「なかよくしよう」と訴えるハルモニ
『わたしもじだいのいちぶですー川崎桜本・ハルモニたちがつづった生活史』(康潤伊・鈴木宏子・丹野清人編著 日本評論社 2019年1月 2000円+税) 評者:佐々木有美
川崎市に桜本という街があります。桜本は、5年ほど前、ヘイトスピーチデモの標的になりました。戦前から朝鮮人のコミュニティーがあり、戦後も多くの朝鮮人が移り住みました。この街には「ふれあい館」という多文化共生をめざす施設があり、その中に識字学級があります。本書は、そこに通う在日のハルモニ(おばあさん)たちの作文集です。ハルモニたちは現在、80歳台後半から90歳台。子ども時代に教育の機会を奪われ、日本語を聞くこと、話すことはできても、読むこと書くことができません。実はこの識字学級とヘイトスピーチとは、直接の関係があることが、読み進むうちにわかってきました。
朝鮮半島から日本へ、日本からまた朝鮮半島へ、そしてまた日本へ。植民地支配と朝鮮戦争、差別のはざまで、命からがら生き延びてきたのがハルモニたちでした。ランドセルを背負って学校に通うことが彼女たちの夢でした。そのハルモニたちが文字を持つことで、かけがえのない歴史の一コマ一コマを蘇らせています。徐類順さんは、朝鮮での子ども時代に日本人の家に行った記憶を書いています。「わざと10えんだまをあちこちにおいてもっていくかみはっていました。そのころほかのいえでもにほんじんはおなじことをしていました」。呉琴ジョさんは、お米を庭に隠したお父さんが日本人の警官によって「あしに松の木をはさんですわらされた」と拷問の場面を書いています。日本の植民地支配の実態が素朴な文章の中から迫ってきます。
でも書けないこともたくさんあります。金文善さんは、戦後焼酎を作って売り、三人の子どもを育てました。警察に摘発されて刑務所に入ったこともあったそうですが、そのことは、作文には書けませんでした。在日の人々に健康保険が一律に認められたのは1986年。それまでは医療機関にかかることができませんでした。金芳子さんは、炭鉱で働く父親がけがをして職場を追い出され、一家が飢えに直面したと書いています。
*川崎市桜本
そんなハルモニたちが2015年9月「戦争反対」の声を桜本で上げました。政府が安保関連法案を提出したときのことです。国会前には行けないハルモニたちは地元で手作りデモをしました。戦争で、さんざんな体験をしたハルモニたちの思いは強かったのです。でもそれがその後のヘイトスピーチデモの発端になってしまいました。「朝鮮人は出ていけ!」と押し寄せるデモに金芳子さんはこう書いています。
「・・・いまさらかえれっていわれてもかえるところはありません。もう日本にきて81年にもなるんですよ。かんこくには私のうちはないここにしかいるところはない。子どもやまごに、そんないやなことばをきかせたくない。もう、そろそろそんなことやめにして、なかよくしましょうよ、とにかく一トラヂ会(筆者注 在日高齢者サークル)にあそびにきてください。いっしょにしょくじをしてうたったり、おどったりしましょう。」ヘイトデモをする人たちに「なかよくしよう」と訴えるハルモニ。何もかも抱擁する姿は彼女たちの過酷な体験を逆に映し出しているかのようです。
本書には、ハルモニたちとともに識字学級に通うニューカマーの日系人のおばあさんたちの作文も収録されています。どの作文も、人生がギュッとつまっています。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。
『わたしもじだいのいちぶですー川崎桜本・ハルモニたちがつづった生活史』(康潤伊・鈴木宏子・丹野清人編著 日本評論社 2019年1月 2000円+税) 評者:佐々木有美
川崎市に桜本という街があります。桜本は、5年ほど前、ヘイトスピーチデモの標的になりました。戦前から朝鮮人のコミュニティーがあり、戦後も多くの朝鮮人が移り住みました。この街には「ふれあい館」という多文化共生をめざす施設があり、その中に識字学級があります。本書は、そこに通う在日のハルモニ(おばあさん)たちの作文集です。ハルモニたちは現在、80歳台後半から90歳台。子ども時代に教育の機会を奪われ、日本語を聞くこと、話すことはできても、読むこと書くことができません。実はこの識字学級とヘイトスピーチとは、直接の関係があることが、読み進むうちにわかってきました。
朝鮮半島から日本へ、日本からまた朝鮮半島へ、そしてまた日本へ。植民地支配と朝鮮戦争、差別のはざまで、命からがら生き延びてきたのがハルモニたちでした。ランドセルを背負って学校に通うことが彼女たちの夢でした。そのハルモニたちが文字を持つことで、かけがえのない歴史の一コマ一コマを蘇らせています。徐類順さんは、朝鮮での子ども時代に日本人の家に行った記憶を書いています。「わざと10えんだまをあちこちにおいてもっていくかみはっていました。そのころほかのいえでもにほんじんはおなじことをしていました」。呉琴ジョさんは、お米を庭に隠したお父さんが日本人の警官によって「あしに松の木をはさんですわらされた」と拷問の場面を書いています。日本の植民地支配の実態が素朴な文章の中から迫ってきます。
でも書けないこともたくさんあります。金文善さんは、戦後焼酎を作って売り、三人の子どもを育てました。警察に摘発されて刑務所に入ったこともあったそうですが、そのことは、作文には書けませんでした。在日の人々に健康保険が一律に認められたのは1986年。それまでは医療機関にかかることができませんでした。金芳子さんは、炭鉱で働く父親がけがをして職場を追い出され、一家が飢えに直面したと書いています。
*川崎市桜本
そんなハルモニたちが2015年9月「戦争反対」の声を桜本で上げました。政府が安保関連法案を提出したときのことです。国会前には行けないハルモニたちは地元で手作りデモをしました。戦争で、さんざんな体験をしたハルモニたちの思いは強かったのです。でもそれがその後のヘイトスピーチデモの発端になってしまいました。「朝鮮人は出ていけ!」と押し寄せるデモに金芳子さんはこう書いています。
「・・・いまさらかえれっていわれてもかえるところはありません。もう日本にきて81年にもなるんですよ。かんこくには私のうちはないここにしかいるところはない。子どもやまごに、そんないやなことばをきかせたくない。もう、そろそろそんなことやめにして、なかよくしましょうよ、とにかく一トラヂ会(筆者注 在日高齢者サークル)にあそびにきてください。いっしょにしょくじをしてうたったり、おどったりしましょう。」ヘイトデモをする人たちに「なかよくしよう」と訴えるハルモニ。何もかも抱擁する姿は彼女たちの過酷な体験を逆に映し出しているかのようです。
本書には、ハルモニたちとともに識字学級に通うニューカマーの日系人のおばあさんたちの作文も収録されています。どの作文も、人生がギュッとつまっています。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。