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パリの窓から : 「アダマ・ジェネレーション」/警察による暴力と差別に抗議する若者たち 飛幡祐規

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 第70回・2020年6月16日掲載
「アダマ・ジェネレーション」〜警察による暴力と差別に抗議する若者たち

 5月25日にアメリカのミネアポリスで起きた警官による黒人殺害事件以後、レイシズムと警察の暴力に対する大きな抗議運動はアメリカ国内やブラジルだけでなく、ヨーロッパ各地に波及した。フランスでは、ジョージ・フロイドと同様にうつ伏せに上体をおさえられて死亡した事件が起きており、ロックダウン解除2段階目(パリでもレストランとカフェのテラス使用が可能)になった直後の6月2日、数万人を集めるデモが行われた。

 6月2日の夜、ジョージ・フロイド殺害に対するアメリカでの抗議運動を受けて、フランスのいくつかの都市(パリ、リール、リヨン、マルセイユ)でも抗議集会が行われた。パリでは司法裁判所(シテ島の司法宮からパリ北部ポルト・ド・クリシーの新築ビルに2018年に移転)前に、2万人を超える(数万人?)大勢の人(とりわけ若者)が集まった。呼びかけたのは、「アダマ・トラオレに真理を!」という委員会だ。

 アダマ・トラオレ(24歳)は2016年7月、パリの北郊外の町で憲兵隊に逮捕されて窒息死した(フランスでは警察は都市部のみ、農村部や周辺地域は軍隊に属する憲兵隊が伝統的に警察の仕事を担当する。サルコジ改革で憲兵隊も内務省の管轄となった)。憲兵隊員3人によってジョージ・フロイドと同じ姿勢で押さえつけられたが、司法解剖の鑑定で死因は心筋疾患とされる。その後2度の鑑定を経た後に「遺伝性の疾患」などと結論され、憲兵の責任は問われなかった。アダマの姉アサなど家族と友人たちは、疾患などなかった青年の死をめぐるこの事件の扱いに疑問を持ち、「アダマ・トラオレに真理を!」委員会を立ち上げ、真理の追求を司法に要求し続けてきた。今年の5月29日に再び、新たな死因鑑定はいくつかの疾患やマリファナ摂取を理由に、憲兵の責任を否定した。家族は、死因としてあげられた疾患部門の専門医による独立の鑑定を自ら出資し、今年の3月と新たな鑑定後の6月2日、専門医の鑑定ではうつ伏せ押さえつけの姿勢がもたらした肺水腫が死因という結論が出た。

 「アダマ委員会」はこの4年間、活発に真理追求のアピールを行い、何度もデモ・集会を行ってきたが、6月2日の呼びかけではジョージ・フロイド事件後の世界的な世論の高まりを受けて、驚くほど大勢の人を集めた。集会開始の数時間前にパリ警視庁が「健康緊急事態」を理由に集会を禁止したにもかかわらず、大多数がマスクを着用した主に若い層(移民系も多い)が司法裁判所付近の道路を埋めつくした。警察による暴力とレイシズムに対してアメリカの大勢の市民が行動を起こしたのを見て、フランスにおける同様の暴力と差別(警察の暴力の対象は移民系だけではないが)の存在が、改めて認識されたのだろう。Black Lives Matterがたくさんのプラカードに掲げられ、ハシュタグにも使われて大量にツイートされる。ワインスタインの事件後、アメリカの#Me Too運動がフランスにも大きく波及して大勢の女性たちが行動を起こし、性暴力・セクハラに対する社会(メディアを含め)の認識が変わってきたことと類似している。

 続く6月4日、警察官・憲兵たちによる黒人とアラブ系に対するレイシズム、反ユダヤ主義、女性とLGBT差別、極左嫌悪の現実を示す二つの重大な調査記事がネットで流れた。一つはアルテ・ラジオとメディアパルトが発信した昨年末の事件だ。ある黒人の警官が、WhatsAppのグループで同僚たちがひどい差別発言(彼に対してだけでなく)や白人至上主義、ファシズムに近い言葉を交換していることを発見し、訴えた。警察内部の監察機関IGPNが調査を開始したが、そのままになっていた。ところが、ネットでそれらの言葉が公開されて、世論に大きなショックを与えた。もう一つは、2009年から活動している独立ウェブ・ジャーナリズムStreetPressの記事だ。警察官・憲兵8000人ものメンバーがいる非公開のFacebookグループが、差別発言と嘲笑のコメントの洪水(ネトウヨの次元といおうか)であることが暴かれた。

 これまで治安部隊による暴力を否定し続けてきたカスタネール内務大臣は、抗議の高まりのせいか、大規模なデモの翌日に元老院での質問に対し、「(警官による)暴力や差別発言が起きたら調査し、処罰する」と約束した。そして、上記のFacebookグループに対して検察局に訴え、「公共空間における差別的罵詈雑言」と「人種嫌悪の挑発」の予備調査が開始された。反レイシズム団体も訴訟を起こした。また、アルテ・ラジオに流れた差別発言事件(ルーアン)においても5日、突如として警官6人が懲罰委員会に送られた。

 6日の土曜日にもフランス各地で「警察による暴力」と差別に抗議するデモが行われ、警察発表では23300人だからその2倍くらいの人を集めただろう。パリではアメリカ大使館前(治安部隊が固く守ったのでコンコルド広場へ)とシャンドマルス公園の2か所の集会が呼びかけられたが、警視庁は両方とも禁止したので、主催者は「散歩しよう」と呼びかけた。コンコルドからシャンドマルスに行こうとした人々は、橋が通行禁止になってジョイントできなかったが、双方で1万人以上集まったのではないだろうか。とりわけ大勢の若者が、禁止されても路上に出てきたのはたくましい。報道の語調も変わってきた感じだ。

 一方、イギリスのジョンソン首相に続いて、ドイツのメルケル首相もジョージ・フロイドの殺害とレイシズムを糾弾し、自国にもレイシズムがあると認めたのに、フランスではマクロンも首相も(ほとんど)無言のままだ。ロックダウン中も解除後も、移民系の若者たちに対する過度の職務質問など警察・憲兵隊による権力の濫用は続き、時にはそれが暴力行為や不当逮捕につながる現実は変わらない。例えば5月25日〜26日の夜、セーヌ・サン=ドゥニ県のボンディーで14歳の少年ガブリエルが警官から暴力を受け、幸い死に至らなかったが頭部への重傷を負った。現地で議員などを含む100名ほどが抗議集会を開いたが、この県(93)では警官による暴力事件が頻発する。ボンディー出身の人気サッカー選手、エムバペも「ガブリエルに正義を」というメッセージをSNSに送った。政府はこの事件について無言だが、国営を含むいくつかのメディアではジョージ・フロイド事件以後、警官による暴力事件や差別の問題を頻繁に取り上げ、調査も行うようになった。

 6月9日はアメリカでのジョージ・フロイドの葬儀の日だったため、パリなどフランス各地で再び集会が行われた。SOSラシスム主催によるレピュブリック広場の集会はなぜか禁止されず、集まった人々は8分46秒間ひざまずいた(本当に長い、窒息死するのに十分だ)。先週2日火曜の巨大デモ、6日土曜の大デモに比べると少ない人数だったのは、社会党系のSOSラシスムはアダマ委員会ほど移民系など若い世代への影響力をもたないからだろう。集会では、1986年に警官の暴力によって死亡したマリック・ウセキン(1991年に上梓した最初の書き下ろし『ふだん着のパリ案内』の中で書いたので、よく覚えている)など、警官による暴力の犠牲になった若者たちの家族がマイクを持った。歌手・女優のカメリア・ジョルダナは、ジョーン・バエズの懐かしい曲We shall overcomeを歌った。

 前日の8日、カスタネール内務大臣は警察の職業倫理を改善する措置をいくつか発表し、「レイシズムが明らかになれば停職」を告げた。早速、極右の警察組合が大反発した。また、マクロン大統領の要請を受けて、ベルベ法務大臣はアダマ・トラオレ家族に面会を提案した。法務大臣は司法独立の法則により個々のケースに関わってはならないのだから、マクロンも法相も民主主義の基本が分かっていない(これまでも同様の例がたくさん例がある)。アダマの姉アサ・トラオレは当然、面会を拒否した。一方、世論とメディアの圧力のせいか5日、家族がずっと求めてきた2人の証人の聴問を判事が行うと告げた。

 このように、大規模な抗議運動とメディアで治安部隊による暴力と差別の問題が急に(ようやく)「事実」として広く認識されるようになったので、政府も少しは対応しないわけにいかなくなってきたようだ。しかし、マクロン政権は「黄色いベスト」運動以来、治安部隊の暴力によってのみ成り立っているため、この問題に本気で取り組むとはあまり考えられない。極右の国民連合(ル・ペンの党)と保守共和国連合は依然として、いや以前にも増して警察による暴力と差別を頭から否定し、逆に移民系若者たちを暴力集団のように語る。

 一方、左派の「屈服しないフランス」と共産党、緑の党はこの抗議運動を支持し、ジャン=リュック・メランションはとりわけ、アメリカで起きている「市民の反抗」を自説の「市民による革命」に結びつける。実際、集会では「自由・平等・友愛」のプラカードも掲げられる。社会党の生ぬるい反応とは対照的だ。アダマ・トラオレ事件はオランド政権下で起きて、オランド前大統領はアサ・トラオレの手紙にも回答しなかった。また、移民系にかぎらず環境活動家や社会運動のデモの弾圧(とりわけヴァルス首相)がオランド政権下で激しくなり、死者さえ出していることを忘れるわけにはいかない。国から任命される独立機関の「人権擁護官」、人権擁護団体をはじめ市民団体はずっと声を上げ続けてきたが、警察の暴力と差別に対する抗議は少数派だった。

 さて、アダマ委員会は6月13日(土)に再び警察による暴力と差別に対する抗議デモを呼びかけ、数万人を集めた(警察発表は15000人)。ところが、なんと行進開始の直前にオペラまでのデモが禁止された。広場に通じるほとんどの道が治安部隊によって封鎖されたため、広場の群衆はケトリング(フランス語ではnasse, nassage)と呼ばれる囲い込み状態に閉じ込められた。コロナ感染予防を口実にデモを禁止したのに、密集度を高めるように仕向けたのである。そして、2時間以上その状態で平和的にいた参加者に対して、催涙ガスを使い始めた。

 もう一つのスキャンダルは、レピュブリック広場に面した一つの建物の屋根に10人くらいの極右グループの者たちが上がり、「白人に対するレイシズムの犠牲者に正義をWhite Lives Matter」と記された大きな垂れ幕を掲げたことだ。むろん広場の人たちは「ファシストは降りろ」と激しく抗議のシュプレヒコールを行い、「ラ・マルセイエーズ」を合唱した。とんでもないものが窓の前に降りてきたことに下の階の住人が気づいて、バルコニーから垂れ幕を引きちぎり始めた。しかし、サイズが大きいので上の部分を破ることができず、垂れ幕は1時間以上もそのままだった。そこでなんと、デモ参加者の一人が屋根に上がって垂れ幕を取り外すまでを自分でカメラに収めた。

 レピュブリック広場を囲む建物に、警察はすぐ出動することができる。何が起きているかわかっていたはずなのに、故意に何もしなかったとしか思えない。パリ警視庁総監に限らず、マクロン政権が極右グループには限りなく甘いことは、今回もまた証明された。極右グループの者たちは拘禁さえされずに釈放されたのだ。さらに警視庁は、「反ユダヤ発言があった」という虚偽のコミュニケを出した。リベラシオン紙のファクトチェックによると、この情報はこれまでレイシズムで訴えられたことがある保守週刊紙が当日16時33分にツイートし、警視庁は17時27分にコミュニケを出した。垂れ幕が降ろされたのは14時半すぎで、それからずっと広場にいた多くのジャーナリストは反ユダヤのスローガンを聞いていないし、それが多くの人々によって叫ばれたことを証明するビデオや証言はない。1人か2人が反ユダヤ発言をしたビデオがあっても、それは現場の大勢を代表してはいないと参加者ならわかるが、保守系メディアでは早速、デモ参加者は反ユダヤだという言説が流された。

 卑劣な警視庁と政府に対して、デモに集まった若者たちは決然として尊厳があり、たくましく、美しかった。「アダマに正義を!」BlackLivesMatterの他にも、"No justice, no peace","We can't breathe","I still have a dream"「レイシズムのせいで息苦しい」「アダマ・ジェネレーション」「本当のウイルスはレイシズム」「一緒に国家をなしている」など、自分で考えたプラカードを掲げていた。ところで13日の夜、国務院は「現在の状況でデモを禁止することは正当でない」という判断を公表した。労働組合、弁護士組合などが2週間前に訴えていたもので、健康危機の状況に鑑みてもデモの自由(5000人以内)を認めたわけだ。

 翌日14日の夜、マクロン大統領はロックダウンの全面解除とコロナ危機後に向けてのテレビ演説(危機管理の反省が全くない自己満足、美辞麗句、コロナ後はさらに働けという内容)をしたが、警察による暴力と差別の批判はなく、逆に治安部隊を持ち上げた。その上、レイシズムと差別を一般的に批判して機会の平等を改善する対策を後に発表すると語る一方、コミュニティ主義や分離主義、憎しみによる過去の書き換えを批判した。そして「共和国はその歴史の軌跡を一つも消さず、どの彫像も引きずりおろさない」と語った。これはマクロンが、大規模な抗議に表された反レイシズム運動を移民系の人々や一部の宗教の運動に閉じ込める解釈をしていることを示している。ここでも彼がいかにフランス社会の現実を知らないか、また歴史を学んでいないかがわかる。

 大統領のお墨付きを得たにもかかわらず、警官組合(極右に近い)は不満で、抗議デモやアクションを続けている。テロの頻発以来とりわけ、警官の労働条件は超過勤務で悪化し、必要な物資の不足など不満は以前から高まっていた。自殺も増加している。しかし、警察の中でレイシズムや差別、暴力が少数の稀な例ではなく、それをおかしいと思う内部の者が圧力を怖れて発言できない空気が広がっていることを、いくつかの警官組合や多くの警官は認めたくないようだ。そして、上司や警視庁総監、内務大臣、首相や大統領もこれまで、事件が起きるごとにその加害者の警官をかばい、「警察による暴力」をずっと否定してきた。ジャーナリストや社会学者の調査・研究、他の国との比較などによって明らかにしてきた事実を認めなければ、根本的な改革はできないだろう。

 フランスの警察による暴力や差別の問題は根が深く、労働者のデモやアルジェリア戦争中などのデモで多くの犠牲者を出した。しかし、1968年の五月革命時は、パリ警視庁総監が「地面に倒れている人を殴ることは、自分自身を殴るに値する」という有名な文が入った手紙を警官全員にあてて書き、重症や死者を出さない治安を求めたため、犠牲者は少なかった。以後も保守政権下では恐ろしいオートバイ部隊があったが、マリック・ウセキン事件後に廃止された(マクロンが「黄色いベスト」運動以来、復活させた)。しかし、サルコジが内務大臣になった2002年以来、治安の理論が変わり、危険な武器や技術が多用されるようになった。そして「黄色いベスト」運動以後は、何をしても上司と政府がかばってくれるという意識が、警官たちに広がったように感じる。差別についても同様で、移民系の若者に対して頻繁に行われる職務質問がきっかけで事件が起きるのだから、職務質問の際には証書(レセピセ)を発行せよという要求(オランド前大統領の公約だった)がずっと前からあるが、実施されない。

 現マクロン政権にはおそらく何も期待できないだろうが、ジョージ・フロイド事件がもたらした若い世代へのインパクトと、メディアの(多少の)変化によって、社会の底の流れが少し動き出したかもしれない。「アダマ・ジェネレーション」の創意工夫と、市民の良心に期待したい。

          飛幡祐規(たかはたゆうき)

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