毎木曜掲載・第162回(2020/6/18)
若い感性が描いた沖縄戦の真実
『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(大矢英代、あけび書房、2020年2月刊、1600円)評者:志真秀弘
6月23日、沖縄慰霊の日は、敗戦後75年の今年も巡ってくる。新型コロナウィルスのために少し規模を縮小して、しかし今年も例年通り、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われる。軍民あわせて20万人を越す人々が亡くなり、沖縄県民の4人にひとりが亡くなる過酷な地上戦の果てに、75年前のこの日沖縄戦は終わった。
本書は、この沖縄戦に起きた波照間島をはじめ八重山諸島から西表島への強制移住がもたらしたマラリア死が3600人を越す事実を追った若い映画監督のルポルタージュである。映像はすでに『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵監督と本書の著者との共同監督作品)として公開され、2019年度文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞、第92回キネマ旬報文化映画部門ベストワンなどに選ばれた。陸軍中野学校を出たばかりの士官が15、6歳の少年達を組織し秘密戦をたたかった事実、そして強制移住によるマラリア死の事件を、わたしはこの作品をみて初めて知り、強い衝撃を受けた。
著者(写真/映画サイトより)は作品でこのマラリア死の事件を、生き残った「おじいおばあ」の証言によって描いた部分を担当した。戦闘などまるでなかったにも関わらず波照間島の人々は、西表島のマラリアが蔓延する密林深くに日本軍の命令によって移住させられ、島民の三分の一にあたる500人を越す人たちが亡くなる。この背景には「総動員警備要項」(1944年8月)に基づく「沿岸警備計画設定上の基準」があり、そこで八重山諸島は「主要警備の島嶼」つまり本土防衛の要となっていた。
本書は強制移住の取材にまつわるエピソードに後日談を交えたルポルタージュだが、1987年生まれの若い感性が全編に漲っていて、読んでいて清々しい気持ちになる。まず波照間島の人たちの生活を自分も体験しようと「サトウキビ畑で鎌を振り、汗を流し、キビを刈」る。最初は理解できなかった島の言葉「ベスマムニ」も3ヶ月するとわかるようになり、「ウランゲーヌアマンタマ(浦中家の女の子)」と呼ばれ、八重山民謡も三線をひきながら歌えるようになる。はじめは戦争証言を記録するぞと構えていた心もねられて柔らかくなり、「おじいおばあ」の心の深いところが見えてくるように思える。
このあたりは映画には描かれないが、みずみずしい感性は映像表現にもたしかに反映していた。
島民を西表に追い立てた「山下兵曹」は当初波照間青年学校指導員の「山下虎雄先生」として、沖縄戦が始まる3か月前、1944年の暮れ、島に現れる。「やさしい先生」だった彼は、実は陸軍中野学校を出た大本営派遣の「スパイ」だった。1945年の正月に石垣島司令部へ行き「全島民を西表島に疎開させろ」との軍命をうけると彼の態度は豹変する。家畜はすべて屠殺しろと命じ、抜刀して人々を脅して移住へと追い立てた。戦後は酒井清(本名)として生きるが、軍命=天皇の命令を盾に波照間の人々への謝罪はなにひとつ語ろうとしない(1990年、宮良作・元沖縄県議会議員による電話インタビュー)。
著者は、しかし、もし自分が彼と全く同じ「任務」を与えられたらどうしただろうと考え、自分の中にあるおぞましい弱さにゾッとする。著者の素直な自省心はよりはっきりと戦争の罪を明るみに出す。
一方、自分を正当化して恥じない「酒井」の態度をあとづけるように、2010年に「新防衛大綱」が閣議決定され「島嶼部における対応能力の強化」が定められる。いま与那国島に自衛隊レーダーが、石垣島、宮古島、沖縄本島、奄美大島に自衛隊ミサイルが配備された。まるでかつての「主要警備の島嶼」をなぞるかのようだ。戦争マラリアは終わっていない、本当に終わらせるのは「私たちの選択と行動」と著者は書く。沖縄戦は過去のことではなく今の問題です、全身を波照間島に浸すようにして著者は繰り返し訴える。
なお本書は第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した。
本書といわば対をなす『証言 沖縄スパイ戦史』(三上智恵、集英社新書)は、次のわたしの担当回(7月16日)にぜひ紹介したい。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。
若い感性が描いた沖縄戦の真実
『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(大矢英代、あけび書房、2020年2月刊、1600円)評者:志真秀弘
6月23日、沖縄慰霊の日は、敗戦後75年の今年も巡ってくる。新型コロナウィルスのために少し規模を縮小して、しかし今年も例年通り、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われる。軍民あわせて20万人を越す人々が亡くなり、沖縄県民の4人にひとりが亡くなる過酷な地上戦の果てに、75年前のこの日沖縄戦は終わった。
本書は、この沖縄戦に起きた波照間島をはじめ八重山諸島から西表島への強制移住がもたらしたマラリア死が3600人を越す事実を追った若い映画監督のルポルタージュである。映像はすでに『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵監督と本書の著者との共同監督作品)として公開され、2019年度文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞、第92回キネマ旬報文化映画部門ベストワンなどに選ばれた。陸軍中野学校を出たばかりの士官が15、6歳の少年達を組織し秘密戦をたたかった事実、そして強制移住によるマラリア死の事件を、わたしはこの作品をみて初めて知り、強い衝撃を受けた。
著者(写真/映画サイトより)は作品でこのマラリア死の事件を、生き残った「おじいおばあ」の証言によって描いた部分を担当した。戦闘などまるでなかったにも関わらず波照間島の人々は、西表島のマラリアが蔓延する密林深くに日本軍の命令によって移住させられ、島民の三分の一にあたる500人を越す人たちが亡くなる。この背景には「総動員警備要項」(1944年8月)に基づく「沿岸警備計画設定上の基準」があり、そこで八重山諸島は「主要警備の島嶼」つまり本土防衛の要となっていた。
本書は強制移住の取材にまつわるエピソードに後日談を交えたルポルタージュだが、1987年生まれの若い感性が全編に漲っていて、読んでいて清々しい気持ちになる。まず波照間島の人たちの生活を自分も体験しようと「サトウキビ畑で鎌を振り、汗を流し、キビを刈」る。最初は理解できなかった島の言葉「ベスマムニ」も3ヶ月するとわかるようになり、「ウランゲーヌアマンタマ(浦中家の女の子)」と呼ばれ、八重山民謡も三線をひきながら歌えるようになる。はじめは戦争証言を記録するぞと構えていた心もねられて柔らかくなり、「おじいおばあ」の心の深いところが見えてくるように思える。
このあたりは映画には描かれないが、みずみずしい感性は映像表現にもたしかに反映していた。
島民を西表に追い立てた「山下兵曹」は当初波照間青年学校指導員の「山下虎雄先生」として、沖縄戦が始まる3か月前、1944年の暮れ、島に現れる。「やさしい先生」だった彼は、実は陸軍中野学校を出た大本営派遣の「スパイ」だった。1945年の正月に石垣島司令部へ行き「全島民を西表島に疎開させろ」との軍命をうけると彼の態度は豹変する。家畜はすべて屠殺しろと命じ、抜刀して人々を脅して移住へと追い立てた。戦後は酒井清(本名)として生きるが、軍命=天皇の命令を盾に波照間の人々への謝罪はなにひとつ語ろうとしない(1990年、宮良作・元沖縄県議会議員による電話インタビュー)。
著者は、しかし、もし自分が彼と全く同じ「任務」を与えられたらどうしただろうと考え、自分の中にあるおぞましい弱さにゾッとする。著者の素直な自省心はよりはっきりと戦争の罪を明るみに出す。
一方、自分を正当化して恥じない「酒井」の態度をあとづけるように、2010年に「新防衛大綱」が閣議決定され「島嶼部における対応能力の強化」が定められる。いま与那国島に自衛隊レーダーが、石垣島、宮古島、沖縄本島、奄美大島に自衛隊ミサイルが配備された。まるでかつての「主要警備の島嶼」をなぞるかのようだ。戦争マラリアは終わっていない、本当に終わらせるのは「私たちの選択と行動」と著者は書く。沖縄戦は過去のことではなく今の問題です、全身を波照間島に浸すようにして著者は繰り返し訴える。
なお本書は第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した。
本書といわば対をなす『証言 沖縄スパイ戦史』(三上智恵、集英社新書)は、次のわたしの担当回(7月16日)にぜひ紹介したい。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。