https://ameblo.jp/masaya1015/entry-12605044952.html
今日も昨日に引き続き、戦中において中国東北部ハルピンの郊外にあった731部隊の要塞の中で行われていた生体実験の一部を「悪魔の飽食」の中から転載しますが、画像は要塞の内部です。
上半身裸にさせられた中国人少年は、命ぜられた通り台の上へ身を横たえた。中国人少年はこれから自分の身の上に起こるべきことを理解していなかった。下穿きを脱がせると、少年の性器にはほとんど陰毛がなかった。大体において中国東北部の人々は体毛が薄い。少年の年齢は十二、三歳と推測された。
仰向けに寝た少年の口と鼻孔にクロロホルムを浸した脱脂綿が押し当てられた。全身に麻酔が回ったころ、中国人少年の身体がアルコールで拭き清められた。
台を囲んだ田部班員の中から、古参雇員が手にメスを握って一歩少年に近寄った。胸部に沿ってY字型にメスが入る。コッヘル鉗子で止血された皮膚に血玉がブツブツ湧き出て白い脂肪が露出した。生体解剖が始まったのである。
「少年はマルタやない・・・子どもやさかに別に抗日運動をやったわけではない。それを解部(バラス)したのは、健康な少年男子の臓器が欲しかったためとあとでわかった。少年はそれだけのために生きたまま腑分けされたんや・・・」のちにこの解剖光景を回想した元七三一隊員の言葉である。眠っている少年の体内から腸、膵臓、肝臓、腎臓、胃袋と手際よく各種の臓器が取り出され、一つずつ選り分けられては計量された後、バケツの中に投げ込まれた。計量器に載せられた各臓器はまだ蠕動を続けているために計量器の針が振れ、隊員は目盛りを読み取るに苦労した。
バケツの中に放り込まれた臓器は、直ちに備え付けの大きなホルマリン液の入ったガラス容器に移され蓋をされた。少年の体液に濡れたメスが光る。血泡の噴き出る中、一雇員の手際よい執刀により、少年の上半身はほとんど空洞になった。取り出された臓器はホルマリン液の中に浮かんで、びくびくと盛んな収縮運動を繰り返した。「おい、まだ生きとるやないか」誰かが言った。人間の活け造りであった。
胃袋を取り肺を切除したあとは中国人少年の頭だけが残った。毬栗坊主の小さな頭である。それを湊班の一人が台に固定し、耳から鼻にかけてメスを入れた。頭皮が切り落とされたあと、鋸が入れられ、頭蓋事が三角形に切り取られた。脳が露出したところで、隊員が柔らかな保護膜に手を入れ、豆腐でも取り出すように少年の脳を取り出した。それを手早くホルマリン容器に移す。
台の上にには少年の四肢と空洞になった形骸だけが残された。解部は終わった。
「持って行け」少年の臓器を入れたホルマリン容器を、待機していた隊員が次々と持ち去った少年の強制された死に一掬の感情も寄せられなかった。それは処刑ですらなかった。悪魔の食前に供えられた一体の肉に過ぎなかったのである。
容器を捧げ持って隊員が廊下を歩くと、ホルマリン液の中でタブタブと音を立てて臓器が収縮した。かなり重いその容器を隊員たちは落とさないように捧げ持った。
おそらく思春期の門口に佇んでいたであろうこの中国少年の名は多数の「丸太」同様いまだにわからない。少年は自分が生きながら解部されている事実を知る由もなかった。少年に強制されたわずかなまどろみの中にすべてが完了したのである。
「生体の解剖なれば取り出せし 心臓秤上に幾度か鼓動す」 一九四0年九月頃浙江省杭州市郊外の筧橋において逮捕された(中国人ゲリラ)が蒋介石の中央航空学校跡地で斬首処刑された直後、胴体を七三一岡本班が解剖した現場を目撃した元七三一隊員Ⅰ.N氏が当時を回想して詠んだ歌である。
(今日はここまで)
2020年6月18日
船橋市海神:弓場清孝
今日も昨日に引き続き、戦中において中国東北部ハルピンの郊外にあった731部隊の要塞の中で行われていた生体実験の一部を「悪魔の飽食」の中から転載しますが、画像は要塞の内部です。
上半身裸にさせられた中国人少年は、命ぜられた通り台の上へ身を横たえた。中国人少年はこれから自分の身の上に起こるべきことを理解していなかった。下穿きを脱がせると、少年の性器にはほとんど陰毛がなかった。大体において中国東北部の人々は体毛が薄い。少年の年齢は十二、三歳と推測された。
仰向けに寝た少年の口と鼻孔にクロロホルムを浸した脱脂綿が押し当てられた。全身に麻酔が回ったころ、中国人少年の身体がアルコールで拭き清められた。
台を囲んだ田部班員の中から、古参雇員が手にメスを握って一歩少年に近寄った。胸部に沿ってY字型にメスが入る。コッヘル鉗子で止血された皮膚に血玉がブツブツ湧き出て白い脂肪が露出した。生体解剖が始まったのである。
「少年はマルタやない・・・子どもやさかに別に抗日運動をやったわけではない。それを解部(バラス)したのは、健康な少年男子の臓器が欲しかったためとあとでわかった。少年はそれだけのために生きたまま腑分けされたんや・・・」のちにこの解剖光景を回想した元七三一隊員の言葉である。眠っている少年の体内から腸、膵臓、肝臓、腎臓、胃袋と手際よく各種の臓器が取り出され、一つずつ選り分けられては計量された後、バケツの中に投げ込まれた。計量器に載せられた各臓器はまだ蠕動を続けているために計量器の針が振れ、隊員は目盛りを読み取るに苦労した。
バケツの中に放り込まれた臓器は、直ちに備え付けの大きなホルマリン液の入ったガラス容器に移され蓋をされた。少年の体液に濡れたメスが光る。血泡の噴き出る中、一雇員の手際よい執刀により、少年の上半身はほとんど空洞になった。取り出された臓器はホルマリン液の中に浮かんで、びくびくと盛んな収縮運動を繰り返した。「おい、まだ生きとるやないか」誰かが言った。人間の活け造りであった。
胃袋を取り肺を切除したあとは中国人少年の頭だけが残った。毬栗坊主の小さな頭である。それを湊班の一人が台に固定し、耳から鼻にかけてメスを入れた。頭皮が切り落とされたあと、鋸が入れられ、頭蓋事が三角形に切り取られた。脳が露出したところで、隊員が柔らかな保護膜に手を入れ、豆腐でも取り出すように少年の脳を取り出した。それを手早くホルマリン容器に移す。
台の上にには少年の四肢と空洞になった形骸だけが残された。解部は終わった。
「持って行け」少年の臓器を入れたホルマリン容器を、待機していた隊員が次々と持ち去った少年の強制された死に一掬の感情も寄せられなかった。それは処刑ですらなかった。悪魔の食前に供えられた一体の肉に過ぎなかったのである。
容器を捧げ持って隊員が廊下を歩くと、ホルマリン液の中でタブタブと音を立てて臓器が収縮した。かなり重いその容器を隊員たちは落とさないように捧げ持った。
おそらく思春期の門口に佇んでいたであろうこの中国少年の名は多数の「丸太」同様いまだにわからない。少年は自分が生きながら解部されている事実を知る由もなかった。少年に強制されたわずかなまどろみの中にすべてが完了したのである。
「生体の解剖なれば取り出せし 心臓秤上に幾度か鼓動す」 一九四0年九月頃浙江省杭州市郊外の筧橋において逮捕された(中国人ゲリラ)が蒋介石の中央航空学校跡地で斬首処刑された直後、胴体を七三一岡本班が解剖した現場を目撃した元七三一隊員Ⅰ.N氏が当時を回想して詠んだ歌である。
(今日はここまで)
2020年6月18日
船橋市海神:弓場清孝