札幌に住んでいた頃は、競馬場や北大が近かったので、競馬開催時の行列や朝の馬の散歩(北大馬術部の)によく出っくわしたもんだった(学生時代によく読んだ樋口一葉研究者和田芳恵の自伝的作品で夜に恋人とセックスやりたい放題だったのはここら辺りかなと連想しながらよく散歩したもんだった→是非映画化してもらいたいもんだ)。『寺山修司、没後30年に思う―競馬を愛した偉人が残したもの』ーhttp://number.bunshun.jp/articles/-/422500
前に何度か書いたが、ぼくが競馬を始めたのは、寺山修司の競馬関係本を読んでからで、競馬を止めたのはオグリキャップ引退レースの有馬記念で、オグリキャップ絡みの馬券を全部当ててからだった。
その間の理由は何度もブログで書いているが・・母親に当たり馬券数十枚を捨てられたからだった(ほぼ毎週競売場か場外馬券売り場に出没していた)。僕は中穴党なので、たちまち数十万円の配当になるので、その年の夏頃には、半年間に百万円以上の金額の当たり馬券があったのだろうが・・
あまりにも馬券が当たる年ので、ついつい魔が差してしまった。一年間でどのくらいの金額になるのだろうかと当たり馬券を換金せずに、大きな箱に当たり馬券を換金せずに入れていたのを、全部母に捨てられてしまった。女という生き物には理屈がまったく通じないので抗議する気にもなれなかったが・・あまりのショックでそれ以降はもう競馬をやる気が全く失せてしまった。
前に何度か書いたが、ぼくが競馬を始めたのは、寺山修司の競馬関係本を読んでからで、競馬を止めたのはオグリキャップ引退レースの有馬記念で、オグリキャップ絡みの馬券を全部当ててからだった。
その間の理由は何度もブログで書いているが・・母親に当たり馬券数十枚を捨てられたからだった(ほぼ毎週競売場か場外馬券売り場に出没していた)。僕は中穴党なので、たちまち数十万円の配当になるので、その年の夏頃には、半年間に百万円以上の金額の当たり馬券があったのだろうが・・
あまりにも馬券が当たる年ので、ついつい魔が差してしまった。一年間でどのくらいの金額になるのだろうかと当たり馬券を換金せずに、大きな箱に当たり馬券を換金せずに入れていたのを、全部母に捨てられてしまった。女という生き物には理屈がまったく通じないので抗議する気にもなれなかったが・・あまりのショックでそれ以降はもう競馬をやる気が全く失せてしまった。