17日夜に朝日新聞の世論調査が発表され、内閣支持率が33%という低い数字となった。朝日で支持率が30%台前半まで落ちるのは、森友問題が紛糾した18年春以来2年ぶりのことだ。安倍政権は久しぶりに危機を迎えた。感染者の減少によってコロナ禍が小康状態を迎える中、検察庁法改正案をめぐる問題が政局に浮上した。朝日の数字を受けて、本日(18日)早朝、読売が記事を出し、「法改正案の今国会成立見送り検討」の見出しを付けた。続いてテレ朝が速報を出し、「検察庁法の改正案を含む国家公務員法の改正案について政府与党は今国会での成立を見送る方針を固めた」と伝えた。安倍官邸による素早い火消し工作だが、本日夜に発表されるNHKの世論調査結果に注目される。先週末の強行採決を見送ったのは、週末にNHKの世論調査を控えていたからだった。もしNHKでも30%台前半の値が出ると、与党内からも安倍晋三への批判が噴出する展開になる。
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仮に検察庁改正案の今国会成立を見送ったとしても、すでに1月に閣議決定で黒川弘務の定年延長を決めているから、稲田伸夫が7月に慣例に従って検事総長を退けば、内閣の任命権限で黒川弘務を検事総長に就かせることはできる。
安倍晋三はそれを狙っていて、一端引いた素振りを見せて世論を沈静化させ、世上の関心が検察庁法案と人事から逸れ、通常どおり支持率が自然回復した後で、7月末頃に黒川弘務を検事総長に据え、臨時国会で粛々と検察庁法改正を通す思惑なのだろう。この問題を一過性の問題にするつもりだろう。実際、過去に安倍政権を窮地に追い詰めた諸問題は、時間の経過と共に国民の関心が薄れ、政権崩壊に至らせることができなかった。今回の黒川弘努の人事の件は、何度か述べたように安倍晋三にとって死活問題で、自分の手が後ろに回るかどうか、四選五選、終身政権を盤石にできるどうかが懸かった決定的な問題だ。
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ここでの権力闘争に敗れれば、手が後ろに回って昭恵と共に監獄送りの身になってしまう可能性が高い。先週、500人以上の弁護士と法学者が「桜を見る会」の問題で安倍晋三を刑事告発している。黒川弘務の人事問題に重ねた動きであり、河井克行・案里夫妻への捜査の動きとも脈を通じた安倍晋三への揺さぶりである。
もし、5月・6月・7月と連続して安倍晋三の支持率が低落・低迷し、NHKで30%を割ったときは、黒川弘務は検事総長への昇格を断念して検事職を辞任せざるを得ず、また、告発を受理して始まる「桜を見る会」の捜査も、秘書の逮捕収監は無論のこと、昭恵の事情聴取に及ぶという革命的事態になるだろう。安倍晋三の失脚である。私はそのことを歓迎する立場だし、そうなる図を熱望しているが、楽観視はしていない。何度も同じ場面を見てきたからであり、大衆世論とマスコミ報道が変わり、支持率が反転上昇するのを見てきたからである。
ガス抜き気分で小躍りして糠喜びするのはご免だ。臍を噛むのはもう飽きた。
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先週15日の松尾邦弘ら元検事総長による意見書を見て、あるいは報道1930に出演した熊崎勝彦の発言を聞いて、勇気づけられた国民は多いだろうし、覚醒を促され感動を覚えた者は多かっただろう。私もその正論に膝を打った一人である。だが、溜飲を下げながら、同時にそれとは全く逆方向の憤懣を覚え、やりきれない鬱積の感情が逆巻いて交錯していたことも、正直に告白しておかなくてはいけない。
検察の独立の危機、三権分立の危機、法治国家の危機、これらの言葉は、過去8年間の安倍政治の間にいったい何回聞いてきたことだろう。それらの多くが、検察の重大な不作為が起きたときに発声されたものだった。2016年の甘利明の収賄事件のときがそうだった。明白な証拠・証言がありながら検察は不起訴処分にした。信じられない不作為の暴挙だった。2015年と2017年に発覚した下村博文の資金疑惑もそうだ。週刊文春が完璧な取材で証拠を揃えていたのに検察は動かなかった。そして2018年の森友事件と佐川宣寿らの不起訴である。
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これらの事件で検察は動かず、市民が告発しても不起訴処分にした。熊崎勝彦の言う「検察の独立」と「厳正公平」が虚ろに響く。今、確かに検察は危機なのだろうが、その危機は誰が招いたのか。安倍政治の8年間、検察は自ら三権分立を掘り崩し、民主主義政治を壊し、安倍晋三の独裁レジームを構築保全するばかりだった。
元検事総長らが提出した意見書の結びには、「心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない」と書いていて、国民に法改正案反対の運動を呼びかけている。この抗議の呼びかけは、4年前の甘利明の捜査のときには必要なかったのか。2年前の佐川宣寿らの背任の捜査のときにはどうだったのか。あのとき、国民は懸命に声を上げ、検察に法と証拠に基づいて厳正に動くように求め、正義の実現と三権分立の保全を求めた。検察が検察の精神を守り、民主主義政治を守ることを期待した。この8年間、検察の独立を壊してきたのは検察であり、安倍独裁のイヌになってきたのは検察である。
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今頃になって何を泣き言を言っているんだと、私は検察OBに言いたい。検察OBは誹りを受けて責任を取り、国民に謝罪する必要がある。なぜなら、まさしく熊崎勝彦が述べたとおり、検察は組織として一体であり、誰がトップになろうと同じ判断と決定になるからだ。検察に個々の個性や立場の違いはないのである。
だからこそ、検察OBには他の省庁OBにはない権力がある。彼らは権力を持っている。他とは違う。政治に関わる重要な事件のとき、捜査に携わる現職検事は絶対に姿を現さず、リーク報道で国民に捜査内容を説明する。そこには必ず元特捜部長の検察OBがいる。検察OBの解説なり予想は、すべて検察組織のものであって、局外の自由な個人評論家のものではないのだ。だから、その検察OBが予想したとおりの結果(起訴・不起訴)となる。第二次安倍政権の時代は、主に宗像紀夫がこのポジションを担当したが、宗像紀夫は2012年12月に第二次安倍政権の内閣官房参与に就いていた。その後の一連の事件で、小渕優子と関係者も、甘利明も、下村博文も、片平さつきも、誰も逮捕されなかったのはむべなるかなである。
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検察は、安倍政権を倒さなければ検察の独立はないものと覚悟すべきで、検察組織を守るために安倍政権と闘わないといけない。対立し闘争し打倒しないといけない。そのために国民の力が必要ならば、この8年間の検察の不作為を恥じ入り、責任を認めて反省し、主権者国民に謝罪すべきである。
安倍政権に不当で過剰な忖度をし続け、法を捻じ続けた自己を清算しなければならない。安倍晋三と安倍晋三に近いところで行われた数々の犯罪を見逃し、立件せず、起訴せず、クロをシロにして免責してきた罪科を詫びる必要がある。現在の検察の危機が自業自得であることを認め、悔い改めて出直しを図らなければならない。検察OBは単に国民に訴えて世論を動かすだけでなく、現職の検察官に働きかけ、後輩を動かし、現在までの裏切りと錯誤の積み重ねを総括しなければならない。現職検事の安倍晋三への造反こそが必要で、身分を賭けた渾身の抵抗と闘争が必要だ。そのことによって国民の心を本当に動かすことができ、国民の信頼を取り戻すことができる。
検察には眦を決して安倍政権と闘い、国民の検察不信を払拭してもらいたい。
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仮に検察庁改正案の今国会成立を見送ったとしても、すでに1月に閣議決定で黒川弘務の定年延長を決めているから、稲田伸夫が7月に慣例に従って検事総長を退けば、内閣の任命権限で黒川弘務を検事総長に就かせることはできる。
安倍晋三はそれを狙っていて、一端引いた素振りを見せて世論を沈静化させ、世上の関心が検察庁法案と人事から逸れ、通常どおり支持率が自然回復した後で、7月末頃に黒川弘務を検事総長に据え、臨時国会で粛々と検察庁法改正を通す思惑なのだろう。この問題を一過性の問題にするつもりだろう。実際、過去に安倍政権を窮地に追い詰めた諸問題は、時間の経過と共に国民の関心が薄れ、政権崩壊に至らせることができなかった。今回の黒川弘努の人事の件は、何度か述べたように安倍晋三にとって死活問題で、自分の手が後ろに回るかどうか、四選五選、終身政権を盤石にできるどうかが懸かった決定的な問題だ。
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ここでの権力闘争に敗れれば、手が後ろに回って昭恵と共に監獄送りの身になってしまう可能性が高い。先週、500人以上の弁護士と法学者が「桜を見る会」の問題で安倍晋三を刑事告発している。黒川弘務の人事問題に重ねた動きであり、河井克行・案里夫妻への捜査の動きとも脈を通じた安倍晋三への揺さぶりである。
もし、5月・6月・7月と連続して安倍晋三の支持率が低落・低迷し、NHKで30%を割ったときは、黒川弘務は検事総長への昇格を断念して検事職を辞任せざるを得ず、また、告発を受理して始まる「桜を見る会」の捜査も、秘書の逮捕収監は無論のこと、昭恵の事情聴取に及ぶという革命的事態になるだろう。安倍晋三の失脚である。私はそのことを歓迎する立場だし、そうなる図を熱望しているが、楽観視はしていない。何度も同じ場面を見てきたからであり、大衆世論とマスコミ報道が変わり、支持率が反転上昇するのを見てきたからである。
ガス抜き気分で小躍りして糠喜びするのはご免だ。臍を噛むのはもう飽きた。
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先週15日の松尾邦弘ら元検事総長による意見書を見て、あるいは報道1930に出演した熊崎勝彦の発言を聞いて、勇気づけられた国民は多いだろうし、覚醒を促され感動を覚えた者は多かっただろう。私もその正論に膝を打った一人である。だが、溜飲を下げながら、同時にそれとは全く逆方向の憤懣を覚え、やりきれない鬱積の感情が逆巻いて交錯していたことも、正直に告白しておかなくてはいけない。
検察の独立の危機、三権分立の危機、法治国家の危機、これらの言葉は、過去8年間の安倍政治の間にいったい何回聞いてきたことだろう。それらの多くが、検察の重大な不作為が起きたときに発声されたものだった。2016年の甘利明の収賄事件のときがそうだった。明白な証拠・証言がありながら検察は不起訴処分にした。信じられない不作為の暴挙だった。2015年と2017年に発覚した下村博文の資金疑惑もそうだ。週刊文春が完璧な取材で証拠を揃えていたのに検察は動かなかった。そして2018年の森友事件と佐川宣寿らの不起訴である。
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これらの事件で検察は動かず、市民が告発しても不起訴処分にした。熊崎勝彦の言う「検察の独立」と「厳正公平」が虚ろに響く。今、確かに検察は危機なのだろうが、その危機は誰が招いたのか。安倍政治の8年間、検察は自ら三権分立を掘り崩し、民主主義政治を壊し、安倍晋三の独裁レジームを構築保全するばかりだった。
元検事総長らが提出した意見書の結びには、「心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない」と書いていて、国民に法改正案反対の運動を呼びかけている。この抗議の呼びかけは、4年前の甘利明の捜査のときには必要なかったのか。2年前の佐川宣寿らの背任の捜査のときにはどうだったのか。あのとき、国民は懸命に声を上げ、検察に法と証拠に基づいて厳正に動くように求め、正義の実現と三権分立の保全を求めた。検察が検察の精神を守り、民主主義政治を守ることを期待した。この8年間、検察の独立を壊してきたのは検察であり、安倍独裁のイヌになってきたのは検察である。
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今頃になって何を泣き言を言っているんだと、私は検察OBに言いたい。検察OBは誹りを受けて責任を取り、国民に謝罪する必要がある。なぜなら、まさしく熊崎勝彦が述べたとおり、検察は組織として一体であり、誰がトップになろうと同じ判断と決定になるからだ。検察に個々の個性や立場の違いはないのである。
だからこそ、検察OBには他の省庁OBにはない権力がある。彼らは権力を持っている。他とは違う。政治に関わる重要な事件のとき、捜査に携わる現職検事は絶対に姿を現さず、リーク報道で国民に捜査内容を説明する。そこには必ず元特捜部長の検察OBがいる。検察OBの解説なり予想は、すべて検察組織のものであって、局外の自由な個人評論家のものではないのだ。だから、その検察OBが予想したとおりの結果(起訴・不起訴)となる。第二次安倍政権の時代は、主に宗像紀夫がこのポジションを担当したが、宗像紀夫は2012年12月に第二次安倍政権の内閣官房参与に就いていた。その後の一連の事件で、小渕優子と関係者も、甘利明も、下村博文も、片平さつきも、誰も逮捕されなかったのはむべなるかなである。
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検察は、安倍政権を倒さなければ検察の独立はないものと覚悟すべきで、検察組織を守るために安倍政権と闘わないといけない。対立し闘争し打倒しないといけない。そのために国民の力が必要ならば、この8年間の検察の不作為を恥じ入り、責任を認めて反省し、主権者国民に謝罪すべきである。
安倍政権に不当で過剰な忖度をし続け、法を捻じ続けた自己を清算しなければならない。安倍晋三と安倍晋三に近いところで行われた数々の犯罪を見逃し、立件せず、起訴せず、クロをシロにして免責してきた罪科を詫びる必要がある。現在の検察の危機が自業自得であることを認め、悔い改めて出直しを図らなければならない。検察OBは単に国民に訴えて世論を動かすだけでなく、現職の検察官に働きかけ、後輩を動かし、現在までの裏切りと錯誤の積み重ねを総括しなければならない。現職検事の安倍晋三への造反こそが必要で、身分を賭けた渾身の抵抗と闘争が必要だ。そのことによって国民の心を本当に動かすことができ、国民の信頼を取り戻すことができる。
検察には眦を決して安倍政権と闘い、国民の検察不信を払拭してもらいたい。
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