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黒人暴行死の事件から起きたBLM運動が、米国と白人の歴史認識の見直しの運動に発展している。革命が進行している。バージ二ア州リッチモンドでは9日、市民群衆が公園のコロンブス像を破壊、池の中に投げ棄てた。マサチューセッツ州ボストンでは、9日夜にコロンブス像の頭部が何者かによって切断された。ミネソタ州議会議事堂のコロンブス像が引き倒される様子は、テレビに撮られて日本の報道番組でも放送された。まるで、ソ連崩壊時のレーニン像を見るようだ。公共物の器物損壊に該当する犯罪行為だが、警察が取り締まりに出ている気配がない。たしか、シャーロッツビルで左右のデモが衝突した4年前、NYセントラルパークのコロンブス像を撤去しようという動きがあることが報道され、米国もそこまで来たかと驚いて興奮した記憶があったが、今回のBLM運動はそこから一歩進め、コロンブス像の倒壊まで実現させた。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12114255.pngまた、南北戦争の南軍(南部連合)の英雄であるリー将軍の像も撤去される動きになり、これは4日にバージニア州知事が正式に指示を出している。このニュースにも驚いたが、さらに10日、映画「風と共に去りぬ」がワ-ナーの動画配信サービスから停止措置を受けるという事態になり、その事実にも腰を抜かした。黒人差別を美化している作品だからだと言う。『老人と海』と並ぶ米国文学の古典中の古典。ハリウッドの栄光と伝統を象徴するところの、米国映画の代表作とされる不朽の名作が、人種差別作品として糾弾されて地に墜ちてしまった。まさに歴史的な瞬間であり、米国で進行する文化大革命の怒濤の勢いに息を呑む。今のところ、米国の文化界やアカデミーから異論や抗弁は上がっておらず、『風と共に去りぬ』の価値剥奪と悪性表象化は固まった状況で、文化収容所送りに処されてしまった。まさに「実験国家」米国の面目躍如と言うべきか、米国に本来的な永久革命が躍動している。
米国人のアイデンティティの保全は大丈夫だろうか。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12284349.png米国の人種差別の問題は根が深い。われわれ日本人は、まずその歴史的構造的な根の深さを知るところから始めなければならないと思う。NYのコロンブス像の撤去が取り沙汰されていた頃、ネットの情報を見ていたら、あのアメリカ独立宣言を起草した第3代大統領のトマス・ジェファーソンが、大量の黒人奴隷を所有した大農園主であり、何と黒人奴隷の女性に何人も子どもを産ませ、その女性は死ぬまで奴隷の身であったという告発に接し、仰天させられた覚えがある。この問題は、米国で現在どういう議論と位相にあるのか不明だが、事件としては、ニコライ皇帝一家処刑を命じたレーニンの秘密電文の発掘・暴露と同じほどの衝撃の重さではないか。13州を独立させた建国の父たちは奴隷所有者だった。インディアン虐殺で有名な第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンも、黒人奴隷を所有・使役する農場主だった。市民革命の聖典とされるアメリカ独立宣言は、黒人奴隷の所有者たちの手で書かれている。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12292210.png英国植民地時代から建国後まで、黒人は奴隷であり、白人所有者の動産だった。売られて移動させられるときは鉄の鎖を足に嵌められ、農園での労働では残酷に笞打たれた。牛や馬と同じで人格は認められていなかった。黒人奴隷女性は、所有者である白人男性の私有物(モノ)であったため、当然のように性的虐待を受け、陵辱で生まれた子どもは奴隷とされた。そうしたことが合法で当然であり、合衆国の形成と発展の土台となっている。貴堂義之などの言説では、黒人奴隷を残虐に扱って服従させるシステムは、むしろ建国以降に構築され定着したようで、合衆国の原罪の深さと黒人差別の根深さを想像させられて空恐ろしい気分になる。1862年のリンカーンの奴隷解放宣言は、何ら実効的な中身を伴うものではなく、それは100年後の公民権運動まで待たされた。日本人の語感で了解し表象する「人種差別」は、公民権運動以降のもので、それ以前のものは「差別」という日本語の響きに馴染まない。はるかに苛烈で凄惨だ。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12342142.png20世紀前半でも、黒人は半ば公然とリンチされ縛り首にされて木に吊された。アメリカ独立宣言はこう言っている。「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ」。だが、こう言いながら、新天地の合衆国に、彼らはヨーロッパにもない恐ろしい奴隷制国家を築いた。起草者のリーダーは奴隷所有者だった。その欺瞞と矛盾が合衆国には本来的にビルトインされていて、250年の歴史は矛盾の解消と調整の歩みでもある。昔、世界史の授業で古代アテネの民主制を習ったとき、アテネの民主主義は奴隷制を土台にした民主主義であると教師が語ったが、まさに合衆国の原点の民主主義は奴隷制を基礎にしたもので、「すべての人間は生まれながらにして平等」と口で言いつつ、右手で黒人奴隷を笞打っていて、すなわち、近代国家である合衆国の民主主義は古代アテネと同じだ。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12441456.png13日放送のNHKスペシャルで、中山俊宏が、今回のBLM運動には必ず白人側から反動が出るだろうと予想を述べていた。私も同感で、草の根からのバックラッシュがあるだろうと推測する。2016年のトランプの大統領選勝利と白人至上主義の台頭は、2008年のオバマ大統領選出と8年間のオバマ政権に対する反動だった。中産層が崩壊し、良質な仕事がなくなり、親よりも貧しい人生を強いられ、希望を失っている没落白人層の多数は、人種差別のないアメリカという理念に嘗てのようにコミットしにくい環境になっている。それをポリコレとして相対化する態度が強まっている。仮に11月の大統領選でバイデンが勝つ情勢になっても、白人保守層の側から、今回のBLM運動の達成や成果を否定するアクションが澎湃として起こり、ANTIFAを右に裏返した過激な示威行動が発生するだろう。それは、失われた古き良きアメリカへの郷愁を強調し、対外的に強い外交姿勢の貫徹を求め、保守派(反リベラル)に力と勢いを取り戻す政治運動になるに違いない。価値観の逆流現象が起きるはずだ。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_14223629.png今回、18歳の黒人男性が母から教えられた「16のやってはいけないこと」が紹介され、差別の実態を物語るものとして話題になった。(1)パーカーのフードをかぶってはいけない、(2)遅い時間まで外で出歩かない、(3)タンクトップを着て運転してはいけない、(4)大きな音楽をかけて車に乗ってはいけない、(5)白人の女性をじっと見てはいけない、などの禁止項目が並んでいる。以下は、米国に居住した友人の経験を元にしたところの私の勝手な想像だが、ひょっとしたら、在米日本人あるいは在米アジア人の中で、ひそひそと語られている幾つかの、米国生活で身の安全を守るための教訓事項があるかもしれない。(1)パーカーのフードをかぶった黒人男性の集団には注意しなさい、(2)夜遅く出歩くときは黒人の男に警戒しなさい、(3)タンクトップを着た黒人が運転する車とは車間距離を置きなさい、(4)大きな音楽をかけて複数の黒人が乗っている車には近づかないように、(5)マックやKFCの店で黒人家族をジロジロ見ないように。もしこの種の話が実在するものならば、トラブルの実体験がベースになっているのだろう。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12594929.pngさて、解決はどうすればよいか。展望はどこに求められるか。14日のサンデーモーニングで、姜尚中が、バイデンのレベルではだめでサンダースの社会主義まで行かないといけないと発言していた。私の意見もそれに近く、現在の合衆国憲法を止揚する社会主義革命という方向があると考える。そのビジョンを提案したい。人種の壁を乗り越える普遍的な共同体の理想がそこにあり、新たな国民統合の原理としてそれを米国人が認め、大きな物語に挑むのがよい。最早、単なるリベラルの原理では限界だ。ソシアルの原理を根本に据えて、人種間平等を欺瞞化(ポリコレ化)させないよう、システムで実質化する道がある。最も資本主義が発達した国で革命が起きるというマルクスの予言を、挑戦することが大好きな米国人に成就してもらいたい。それと、もう一つの解決の方法としては、戦後の英領インドのように、インドとパキスタンの二つに分かれる道がある。物理的に分離して別々の主権国家を建てる外科手術がある。二つとも突拍子もない空想だが、もうそこまでのイマジネーションを持って来ないとどうしようもない混迷に米国は陥っている。
中途半端なリベラル主義の対処療法では、時間が経つほどに迷走を重ね、自信喪失と自己不信を深め、国民統合が不能となって国力を落としていくだろう。大胆な飛躍が必要だ。
黒人暴行死の事件から起きたBLM運動が、米国と白人の歴史認識の見直しの運動に発展している。革命が進行している。バージ二ア州リッチモンドでは9日、市民群衆が公園のコロンブス像を破壊、池の中に投げ棄てた。マサチューセッツ州ボストンでは、9日夜にコロンブス像の頭部が何者かによって切断された。ミネソタ州議会議事堂のコロンブス像が引き倒される様子は、テレビに撮られて日本の報道番組でも放送された。まるで、ソ連崩壊時のレーニン像を見るようだ。公共物の器物損壊に該当する犯罪行為だが、警察が取り締まりに出ている気配がない。たしか、シャーロッツビルで左右のデモが衝突した4年前、NYセントラルパークのコロンブス像を撤去しようという動きがあることが報道され、米国もそこまで来たかと驚いて興奮した記憶があったが、今回のBLM運動はそこから一歩進め、コロンブス像の倒壊まで実現させた。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12114255.pngまた、南北戦争の南軍(南部連合)の英雄であるリー将軍の像も撤去される動きになり、これは4日にバージニア州知事が正式に指示を出している。このニュースにも驚いたが、さらに10日、映画「風と共に去りぬ」がワ-ナーの動画配信サービスから停止措置を受けるという事態になり、その事実にも腰を抜かした。黒人差別を美化している作品だからだと言う。『老人と海』と並ぶ米国文学の古典中の古典。ハリウッドの栄光と伝統を象徴するところの、米国映画の代表作とされる不朽の名作が、人種差別作品として糾弾されて地に墜ちてしまった。まさに歴史的な瞬間であり、米国で進行する文化大革命の怒濤の勢いに息を呑む。今のところ、米国の文化界やアカデミーから異論や抗弁は上がっておらず、『風と共に去りぬ』の価値剥奪と悪性表象化は固まった状況で、文化収容所送りに処されてしまった。まさに「実験国家」米国の面目躍如と言うべきか、米国に本来的な永久革命が躍動している。
米国人のアイデンティティの保全は大丈夫だろうか。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12284349.png米国の人種差別の問題は根が深い。われわれ日本人は、まずその歴史的構造的な根の深さを知るところから始めなければならないと思う。NYのコロンブス像の撤去が取り沙汰されていた頃、ネットの情報を見ていたら、あのアメリカ独立宣言を起草した第3代大統領のトマス・ジェファーソンが、大量の黒人奴隷を所有した大農園主であり、何と黒人奴隷の女性に何人も子どもを産ませ、その女性は死ぬまで奴隷の身であったという告発に接し、仰天させられた覚えがある。この問題は、米国で現在どういう議論と位相にあるのか不明だが、事件としては、ニコライ皇帝一家処刑を命じたレーニンの秘密電文の発掘・暴露と同じほどの衝撃の重さではないか。13州を独立させた建国の父たちは奴隷所有者だった。インディアン虐殺で有名な第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンも、黒人奴隷を所有・使役する農場主だった。市民革命の聖典とされるアメリカ独立宣言は、黒人奴隷の所有者たちの手で書かれている。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12292210.png英国植民地時代から建国後まで、黒人は奴隷であり、白人所有者の動産だった。売られて移動させられるときは鉄の鎖を足に嵌められ、農園での労働では残酷に笞打たれた。牛や馬と同じで人格は認められていなかった。黒人奴隷女性は、所有者である白人男性の私有物(モノ)であったため、当然のように性的虐待を受け、陵辱で生まれた子どもは奴隷とされた。そうしたことが合法で当然であり、合衆国の形成と発展の土台となっている。貴堂義之などの言説では、黒人奴隷を残虐に扱って服従させるシステムは、むしろ建国以降に構築され定着したようで、合衆国の原罪の深さと黒人差別の根深さを想像させられて空恐ろしい気分になる。1862年のリンカーンの奴隷解放宣言は、何ら実効的な中身を伴うものではなく、それは100年後の公民権運動まで待たされた。日本人の語感で了解し表象する「人種差別」は、公民権運動以降のもので、それ以前のものは「差別」という日本語の響きに馴染まない。はるかに苛烈で凄惨だ。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12342142.png20世紀前半でも、黒人は半ば公然とリンチされ縛り首にされて木に吊された。アメリカ独立宣言はこう言っている。「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ」。だが、こう言いながら、新天地の合衆国に、彼らはヨーロッパにもない恐ろしい奴隷制国家を築いた。起草者のリーダーは奴隷所有者だった。その欺瞞と矛盾が合衆国には本来的にビルトインされていて、250年の歴史は矛盾の解消と調整の歩みでもある。昔、世界史の授業で古代アテネの民主制を習ったとき、アテネの民主主義は奴隷制を土台にした民主主義であると教師が語ったが、まさに合衆国の原点の民主主義は奴隷制を基礎にしたもので、「すべての人間は生まれながらにして平等」と口で言いつつ、右手で黒人奴隷を笞打っていて、すなわち、近代国家である合衆国の民主主義は古代アテネと同じだ。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12441456.png13日放送のNHKスペシャルで、中山俊宏が、今回のBLM運動には必ず白人側から反動が出るだろうと予想を述べていた。私も同感で、草の根からのバックラッシュがあるだろうと推測する。2016年のトランプの大統領選勝利と白人至上主義の台頭は、2008年のオバマ大統領選出と8年間のオバマ政権に対する反動だった。中産層が崩壊し、良質な仕事がなくなり、親よりも貧しい人生を強いられ、希望を失っている没落白人層の多数は、人種差別のないアメリカという理念に嘗てのようにコミットしにくい環境になっている。それをポリコレとして相対化する態度が強まっている。仮に11月の大統領選でバイデンが勝つ情勢になっても、白人保守層の側から、今回のBLM運動の達成や成果を否定するアクションが澎湃として起こり、ANTIFAを右に裏返した過激な示威行動が発生するだろう。それは、失われた古き良きアメリカへの郷愁を強調し、対外的に強い外交姿勢の貫徹を求め、保守派(反リベラル)に力と勢いを取り戻す政治運動になるに違いない。価値観の逆流現象が起きるはずだ。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_14223629.png今回、18歳の黒人男性が母から教えられた「16のやってはいけないこと」が紹介され、差別の実態を物語るものとして話題になった。(1)パーカーのフードをかぶってはいけない、(2)遅い時間まで外で出歩かない、(3)タンクトップを着て運転してはいけない、(4)大きな音楽をかけて車に乗ってはいけない、(5)白人の女性をじっと見てはいけない、などの禁止項目が並んでいる。以下は、米国に居住した友人の経験を元にしたところの私の勝手な想像だが、ひょっとしたら、在米日本人あるいは在米アジア人の中で、ひそひそと語られている幾つかの、米国生活で身の安全を守るための教訓事項があるかもしれない。(1)パーカーのフードをかぶった黒人男性の集団には注意しなさい、(2)夜遅く出歩くときは黒人の男に警戒しなさい、(3)タンクトップを着た黒人が運転する車とは車間距離を置きなさい、(4)大きな音楽をかけて複数の黒人が乗っている車には近づかないように、(5)マックやKFCの店で黒人家族をジロジロ見ないように。もしこの種の話が実在するものならば、トラブルの実体験がベースになっているのだろう。
BLM運動から歴史見直しの革命へ進むアメリカ – 展望は何処に_c0315619_12594929.pngさて、解決はどうすればよいか。展望はどこに求められるか。14日のサンデーモーニングで、姜尚中が、バイデンのレベルではだめでサンダースの社会主義まで行かないといけないと発言していた。私の意見もそれに近く、現在の合衆国憲法を止揚する社会主義革命という方向があると考える。そのビジョンを提案したい。人種の壁を乗り越える普遍的な共同体の理想がそこにあり、新たな国民統合の原理としてそれを米国人が認め、大きな物語に挑むのがよい。最早、単なるリベラルの原理では限界だ。ソシアルの原理を根本に据えて、人種間平等を欺瞞化(ポリコレ化)させないよう、システムで実質化する道がある。最も資本主義が発達した国で革命が起きるというマルクスの予言を、挑戦することが大好きな米国人に成就してもらいたい。それと、もう一つの解決の方法としては、戦後の英領インドのように、インドとパキスタンの二つに分かれる道がある。物理的に分離して別々の主権国家を建てる外科手術がある。二つとも突拍子もない空想だが、もうそこまでのイマジネーションを持って来ないとどうしようもない混迷に米国は陥っている。
中途半端なリベラル主義の対処療法では、時間が経つほどに迷走を重ね、自信喪失と自己不信を深め、国民統合が不能となって国力を落としていくだろう。大胆な飛躍が必要だ。