http://www.labornetjp.org/news/2020/ota40
アウシュヴィッツ解放75周年記念行事と東アジアの状況
*アウシュヴィッツ強制収容所跡で演説するメルケル首相(2019年12月6日)
ロシア政府は来る5月にモスクワで、第二次世界大戦でソ連がナチスドイツに勝利して75周年を迎えることから、各国首脳を招いて記念式典を開く。このニュースに釣られて振り返ると、一昨年来、ユーラシア大陸では、第二次大戦末期の出来事から75周年を迎えての記念行事が続いていることがわかる。2019年6月には、英国南部ポーツマスで、ノルマンディー上陸作戦(いわゆるD-Day)75周年記念式典があった。この上陸作戦は、欧州大陸の大半を占領したナチスドイツに対抗するため、連合軍が1944年6月6日、ポーツマスを出撃拠点にして、フランス北西部ノルマンディーに多数の兵士を上陸させたものである。ドイツ軍との激しい戦闘の末に同年8月、パリはナチスドイツから解放された。ヒトラーが自殺し、ベルリンも陥落して、ドイツが無条件降伏するのは、その8ヵ月後、1945年4月から5月にかけてのことである。この式典には、英国女王エリザベス、英仏米などの首脳に加えて、ドイツのメルケル首相も出席した。そこでメルケルが演説したとの報道はなかったが、彼女がどんな思いでその場に立っていたかという関心が私にはあった。翌日には、ノルマンディー側でも、大規模な式典があった。
それから6ヵ月後の2019年12月、メルケルはナチスのアウシュヴィッツ強制収容所跡を初めて訪問し、演説したとの報道があった。「虐殺を行なったのはドイツ人だった。この責任に終わりはない。」と語ったようだが、詳しい内容はわからなかった。その後、ドイツに住む方が、ていねいに日本語訳を付して、15分程度の演説全体をユーチューブで紹介してくれた(2月11日現在、以下で視聴できる)。↓
https://www.youtube.com/watch?v=vVuX99hwYnI
ドイツの住民であれば、メルケルの内政政策についてしかるべき批判を持つ場合もあろう。ギリシャの住民であれば、ギリシャ経済危機に際してメルケルが主導した方針に正当にも異議を持つ場合もあろう。ただこのアウシュヴィッツ演説に関しては、「加害」と「被害」という歴史的過去に関して、加害国側が75年後に何を語らなければならないかについて、拠るべき一例を示していると思える。
ソ連軍によるアウシュヴィッツ解放75周年記念日が迫った去る1月23日には、エルサレムのホロコースト記念館で開かれた国際的な記念行事で、ドイツのシュタインマイヤー大統領が「私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている」と演説した。また、《アンネ・フランク》という象徴的な人物との関わり合いを持つオランダでは、マルク・ルッテ首相が、アムステルダムでのホロコースト追悼行事で、「当時の政府職員の過半がナチスに荷担したこと」を謝罪した。
そして解放記念日当日である1月27日には、アウシュヴィッツ跡地で、ポーランド出身の現在93歳のサバイバー、マリアン・トゥルスキが「アウシュヴィッツは急に空から降ってきたものではない。憲法を守り、人権を守り、少数者の権利を守れば、悪に打ち勝てる。民主主義は少数者の権利を保護することに掛かっている。権力を握る政府の行動に無関心になってはいけない。そうしなければ、アウシュヴィッツは空から降ってくる。」と語った(1月28日付け朝日新聞)。
同じ日、ベルリンでは、ホロコーストで犠牲になったロマ・精神障碍者・同性愛者を追悼する集いがあった。連邦議会では、犠牲者追悼式があった。解放75周年記念コンサートも開かれ、メルケルが演説した。
こうして、ユーラシア大陸では、75年前の過去を思い起こす行事が、数年がかりで積み重ねられている。翻って、東アジアでは? と問うとき、日本社会の直面している問題がくっきりと浮かび上がってくる。
アウシュヴィッツ解放75周年記念行事と東アジアの状況
*アウシュヴィッツ強制収容所跡で演説するメルケル首相(2019年12月6日)
ロシア政府は来る5月にモスクワで、第二次世界大戦でソ連がナチスドイツに勝利して75周年を迎えることから、各国首脳を招いて記念式典を開く。このニュースに釣られて振り返ると、一昨年来、ユーラシア大陸では、第二次大戦末期の出来事から75周年を迎えての記念行事が続いていることがわかる。2019年6月には、英国南部ポーツマスで、ノルマンディー上陸作戦(いわゆるD-Day)75周年記念式典があった。この上陸作戦は、欧州大陸の大半を占領したナチスドイツに対抗するため、連合軍が1944年6月6日、ポーツマスを出撃拠点にして、フランス北西部ノルマンディーに多数の兵士を上陸させたものである。ドイツ軍との激しい戦闘の末に同年8月、パリはナチスドイツから解放された。ヒトラーが自殺し、ベルリンも陥落して、ドイツが無条件降伏するのは、その8ヵ月後、1945年4月から5月にかけてのことである。この式典には、英国女王エリザベス、英仏米などの首脳に加えて、ドイツのメルケル首相も出席した。そこでメルケルが演説したとの報道はなかったが、彼女がどんな思いでその場に立っていたかという関心が私にはあった。翌日には、ノルマンディー側でも、大規模な式典があった。
それから6ヵ月後の2019年12月、メルケルはナチスのアウシュヴィッツ強制収容所跡を初めて訪問し、演説したとの報道があった。「虐殺を行なったのはドイツ人だった。この責任に終わりはない。」と語ったようだが、詳しい内容はわからなかった。その後、ドイツに住む方が、ていねいに日本語訳を付して、15分程度の演説全体をユーチューブで紹介してくれた(2月11日現在、以下で視聴できる)。↓
https://www.youtube.com/watch?v=vVuX99hwYnI
ドイツの住民であれば、メルケルの内政政策についてしかるべき批判を持つ場合もあろう。ギリシャの住民であれば、ギリシャ経済危機に際してメルケルが主導した方針に正当にも異議を持つ場合もあろう。ただこのアウシュヴィッツ演説に関しては、「加害」と「被害」という歴史的過去に関して、加害国側が75年後に何を語らなければならないかについて、拠るべき一例を示していると思える。
ソ連軍によるアウシュヴィッツ解放75周年記念日が迫った去る1月23日には、エルサレムのホロコースト記念館で開かれた国際的な記念行事で、ドイツのシュタインマイヤー大統領が「私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている」と演説した。また、《アンネ・フランク》という象徴的な人物との関わり合いを持つオランダでは、マルク・ルッテ首相が、アムステルダムでのホロコースト追悼行事で、「当時の政府職員の過半がナチスに荷担したこと」を謝罪した。
そして解放記念日当日である1月27日には、アウシュヴィッツ跡地で、ポーランド出身の現在93歳のサバイバー、マリアン・トゥルスキが「アウシュヴィッツは急に空から降ってきたものではない。憲法を守り、人権を守り、少数者の権利を守れば、悪に打ち勝てる。民主主義は少数者の権利を保護することに掛かっている。権力を握る政府の行動に無関心になってはいけない。そうしなければ、アウシュヴィッツは空から降ってくる。」と語った(1月28日付け朝日新聞)。
同じ日、ベルリンでは、ホロコーストで犠牲になったロマ・精神障碍者・同性愛者を追悼する集いがあった。連邦議会では、犠牲者追悼式があった。解放75周年記念コンサートも開かれ、メルケルが演説した。
こうして、ユーラシア大陸では、75年前の過去を思い起こす行事が、数年がかりで積み重ねられている。翻って、東アジアでは? と問うとき、日本社会の直面している問題がくっきりと浮かび上がってくる。