立つ「指導部」と、下に居並ぶ「民衆」との関係性を変革できない、むしろ固定化する、指導者の巨大な銅像の建立に終わるなら、何のための「解放」や「革命」なのかという問いを手放すわけにはいかない。
5月25日米国ミネアポリスで起こった、白人警官による黒人の虐殺事件は、思わぬ世界的な反響を得つつある。路上にねじ伏せた黒人の首を膝で8分間も押し続けるという警官の残虐な行為が、繰り返し映像で流されたことがきっかけだ。問いは、人種差別、その典型的な表われである奴隷制や奴隷貿易、植民地支配などの歴史的な「過去」が、実は過ぎ去ったものではなく、現在にまで繋がっているという形でなされている。西欧列強が世界各地を植民地分割するきっかけとなった「大航海と地理上の発見」を行なった15~16世紀のコロンブス、ニュージーランドのマオリ民族からの土地略奪戦争を指揮した19世紀の英国司令官ハミルトン、英国の南部アフリカ征服事業を行なった19世紀のセシル・ローズ、コンゴを「私的領地」として支配し住民に対する残酷な支配を行なった19世紀末のベルギー国王レオポルド2世、黒人差別を公言していた20世紀の米国大統領セオドア・ルーズベルト(このリストは、まだまだ続く)――などの銅像が世界各地で次々と倒されたり、行政や大学が自主的に撤去を決めたりしているのは、それらが分断と差別の「制度的な象徴」として機能してきたことに人びとが気づいたからだ。歴史認識上の地殻変動が、ミネアポリスの悲劇を契機に起こっているのだ。
この機を捉えて、重要な本が復刊される。トリニダード・トバゴの首相を務めた歴史家、エリック・ウィリアムズの『資本主義と奴隷制――ニグロ史とイギリス経済史』だ。原書は1944年に発行されたが、日本語訳が出たのは1968年だ(中山毅訳、理論社)。英国産業革命期の資金需要が奴隷制および奴隷貿易を主要な源泉としていた史実を明るみに出した画期的な書だ。例えば、ジェームス・ワットと蒸気機関の発明に融資された金はどこから? などが、18世紀の資料に即して分析されてゆく。原書発行当時、英国の「栄光の」歴史の背後に潜む闇を暴くこの書は、白人史家から徹底して無視された。風雪に耐えて生きながらえてきたこの書は、いま読まれるに相応しい。その後他社から新訳版も出たが、私は中山訳で読まれることをお勧めする(ちくま学芸文庫で復刊)。付け加えるなら、ウィリアムズの『コロンブスからカストロまで――カリブ海域史、1492-1969』全2巻(岩波現代文庫)も、世界と歴史の捉え方に変革を迫る。
指導者の空疎な銅像を引き倒す行為に「暴力」の表象のみを読み取って眉を顰めるのは〈反動的な〉態度だ。それを裏打ちする史実と理論を知れば、世界の変革はどんなふうに実現されてゆくかが見えてくる。
●第45回 2020年7月10日(毎月10日)
倒されゆく、空疎な指導者の銅像の背後に何を読み取るか
*奴隷商人の像を引き倒す(イギリス・CNNより)
銅像に心ひかれたり、ましてや大事なものとして拝んだりしたことは、幼いころから、ほぼなかったと思う。郷里・釧路の高台には、松浦武四郎の銅像があった。なんでも、江戸時代の「探検家」「大旅行家」だったという。長じてその人物をよく知れば、当時、蝦夷地に押し寄せた和人に、アイヌの人びとが虐待されている現実に心を痛め、さまざまな記録を残したひとだった。そんな人道主義的な人物像を小学校でも中学校でも教えられなかったなあ、知らなかったなあと、悔やんだ。今では日本で、民族間の関係性を考える時、彼は無視できない存在になっている。銅像がなくても、彼の実像に近づく方法はいろいろとある。
現存する銅像で驚くのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、DPRK)の首都、ピョンヤンの万寿台に立つ金日成と金正日のそれだ。行ったことがないから、現物を見たわけではない。
写真や動画で見ただけだが、その大きさに圧倒される。像の前に立つ者、何かといえば花束を捧げる民衆との間に、これほどまでに「水平感」(=平等性)のない銅像は、どんな意図で作られるのか? それを思って、白けるばかりだ。DPRKは外貨稼ぎの一つとして、銅像の設計・建立を請け負っているという報道をいくつも見聞きしてきた。注文主は、アフリカ諸国が多い、とも。
私は、主要には1960年に始まるアフリカ諸国の独立の息吹に触れて、世界史像の形成を心掛けてきた人間だから、「独立」「解放」「革命」の果てに行き着くのが、その運動の指導者の巨大な銅像の建設だと知ると、侘しい。もちろん、民衆レベルで獲得された重要なものもあるだろうから「解放」を全否定はしない。だが、上に立つ「指導部」と、下に居並ぶ「民衆」との関係性を変革できない、むしろ固定化する、指導者の巨大な銅像の建立に終わるなら、何のための「解放」や「革命」なのかという問いを手放すわけにはいかない。
5月25日米国ミネアポリスで起こった、白人警官による黒人の虐殺事件は、思わぬ世界的な反響を得つつある。路上にねじ伏せた黒人の首を膝で8分間も押し続けるという警官の残虐な行為が、繰り返し映像で流されたことがきっかけだ。問いは、人種差別、その典型的な表われである奴隷制や奴隷貿易、植民地支配などの歴史的な「過去」が、実は過ぎ去ったものではなく、現在にまで繋がっているという形でなされている。西欧列強が世界各地を植民地分割するきっかけとなった「大航海と地理上の発見」を行なった15~16世紀のコロンブス、ニュージーランドのマオリ民族からの土地略奪戦争を指揮した19世紀の英国司令官ハミルトン、英国の南部アフリカ征服事業を行なった19世紀のセシル・ローズ、コンゴを「私的領地」として支配し住民に対する残酷な支配を行なった19世紀末のベルギー国王レオポルド2世、黒人差別を公言していた20世紀の米国大統領セオドア・ルーズベルト(このリストは、まだまだ続く)――などの銅像が世界各地で次々と倒されたり、行政や大学が自主的に撤去を決めたりしているのは、それらが分断と差別の「制度的な象徴」として機能してきたことに人びとが気づいたからだ。歴史認識上の地殻変動が、ミネアポリスの悲劇を契機に起こっているのだ。
この機を捉えて、重要な本が復刊される。トリニダード・トバゴの首相を務めた歴史家、エリック・ウィリアムズの『資本主義と奴隷制――ニグロ史とイギリス経済史』だ。原書は1944年に発行されたが、日本語訳が出たのは1968年だ(中山毅訳、理論社)。英国産業革命期の資金需要が奴隷制および奴隷貿易を主要な源泉としていた史実を明るみに出した画期的な書だ。例えば、ジェームス・ワットと蒸気機関の発明に融資された金はどこから? などが、18世紀の資料に即して分析されてゆく。原書発行当時、英国の「栄光の」歴史の背後に潜む闇を暴くこの書は、白人史家から徹底して無視された。風雪に耐えて生きながらえてきたこの書は、いま読まれるに相応しい。その後他社から新訳版も出たが、私は中山訳で読まれることをお勧めする(ちくま学芸文庫で復刊)。付け加えるなら、ウィリアムズの『コロンブスからカストロまで――カリブ海域史、1492-1969』全2巻(岩波現代文庫)も、世界と歴史の捉え方に変革を迫る。
指導者の空疎な銅像を引き倒す行為に「暴力」の表象のみを読み取って眉を顰めるのは〈反動的な〉態度だ。それを裏打ちする史実と理論を知れば、世界の変革はどんなふうに実現されてゆくかが見えてくる。