他の国では精力的にPCR検査を行っている。感染者が増加しているドイツや英国ではドライブスルー検査が始まった。豪州でも一部で取り組みを始めた。米国で対策の責任者となったペンスは、「(全米に)100万個以上の検査キットを配布しており、数週間ですべてのアメリカ人が検査を受けることができるようにする」と言っている。
先週5日の報道だが、米国でもやはりPCR検査体制が重大な関心事になっていて、CNNの番組内で「韓国に倣うべし」という声が上がったという記事がある。ペンスの発言はこうした世論の要求を受けての反応だろう。
PCR検査については、各国とも、なるべく多く検査を実施して感染者を発見・捕捉することに全力を注いでいるように見え、すなわち、韓国で遂行されている早期発見主義の方式で対策しているのが標準に見える。ところが、世界の中で一国だけ、この考え方とは全く異なる方針でPCR検査を位置づけている国があり、日本の特異性が際立っている。
全ての人にPCR検査をすることは、このウイルスの対策として有効ではありません。また(略)設備や人員の制約のため、全ての人にPCR検査をすることはできません。急激な感染拡大に備え、限られたPCR検査の資源を、重症化のおそれがある方の検査のために集中させる必要があると考えます。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_14501269.png
2月25日に決定された政府の「基本方針」と、その前日に示された専門家会議の「見解」では、PCR検査について上のように断言している。この方針と見解に従って、日本でのPCR検査は抑制され、「相談センター」の電話窓口で患者からの要請を拒絶し、街のクリニックからの依頼を遮断してきた。
2月7日から28日まで、東京都は1万3737件の相談を受けながら、わずか0.9%の127人しか検査に回していない。99%が「目安」を根拠に拒否されている。「相談センター」は門前払いのための行政機関なのであり、新型コロナウィルスの患者に医療を提供しないための装置だ。患者をPCR検査からブロックし、国民をPCR検査からシャットアウトするのが日本政府の方針だった。この方針は、どう考えてもペンスの「100万人検査」の対策とは矛盾している。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_14542104.png
日本だけが異常な対策をとっている。だが、マスコミは一部を除いてそれを批判しない。その矛盾と倒錯を糾弾することがない。異様なのはその日本の現実だ。テレビには御用学者が登場し、PCR検査をしないことの合理化と正当化ばかりを垂れている。PCR検査のキャパがないからとか、病院がパンクするからとか、韓国は検査しすぎて医療体制が崩壊したとか、デマばかり流して政府と専門家会議を擁護している
。報ステにもNEWS23にも、御用学者の中島一敏が出演して、政府の「基本方針」の正しさを刷り込む絵ばかりだ。マスコミにもネットにも、PCR検査不要論ばかりが横溢している。そして朝になれば、今度は羽鳥慎一のモーニングショーがPCR検査必要論を唱え、いわば世論戦を押し返して一進一退の攻防状況となる。毎日毎日、同じ議論が繰り返され、同じ鬩ぎ合いが続く。マスコミが親安倍の右翼論者を出し、厚労省配下の御用学者を動員するため、国民世論が収斂せず決着しない。スタックしたまま時間が浪費される。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_15421249.png
9年前の福島原発事故のときは、事故から2週間後には政府と御用学者が批判され、ウソが暴露される言論状況になっていた。今回はそうならない。広瀬隆や小出裕章の登場と活躍がなく、信頼できる本格的な専門家の分析と啓蒙がない。膠着して荒涼とした言論風景の日々に憔悴させられる。
PCR検査のキャパがないという言い訳が出されたら、すぐに中国から無償提供された1万2500個の検査キットはどこに行ったのかと反駁すればいいのだ。ロシュ製品の効能は厚労省が認めていて、中国はそれで検査してきたし、世界で奪い合いになっていた貴重品を厚意で日本に送ってくれた。2月14日のことだ。
加藤勝信は国会でこの質問に絶句して逃げたが、誰も追い打ちをかけようとしない。政府は3月末に1日7000件のPCR検査体制になると言うが、1万2500キットの6割ではないか。中国からの検査キット寄贈の問題は、福島原発事故に置き直せばSPEEDIの問題に該当するだろう。なぜ誰も追及しないのか。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_14595496.png
10日のBSの政治番組で、木村太郎が、死者数が日本は少ないので感染者の総数も日本は少ないだろうと楽観論を言い、PCR検査不要論を援護する論陣を張る一幕があった。だが、それは一概に言えない。なぜなら、肺炎の死亡患者の中に新型コロナウィルスの感染者が紛れ込んでいる可能性が高いからである。肺炎の死亡者は年間11万2000人もいて、1か月に9300人が肺炎で死んでいる。
細菌性、ウィルス性、合併症が進行したもの等々、患者は高齢者が多く、毎日300人が死んでいる計算になる。それらにすべてPCR検査が行われているわけではなく、施せば1か月9300人分のPCR検査が必要となる。すでに、死亡した後で陽性判明した例が4人ほどあり、この4人も、医師が積極的に動かなければ見過ごされていただろう。また、肺炎以外で命を落とすケースもある。山梨で髄膜炎で重症となった患者は、もう少し発見が遅ければ死んでいたが、医師が感染を疑った結果、検査で陽性と判明している。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_15064042.png中国では、肺炎以外に心不全や多臓器不全で死ぬと報告されていた。日本の場合、とにかく検査をしてないから、髄膜炎で死んでも、心不全で死んでも、それが新型コロナウィルスの罹患者という診断にはならず、死者数の中にカウントされない。
東京都の集計では、2月の3週間の間に1万3737人が「相談センター」に電話している。このうち127人だけが検査を受け、1万3620人が追い返された。この1万3620人の中に相当数の感染者がいるだろうと、そういう推測を木村太郎は持てないのだろうか。「相談センター」に繋がるまで2時間かかるのである。2時間電話をかけるのは簡単なことではない。冷やかしではできないし、遊び半分にはできない。そこしか命が助かる道がないから、地中海を渡る中東・アフリカの難民のように、熱や咳の症状のある者が、必死で電話をかけて繋がった数が1万3737人(東京都2月)なのだ。電話で門前払いされた患者の中には、数日後に「急性肺炎」で命を落とした者も何人かいるだろう。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_15102563.pngウィルスを国内に持ち込んだのは、1月に観光等で武漢・湖北省から訪日した中国人である。その数は1万8000人と明確になっている。そしてその時期、武漢空港から 中国人が向かった外国の中では、日本がタイに次いで特に多かった。その事実から考えれば、韓国以上に日本で感染者が多く発生して当然ではないか。日本人は手洗いするとか、イタリア人はハグやキスをするとか、習慣の違いが感染拡大に正負の影響を与えている点もあるだろうが、基本的に、物理的に、日本は感染拡大に最も危険な条件を持っていた国であることは否定できない。その点は再確認する必要がある。そしてまた、北朝鮮がどれほど感染者ゼロを強弁しても、国際社会がそれを信用しないのと同様に、検査を不自然に抑えている日本が発表する感染者数(3月10日現在446人:米国の半分)の数字は、果たして信用してよい値なのか。国際社会がそれを疑うのは当然で、日本国民が疑わないことが異常なのだ。
いつまで経っても政府の不作為が糾弾されない。命が懸かった切実な問題なのに、国民の怒りが可視化されず代弁もされない。政権の支持率も下がらない。支持率が下がらないから、PCR検査の積極推進という方向性が定まらない。舵が切られず、検査体制と隔離体制の大規模な構築へと進まず、誤った「基本方針」が撤回されない。御用学者たちの忖度ショーばかりがテレビで続く。マスコミのこの問題についての報道は、安倍政権を支援するヨイショ番組か、さもなくば単なる視聴率目当てのネタ報道だ。同じ話ばかり延々と繰り返され、うんざりさせられる。
先週5日の報道だが、米国でもやはりPCR検査体制が重大な関心事になっていて、CNNの番組内で「韓国に倣うべし」という声が上がったという記事がある。ペンスの発言はこうした世論の要求を受けての反応だろう。
PCR検査については、各国とも、なるべく多く検査を実施して感染者を発見・捕捉することに全力を注いでいるように見え、すなわち、韓国で遂行されている早期発見主義の方式で対策しているのが標準に見える。ところが、世界の中で一国だけ、この考え方とは全く異なる方針でPCR検査を位置づけている国があり、日本の特異性が際立っている。
全ての人にPCR検査をすることは、このウイルスの対策として有効ではありません。また(略)設備や人員の制約のため、全ての人にPCR検査をすることはできません。急激な感染拡大に備え、限られたPCR検査の資源を、重症化のおそれがある方の検査のために集中させる必要があると考えます。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_14501269.png
2月25日に決定された政府の「基本方針」と、その前日に示された専門家会議の「見解」では、PCR検査について上のように断言している。この方針と見解に従って、日本でのPCR検査は抑制され、「相談センター」の電話窓口で患者からの要請を拒絶し、街のクリニックからの依頼を遮断してきた。
2月7日から28日まで、東京都は1万3737件の相談を受けながら、わずか0.9%の127人しか検査に回していない。99%が「目安」を根拠に拒否されている。「相談センター」は門前払いのための行政機関なのであり、新型コロナウィルスの患者に医療を提供しないための装置だ。患者をPCR検査からブロックし、国民をPCR検査からシャットアウトするのが日本政府の方針だった。この方針は、どう考えてもペンスの「100万人検査」の対策とは矛盾している。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_14542104.png
日本だけが異常な対策をとっている。だが、マスコミは一部を除いてそれを批判しない。その矛盾と倒錯を糾弾することがない。異様なのはその日本の現実だ。テレビには御用学者が登場し、PCR検査をしないことの合理化と正当化ばかりを垂れている。PCR検査のキャパがないからとか、病院がパンクするからとか、韓国は検査しすぎて医療体制が崩壊したとか、デマばかり流して政府と専門家会議を擁護している
。報ステにもNEWS23にも、御用学者の中島一敏が出演して、政府の「基本方針」の正しさを刷り込む絵ばかりだ。マスコミにもネットにも、PCR検査不要論ばかりが横溢している。そして朝になれば、今度は羽鳥慎一のモーニングショーがPCR検査必要論を唱え、いわば世論戦を押し返して一進一退の攻防状況となる。毎日毎日、同じ議論が繰り返され、同じ鬩ぎ合いが続く。マスコミが親安倍の右翼論者を出し、厚労省配下の御用学者を動員するため、国民世論が収斂せず決着しない。スタックしたまま時間が浪費される。
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9年前の福島原発事故のときは、事故から2週間後には政府と御用学者が批判され、ウソが暴露される言論状況になっていた。今回はそうならない。広瀬隆や小出裕章の登場と活躍がなく、信頼できる本格的な専門家の分析と啓蒙がない。膠着して荒涼とした言論風景の日々に憔悴させられる。
PCR検査のキャパがないという言い訳が出されたら、すぐに中国から無償提供された1万2500個の検査キットはどこに行ったのかと反駁すればいいのだ。ロシュ製品の効能は厚労省が認めていて、中国はそれで検査してきたし、世界で奪い合いになっていた貴重品を厚意で日本に送ってくれた。2月14日のことだ。
加藤勝信は国会でこの質問に絶句して逃げたが、誰も追い打ちをかけようとしない。政府は3月末に1日7000件のPCR検査体制になると言うが、1万2500キットの6割ではないか。中国からの検査キット寄贈の問題は、福島原発事故に置き直せばSPEEDIの問題に該当するだろう。なぜ誰も追及しないのか。
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10日のBSの政治番組で、木村太郎が、死者数が日本は少ないので感染者の総数も日本は少ないだろうと楽観論を言い、PCR検査不要論を援護する論陣を張る一幕があった。だが、それは一概に言えない。なぜなら、肺炎の死亡患者の中に新型コロナウィルスの感染者が紛れ込んでいる可能性が高いからである。肺炎の死亡者は年間11万2000人もいて、1か月に9300人が肺炎で死んでいる。
細菌性、ウィルス性、合併症が進行したもの等々、患者は高齢者が多く、毎日300人が死んでいる計算になる。それらにすべてPCR検査が行われているわけではなく、施せば1か月9300人分のPCR検査が必要となる。すでに、死亡した後で陽性判明した例が4人ほどあり、この4人も、医師が積極的に動かなければ見過ごされていただろう。また、肺炎以外で命を落とすケースもある。山梨で髄膜炎で重症となった患者は、もう少し発見が遅ければ死んでいたが、医師が感染を疑った結果、検査で陽性と判明している。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_15064042.png中国では、肺炎以外に心不全や多臓器不全で死ぬと報告されていた。日本の場合、とにかく検査をしてないから、髄膜炎で死んでも、心不全で死んでも、それが新型コロナウィルスの罹患者という診断にはならず、死者数の中にカウントされない。
東京都の集計では、2月の3週間の間に1万3737人が「相談センター」に電話している。このうち127人だけが検査を受け、1万3620人が追い返された。この1万3620人の中に相当数の感染者がいるだろうと、そういう推測を木村太郎は持てないのだろうか。「相談センター」に繋がるまで2時間かかるのである。2時間電話をかけるのは簡単なことではない。冷やかしではできないし、遊び半分にはできない。そこしか命が助かる道がないから、地中海を渡る中東・アフリカの難民のように、熱や咳の症状のある者が、必死で電話をかけて繋がった数が1万3737人(東京都2月)なのだ。電話で門前払いされた患者の中には、数日後に「急性肺炎」で命を落とした者も何人かいるだろう。
検査不要論のバックラッシュ - いつまで経っても検査推進論が定着しない日本_c0315619_15102563.pngウィルスを国内に持ち込んだのは、1月に観光等で武漢・湖北省から訪日した中国人である。その数は1万8000人と明確になっている。そしてその時期、武漢空港から 中国人が向かった外国の中では、日本がタイに次いで特に多かった。その事実から考えれば、韓国以上に日本で感染者が多く発生して当然ではないか。日本人は手洗いするとか、イタリア人はハグやキスをするとか、習慣の違いが感染拡大に正負の影響を与えている点もあるだろうが、基本的に、物理的に、日本は感染拡大に最も危険な条件を持っていた国であることは否定できない。その点は再確認する必要がある。そしてまた、北朝鮮がどれほど感染者ゼロを強弁しても、国際社会がそれを信用しないのと同様に、検査を不自然に抑えている日本が発表する感染者数(3月10日現在446人:米国の半分)の数字は、果たして信用してよい値なのか。国際社会がそれを疑うのは当然で、日本国民が疑わないことが異常なのだ。
いつまで経っても政府の不作為が糾弾されない。命が懸かった切実な問題なのに、国民の怒りが可視化されず代弁もされない。政権の支持率も下がらない。支持率が下がらないから、PCR検査の積極推進という方向性が定まらない。舵が切られず、検査体制と隔離体制の大規模な構築へと進まず、誤った「基本方針」が撤回されない。御用学者たちの忖度ショーばかりがテレビで続く。マスコミのこの問題についての報道は、安倍政権を支援するヨイショ番組か、さもなくば単なる視聴率目当てのネタ報道だ。同じ話ばかり延々と繰り返され、うんざりさせられる。