明治になって、
「徴兵制」は「明治憲法」の先に作られた。
《明治の本質は、専制軍事国家》である。
全体主義的な統治は徳川幕府よりも酷い。
徳川幕府には藩があり、まだ地方自治があったが、
明治になって、
「軍」と「学校」で支配した。
タゴールなどが言っているのは、
「個人主義のないところに繁栄はない」
基本的人権が尊重されないところに、
独自で物事を考える者は育たず、滅びる。
なぜソ連が崩壊したのか?
中央集権だったからである。(中央が腐敗した)
例えば、将棋の世界は、藤井聡太のような優等生が出てもくるが、
ドレッドヘアの棋士も出てくる。
大御所がモノを言い声の大きいところはダメになる。
芸事は先達の技を真似るが、将棋は勝負で答えが出る。
自分の考えがなければ勝てない。
ドレッドヘアにするのもひとつの自己表現であり勇気がいる。
YouTubeによる影響は大きい。
国境を越えてあらゆる情報が手に入り、
様々な学びが自由にできるようになった。
しかし、日本は国が、邪魔をしている。
萩生田が抑えているところは、
彼らにとって一番重要なところである。
「教育」を抑えるのである。
萩生田は、教育勅語を自分の議員室に飾っている。
文科相として、「表現の自由」に対する弾圧が問題化した
「あいちトリエンナーレ」の補助金不交付の決定をした。
橋下徹は、文楽そ潰そうとした。
芸術文化には、《生産性がないから公金を使わなくて良い》などと
政治家が発言した。
それは間違いの元。
人間というものが解らず、モノが売れるということはあり得ない。
人間というものを知らなければならない。
一般教養のない工業に特化したようなものは負ける。
日本の文化、文学は深いものがある。
「枕草子」春は曙…
なぜ春は曙か? 平安時代の通い婚。男性が夜明けに帰る。
奈良時代の万葉集の和歌… 色々な階級の人が書いた。
万葉集は位の高い者だけが書いた古今集とは
比較にならないほど素晴らしい。
山上憶良のような社会派の歌人が出た。
山上憶良は、中国へ行って初めて、
会話の中の中心に、政治や哲学、倫理、法など、
広い人間の生き方の話があることに衝撃を受けて、
知識人というのは真正面から議論するものだと悟り、
リアルな貧困や行き倒れの死人の歌を詠んだ。
奈良時代も日本は余所余所しい会話をしていたのだろう。
仏教のお経…
その内容を理解する人はほとんどいないのに、なぜ詠むのか?
仏教が求められるのは、日本は災害が多い国であるから、
災害を鎮める呪術、魔術として入って来たからだ。
一般の人は、内容が分からなくても良い。
むしろ分からない方が良かった。
倫理、思想、修行法(瞑想法)などは入らなかった。
ーーーーー
9/11 改造内閣に合わせて
国家安全保障局長に
公安トップの官邸のアイヒマンこと、北村滋が就いた。
元国家安全保障局長の谷内正太郎は、
イラン有志連合に否定的だったからパージされたと書かれたが、
孫崎曰く
「谷地というのは、そんな男じゃない。
強い者につく、そういう奴ですよ
自分の信念を貫く男ではない。」
八王子近辺にある大学、東京外語大、一橋大、中央大などから
アメリカの研究者が集まって「八王子勉強会」という合宿を
夏に行っている。
2009年の前、孫崎が防衛大の教授だった頃、
谷内正太郎が学生を前に講演をした。
「何が正しいなどという甘い事をいうべきではない。
力の強い者につく。それが日本外交のあり方であり、
生きる道だ」と言った。
北村は、秘密保護法の作成に関わり、
スノーデンファイルによると、
12年12月に開始された「日米共同通信諜報サイバー作戦」の
直前の9/10に、NSAを訪問し、諜報のやり方を学びに行った。
ケーブル上陸地で丸ごと情報を抜く(通信情報サポート)、
民間企業もバックドアを付けて流している事が暴露されている。
アメリカでは国内で市民の情報を取る事は法で禁じられているが、
外国では諜報し放題。日本も当然筒抜けである。
孫崎…
「私は警察官僚は国のトップになるべきではないと思っている」
なぜか?
まず、外交の話。
孫崎氏は、外務省で国際情報局長だった。
海外の情報部隊では、「工作」と「諜報」がある。
日本は、警察は「工作」はできるけれど、「情報をとる」ことはできない。
警察は海外情報には疎い。海外赴任もしていない。
海外の客観的情報をよむには、最低限2つの国に赴任せねばならない。
なぜなら、ひとつの国だけだと、その情報が非日本的なものであるか、
あるいは、その国独特のものなのかを判断できない。
警察にそういう人材はいない。警察がCIAと情報交換はできない。
「諜報」はできない。
孫崎氏は、国際情報局長として、
国務省とは付き合わない。
付き合うのは、CIAだ。あるいは世界の情報機関だという形にした。
大使館の中には、情報関係の人間と、外務省系の人間と両方いる。
ある国の大使館で、誰が孫崎と合うか?という話になり、
外務省の人間が会うべきだということになった。
外務省と情報機関の情報の取り方の違いは、
外務省は普通に訪問して情報をとるが、
情報機関は反モラル的非合法を犯して情報を取ってくる。
国務省系の人間が日本に接近して情報を取るとき…
例えば国務省の人間が政治家と付き合う。
これは通常のパターンでいく。
ではCIAが政治家と付き合うときにはどうするか?
そこには、反モラル、非合法的な手段で接近する。
これが、大きな違い。
どういうことかというと、
警察官僚のアプローチの仕方は基本的には、
反モラル、非合法を是とするということ。
次に、
警察には、「警備系」と「刑事系」があって、
「刑事系」はあまり力を持っていない。
刑事系のトップが言うには、
「我々の組織と暴力団とどこが違うか?
我々の方が力が強い。装備が充実している。
だから我々は暴力団に勝つ」
警察は「反モラル」「非合法」また「物理的な力」のセクション。
自治省…旧内務省系。
地方に行って自治省の幹部になる者は、
基本的には法律によって仕事をする。
例えば、知事、総務部長として、
「法」の枠内、「予算」という枠内で
県の扱いをどうするかで仕事をする。
民主的枠組みの中にいるのが自治省幹部である。
ところが、
警察というのはそうではない。
警察の場合は「法」ではなく、「力」である。
「力」があれば、相手が正しいか正しくないかなどは関係ない。
警察が日本のトップにくるというのは、そういうことだ。
日本の中心は国会にあるというのが建前になっているが、
これが崩れて来ている。
国会図書館の前に、
旧社民党のビルがあった。
社会党が潰れて、社民党になり、社民党が金が払えない。
そして、そのビルがなくなり、更地になった。
そのあと建物が建ち、『永田町分室』と書いてあった。
永田町のどこの分室かは書いてない。
見ていると、警察官僚が出入りしていた。
この土地は野党ではあったが国会関連の人が使っていた。
ところが、おそらく殆ど議論もされてないが、
国会の土地、国会議員のために使うべきものが、
警察官僚の土地になることがなんの不思議もない国になった。
こういうことに、誰もおかしいと思わない。
本来なら、野党が追及すべき話である。
しかし、国会議員でこれをおかしいと言った人はいない。
怖いからだ。
統治の仕方が、「恐れさせる」「怖い」という前提に、
日本が動き始めたのである。
しかし、
警察の北村が、国家安全保障局に入っても、機能しない。
CIAがくれる情報というのは、
「日本を操るための情報」に過ぎない。
その情報が正しいかどうかを判断できる知識を
なにも持っていない。
公安畑で国内で人を探り、締め上げ、
捕まえて来た男。
レイプを犯した山口敬之が助けを求めたのが、北村である。
日本の情報は、ますますCIAに依存するということになる。
この人事を喜んでいるのはアメリカである。
日本の安全保証は、戦略はアメリカが決め、
国内を公安が取り締まるということ。
警察は、防衛省を握っていたという歴史がある。
中国、ロシア、北朝鮮を諜報をするところに防衛庁にあったが、
これは非常に高い精度の組織だった。
そのトップは歴代警察だった。
防衛省はそれを排除できなかった。
それは防衛省の出発点が警察予備隊からだという歴史がある。
警察は権力範囲をどんどん撤退はしているけれども、
重要なところは絶対に離さなかった。
北村も「盗聴」だけは手放さないということから、
NSAと繋がってサイバー情報を握ろうということである。
公安というのは、基本的には「体制の維持」。
「体制の維持」の敵と想定されるのは、
ロシア、中国、北朝鮮だった。
それを摘発するようなグループである公安が、
アメリカと連携するというのは、極めて自然なことだ。
外務省が他の省庁と違うのは、
少なくとも、外を一時情報として知っている、ということ。
イランに対しどのような政策をとるべきかというと、
イランという国を知っている人が、外務省にはいる。
アメリカから来るイラン情報は、
アメリカに都合の良い情報に過ぎない。
外務省的なものを排除するということは、
アメリカと行動を一体化するということ。
警察が怖い時代に入ってきた。
ある政治家の政経講和会のようなところで講演をした。
一番前に、「内調」がいた。
政治家へのメッセージだ。
「あなたが呼んだ人は内調がウオッチしている人物だ」と。
昔は特高が「弁士中止」と言った。
ーーー
日本の場合、
トップは無能。そしてトップ性善説。
トップに酷い人間が出てきた時の修正能力がない。
秀吉の朝鮮出兵。誰が見ても馬鹿げている。
誰も朝鮮戦争を止められない。
東條英機が出てきて、アメリカと戦争をする。
これも止められない。
一番トップは何もしない、というシステム。
悪いことをやったときに、それをいかに止めるかという
安全ベンがどこにもない。
トップ無謬説。
天皇のすぐ下の東條には誰も逆らえない。
怖いのは、それと「暴力装置(特高)」が結びついたときである。
東条は、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長(特高)であったが、
憲兵隊は軍内部で地位の高いものではないが、
憲兵隊+特高の合体によって、
軍内部の邪魔者を粛清したりすることができることに気づき、
コミンテルンの影響を受けたとして関東軍将校を多数検挙し、
圧力をかけるなど、軍内抗争に長け、全権を握った。
「2・26事件」の際も関東軍内部での混乱を抑え、
皇道派関係者を検挙した。
人を逮捕する特権を持つ者が、
このポストを過激に使えば、
一気に権力を拡大し、とんでもないことになる。
ドイツのゲシュタポのゲーリングや、ソ連のベリア、
イラクのフセインなどが、それである。
(2/3の30分位まで) つづく…
「徴兵制」は「明治憲法」の先に作られた。
《明治の本質は、専制軍事国家》である。
全体主義的な統治は徳川幕府よりも酷い。
徳川幕府には藩があり、まだ地方自治があったが、
明治になって、
「軍」と「学校」で支配した。
タゴールなどが言っているのは、
「個人主義のないところに繁栄はない」
基本的人権が尊重されないところに、
独自で物事を考える者は育たず、滅びる。
なぜソ連が崩壊したのか?
中央集権だったからである。(中央が腐敗した)
例えば、将棋の世界は、藤井聡太のような優等生が出てもくるが、
ドレッドヘアの棋士も出てくる。
大御所がモノを言い声の大きいところはダメになる。
芸事は先達の技を真似るが、将棋は勝負で答えが出る。
自分の考えがなければ勝てない。
ドレッドヘアにするのもひとつの自己表現であり勇気がいる。
YouTubeによる影響は大きい。
国境を越えてあらゆる情報が手に入り、
様々な学びが自由にできるようになった。
しかし、日本は国が、邪魔をしている。
萩生田が抑えているところは、
彼らにとって一番重要なところである。
「教育」を抑えるのである。
萩生田は、教育勅語を自分の議員室に飾っている。
文科相として、「表現の自由」に対する弾圧が問題化した
「あいちトリエンナーレ」の補助金不交付の決定をした。
橋下徹は、文楽そ潰そうとした。
芸術文化には、《生産性がないから公金を使わなくて良い》などと
政治家が発言した。
それは間違いの元。
人間というものが解らず、モノが売れるということはあり得ない。
人間というものを知らなければならない。
一般教養のない工業に特化したようなものは負ける。
日本の文化、文学は深いものがある。
「枕草子」春は曙…
なぜ春は曙か? 平安時代の通い婚。男性が夜明けに帰る。
奈良時代の万葉集の和歌… 色々な階級の人が書いた。
万葉集は位の高い者だけが書いた古今集とは
比較にならないほど素晴らしい。
山上憶良のような社会派の歌人が出た。
山上憶良は、中国へ行って初めて、
会話の中の中心に、政治や哲学、倫理、法など、
広い人間の生き方の話があることに衝撃を受けて、
知識人というのは真正面から議論するものだと悟り、
リアルな貧困や行き倒れの死人の歌を詠んだ。
奈良時代も日本は余所余所しい会話をしていたのだろう。
仏教のお経…
その内容を理解する人はほとんどいないのに、なぜ詠むのか?
仏教が求められるのは、日本は災害が多い国であるから、
災害を鎮める呪術、魔術として入って来たからだ。
一般の人は、内容が分からなくても良い。
むしろ分からない方が良かった。
倫理、思想、修行法(瞑想法)などは入らなかった。
ーーーーー
9/11 改造内閣に合わせて
国家安全保障局長に
公安トップの官邸のアイヒマンこと、北村滋が就いた。
元国家安全保障局長の谷内正太郎は、
イラン有志連合に否定的だったからパージされたと書かれたが、
孫崎曰く
「谷地というのは、そんな男じゃない。
強い者につく、そういう奴ですよ
自分の信念を貫く男ではない。」
八王子近辺にある大学、東京外語大、一橋大、中央大などから
アメリカの研究者が集まって「八王子勉強会」という合宿を
夏に行っている。
2009年の前、孫崎が防衛大の教授だった頃、
谷内正太郎が学生を前に講演をした。
「何が正しいなどという甘い事をいうべきではない。
力の強い者につく。それが日本外交のあり方であり、
生きる道だ」と言った。
北村は、秘密保護法の作成に関わり、
スノーデンファイルによると、
12年12月に開始された「日米共同通信諜報サイバー作戦」の
直前の9/10に、NSAを訪問し、諜報のやり方を学びに行った。
ケーブル上陸地で丸ごと情報を抜く(通信情報サポート)、
民間企業もバックドアを付けて流している事が暴露されている。
アメリカでは国内で市民の情報を取る事は法で禁じられているが、
外国では諜報し放題。日本も当然筒抜けである。
孫崎…
「私は警察官僚は国のトップになるべきではないと思っている」
なぜか?
まず、外交の話。
孫崎氏は、外務省で国際情報局長だった。
海外の情報部隊では、「工作」と「諜報」がある。
日本は、警察は「工作」はできるけれど、「情報をとる」ことはできない。
警察は海外情報には疎い。海外赴任もしていない。
海外の客観的情報をよむには、最低限2つの国に赴任せねばならない。
なぜなら、ひとつの国だけだと、その情報が非日本的なものであるか、
あるいは、その国独特のものなのかを判断できない。
警察にそういう人材はいない。警察がCIAと情報交換はできない。
「諜報」はできない。
孫崎氏は、国際情報局長として、
国務省とは付き合わない。
付き合うのは、CIAだ。あるいは世界の情報機関だという形にした。
大使館の中には、情報関係の人間と、外務省系の人間と両方いる。
ある国の大使館で、誰が孫崎と合うか?という話になり、
外務省の人間が会うべきだということになった。
外務省と情報機関の情報の取り方の違いは、
外務省は普通に訪問して情報をとるが、
情報機関は反モラル的非合法を犯して情報を取ってくる。
国務省系の人間が日本に接近して情報を取るとき…
例えば国務省の人間が政治家と付き合う。
これは通常のパターンでいく。
ではCIAが政治家と付き合うときにはどうするか?
そこには、反モラル、非合法的な手段で接近する。
これが、大きな違い。
どういうことかというと、
警察官僚のアプローチの仕方は基本的には、
反モラル、非合法を是とするということ。
次に、
警察には、「警備系」と「刑事系」があって、
「刑事系」はあまり力を持っていない。
刑事系のトップが言うには、
「我々の組織と暴力団とどこが違うか?
我々の方が力が強い。装備が充実している。
だから我々は暴力団に勝つ」
警察は「反モラル」「非合法」また「物理的な力」のセクション。
自治省…旧内務省系。
地方に行って自治省の幹部になる者は、
基本的には法律によって仕事をする。
例えば、知事、総務部長として、
「法」の枠内、「予算」という枠内で
県の扱いをどうするかで仕事をする。
民主的枠組みの中にいるのが自治省幹部である。
ところが、
警察というのはそうではない。
警察の場合は「法」ではなく、「力」である。
「力」があれば、相手が正しいか正しくないかなどは関係ない。
警察が日本のトップにくるというのは、そういうことだ。
日本の中心は国会にあるというのが建前になっているが、
これが崩れて来ている。
国会図書館の前に、
旧社民党のビルがあった。
社会党が潰れて、社民党になり、社民党が金が払えない。
そして、そのビルがなくなり、更地になった。
そのあと建物が建ち、『永田町分室』と書いてあった。
永田町のどこの分室かは書いてない。
見ていると、警察官僚が出入りしていた。
この土地は野党ではあったが国会関連の人が使っていた。
ところが、おそらく殆ど議論もされてないが、
国会の土地、国会議員のために使うべきものが、
警察官僚の土地になることがなんの不思議もない国になった。
こういうことに、誰もおかしいと思わない。
本来なら、野党が追及すべき話である。
しかし、国会議員でこれをおかしいと言った人はいない。
怖いからだ。
統治の仕方が、「恐れさせる」「怖い」という前提に、
日本が動き始めたのである。
しかし、
警察の北村が、国家安全保障局に入っても、機能しない。
CIAがくれる情報というのは、
「日本を操るための情報」に過ぎない。
その情報が正しいかどうかを判断できる知識を
なにも持っていない。
公安畑で国内で人を探り、締め上げ、
捕まえて来た男。
レイプを犯した山口敬之が助けを求めたのが、北村である。
日本の情報は、ますますCIAに依存するということになる。
この人事を喜んでいるのはアメリカである。
日本の安全保証は、戦略はアメリカが決め、
国内を公安が取り締まるということ。
警察は、防衛省を握っていたという歴史がある。
中国、ロシア、北朝鮮を諜報をするところに防衛庁にあったが、
これは非常に高い精度の組織だった。
そのトップは歴代警察だった。
防衛省はそれを排除できなかった。
それは防衛省の出発点が警察予備隊からだという歴史がある。
警察は権力範囲をどんどん撤退はしているけれども、
重要なところは絶対に離さなかった。
北村も「盗聴」だけは手放さないということから、
NSAと繋がってサイバー情報を握ろうということである。
公安というのは、基本的には「体制の維持」。
「体制の維持」の敵と想定されるのは、
ロシア、中国、北朝鮮だった。
それを摘発するようなグループである公安が、
アメリカと連携するというのは、極めて自然なことだ。
外務省が他の省庁と違うのは、
少なくとも、外を一時情報として知っている、ということ。
イランに対しどのような政策をとるべきかというと、
イランという国を知っている人が、外務省にはいる。
アメリカから来るイラン情報は、
アメリカに都合の良い情報に過ぎない。
外務省的なものを排除するということは、
アメリカと行動を一体化するということ。
警察が怖い時代に入ってきた。
ある政治家の政経講和会のようなところで講演をした。
一番前に、「内調」がいた。
政治家へのメッセージだ。
「あなたが呼んだ人は内調がウオッチしている人物だ」と。
昔は特高が「弁士中止」と言った。
ーーー
日本の場合、
トップは無能。そしてトップ性善説。
トップに酷い人間が出てきた時の修正能力がない。
秀吉の朝鮮出兵。誰が見ても馬鹿げている。
誰も朝鮮戦争を止められない。
東條英機が出てきて、アメリカと戦争をする。
これも止められない。
一番トップは何もしない、というシステム。
悪いことをやったときに、それをいかに止めるかという
安全ベンがどこにもない。
トップ無謬説。
天皇のすぐ下の東條には誰も逆らえない。
怖いのは、それと「暴力装置(特高)」が結びついたときである。
東条は、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長(特高)であったが、
憲兵隊は軍内部で地位の高いものではないが、
憲兵隊+特高の合体によって、
軍内部の邪魔者を粛清したりすることができることに気づき、
コミンテルンの影響を受けたとして関東軍将校を多数検挙し、
圧力をかけるなど、軍内抗争に長け、全権を握った。
「2・26事件」の際も関東軍内部での混乱を抑え、
皇道派関係者を検挙した。
人を逮捕する特権を持つ者が、
このポストを過激に使えば、
一気に権力を拡大し、とんでもないことになる。
ドイツのゲシュタポのゲーリングや、ソ連のベリア、
イラクのフセインなどが、それである。
(2/3の30分位まで) つづく…