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太田昌国のコラム : 96年目の「虐殺」の記憶

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96年目の「虐殺」の記憶
 関東大震災から96年目を迎えたこの9月の日々に、姜徳相氏の『[新版]関東大震災・虐殺の記憶』(青丘文化社、2003年)を読む。何度目になるだろう。もともとは、1975年に『関東大震災』として刊行されたものだ(中公新書)。それが28年後に新版として刊行されたことには、時期的に重要な意味があった。
2002年9月の日朝首脳会談後の日本社会の状況を見て、姜徳相氏はいう――初版を刊行した1975年には「日本社会が過去と向き合い、未来を紡ごうとするうごきのなかにあった」が、バブル崩壊後には「一転、先祖帰りをはじめ」た。
そして、朝鮮民主主義人民共和国が日本人拉致の責任を認めた日朝会談後は、「北が非難されることがいやだからではない」が、「声高の非難を聞いていると、この百年の間に日本が朝鮮半島とどうむきあってきたのか問わざるをえなくなる……。いま南と仲良くみえるのは北の問題をかかえたねじれ現象であって、北の問題が解決したら次に南たたきがはじまる予感がしてならない今日この頃である。」(2003年8月15日の日付をもつ[新版]序文)。この危機感ゆえの新版の刊行である。

 事実は、「北の問題が解決もしていない」2019年9月の今日、すでにして「南たたき」が始まっている。しかも、官民・メディアが一体となり、いわば社会を挙げての様相を呈している。この重大な問題については、今後も繰り返し多面的に触れることになるだろうが、ここでは、姜徳相氏の書物に戻りたい。以前にも別な文章で触れたことがあるが、全編にわたって重要な本書の記述の中で、私がもっとも重要だと思うのは「第10章 社会主義者の問題」である。姜氏以外の人による著書も参照しながら時間軸に沿って簡潔に記述するなら、事態は以下のように展開する。

 9月1日正午―――――――震災発生。
 同日夜半から4日頃まで――朝鮮人虐殺。犠牲者は総計約6000人と推定。
 9月3日―――――――――江東区大島で中国人虐殺。犠牲者は約300人と推定。
 9月4日夜~5日―――――亀戸で、南葛労働会に属する河合義虎、平沢計七ら10人の社会主義者と労働組合活動家が官憲に検挙され、その後虐殺される。
 9月16日――――――――大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の3人虐殺。


*慰霊碑(9/7撮影 ムキンポさん)

 姜氏によれば、朝鮮人虐殺事件、亀戸事件、大杉事件は、多くの人びとによって「3大テロ事件」として論じられる。並列化して問題にすることが多い。だが、それでよいだろうか。
震災後幾日を経て事件が起こっているか/虐殺の実態はいかなるものであったか/手を下した者は誰だったか/幾人の人びとが犠牲になったか/事態はいつ「発覚」したか/報道は、どの時点で、いかになされたか/民衆の反応はどうであったか/犯人は裁判にかけられ、処罰されたか――などの観点から事態を検証すると、「日本の官民が一体をなした民族的犯罪である朝鮮人虐殺」と、「自民族内部における権力犯罪」である亀戸・大杉両事件の間に横たわる違いが露わになる。
それらを明らかにすることによって、日本社会が何と向き合うことがなかったがゆえに、2019年現在の社会・政治・思想状況がもたらされているのかを、私たちは遅きに失しているとはいえ、理解することになるだろう。

 きのう(9月9日)江東区の寺で開かれた「亀戸事件96年追悼会」の模様を報告する「しんぶん赤旗」の記事(9月10日付)は、河合義虎らの犠牲に触れた後で「また軍隊や警察、デマに惑わされた自警団によって数千人を超える朝鮮人や中国人が虐殺されました」と記している。日本社会で行なわれている歴史解釈の主流の方法に対して姜氏らが持つ疑問と批判はまだ有効だ、と私たちは自らの問題として自覚しなければならないようだ。

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