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Channel: 詩人PIKKIのひとこと日記&詩
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女漁り<本澤二郎の「日本の風景」(3223) <中国人観光運転手の見た日本人>

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 昨夜は、実にひょんなことから、北京で観光会社の運転手として、長く勤務してきたという人物が語ってくれた、本当の日本人男の評判を聞いてしまった。「日本の男たちは、夜遊びが大好きで、そのため、なかなか仕事が終わらない。夜が遅くて泣かされた」というのだ。台湾や韓国への日本人観光の多くの目的が、女漁りとは聞いていたが、北京でもという話は、これはニュースであろう。

<北京の公安に見つかった政治家>
 深夜、中国人女性と戯れていた大物政治家のことは、何度か聞いたことがある。そこへと通報を受けた公安(警察)が踏み込んできた。
 以前は、ソウルや台北で、その筋の機関から女性の接待を受けていたようだ。直接、政治家本人から聞いていたが、北京では女性接待を禁じていたものだから、北京での日本人観光客の女漁りの話には、驚いてしまった。
<ナベツネ名詞をドイツの女性が見せびらかしていた!>
 読売OBの衆院議長の話を思い出した。確かドイツのフランクフルトの売春婦が、かの数百億円の資産を蓄財したとされるナベツネの名詞を持っていた、というすごい話である。
 「そのことだけは言わないでほしい」と拝み倒されたといって大笑いしたものである。ナベツネの恩師で仲人は、平和軍縮派の戦闘的リベラリストの宇都宮徳馬さんである。最近は、この事実さえ知らない記者がいるのに、時代の流れを感じてしまう。

 宇都宮さんは、改憲軍拡派の新聞に転向させたナベツネを、何度も「忘恩の徒である」と吐き捨てたものだ。
<安倍晋三の好きなモスクワ?>
 1月22日の安倍晋三とプーチンの日露首脳会談は、もう25回も続いてきたという。
 これを女漁りの日本人男性に言わせると、心臓はモスクワが大好き、ということになろうか。憶測を交えなくても、確実なことである。
 返還されもしない北方四島を「戻るかもしれない」とのムードを流布することが、心臓の強いところである。主権者を小馬鹿にすることは、心臓にとって屁でもないのだろう。
 「今度ばかりは、心臓も相当疲れているので、夫人も同行させている」と消息通は指摘するのだが。「交渉加速」と「交渉継続」を6年間聞かされてきた日本人も心臓も辛抱強い。
<ロシアの素敵な女性を政治家が打ち明けてくれた!>
 残念ながら、まだロシアの地を踏んだことがない。行ったことがないので、よくモスクワへと足を延ばしていたロシア通の自民党政治家から、話は聞いていた。その機会が、何度もあった。
 アルコールが入ってなくても、自然にモスクワの女性が話題になった。すばらしい、素敵なロシア女のことである。 彼は、東京では見返りに、同じような接待をしたという。

<心臓はポチか猫か>
 国民の多くは、心臓のことを「ワシントンのポチ」と決めつけている。亀井静香さんなどは、そのことで大いに怒っている。
 だが、心臓のプーチンに対する態度は犬というよりも、猫ではないか。最近、そう思うようになった。
 幼いころ、我が家には、いつも猫がいた。冬には猫が布団の中で、暖をとってくれた。猫の特徴は、よくじゃれることである。心臓はプーチンにじゃれている、そんな感じだから、これは外交ではない。
 プーチンの一挙手一投足にじゃれている?間違っているのであろうか。

<同行記者は襟を正せ!>
 心配なことは、同行記者らの素行についてだ。
 心臓とは6年の間に何度も何度も同行する新聞テレビ記者は、様々な経験をするため、それだけで大変な資産である。真実を報道すれば、の話だが、それは出来ない。国民の多くは彼らの「女漁り」を心配している。

 昔の話を披瀝すると、1973年12月のことだった。田中角栄・東南アジア歴訪の時のことである。日本がエコノミックアニマルと言われていたころで、アジア諸国民の日本批判は頂点に達していた。

 角さんは、一番手ごわい娘の真紀子さんを連れて各国を訪問した。彼女の英語力が爆発した瞬間だった。
 初めての首脳外交の同行のため、健康管理に失敗ばかりしていた。つまりは、下痢の日々だった。他方、当時の各国の生活は貧しかった。
 宿泊するホテルの前には、地元の女性が記者の到着を待ち構えていた。それをバンコクで体験した。部屋で下痢対策をしていても、同僚の記者が女性を連れて押しかけてきた。閉口したものである。

 こうした経験は、外交官や商社マンにとって日常茶飯事であろうが、未経験のモノには驚きの連続だった。
 そこで心配なことは、心臓に同行してきた多くの記者団の、夜の大活躍のことである。血税投入の、心臓のモリカケTBS山口強姦魔事件隠しの外遊費用は、諸外国向けのバラマキだけでも50兆円を超えている。
 ジャーナリストの矜持を忘れてはなるまい。ナベツネ化は日本沈没の因であろう。

*原発と水俣病 2008年02月16日
チッソの創業者・野口遵からはじまる人間関係は、広大であった。野口は曽木電気という電力会社を設立したあと、余った電力を利用して日本窒素という肥料会社を設立した。すでにこの出発点から、化学と発電が同じ人間によって経営されていたことになる。そして野口は、日本がアジアを侵略する新興財閥として朝鮮半島に渡ると、1926年には水力発電をおこなう朝鮮水電を設立後、朝鮮窒素肥料を設立して、両者を合併した東洋一の電力化学コンビナートを建設したのである。

当時、この現場で野口コンツェルンに勤務していた人間の名前として、吉岡喜一、西田栄一、久保田豊、角田吉雄、朝香三郎、宗像英二の6人が記憶されなければならないだろう。
吉岡と西田は、のちにそれぞれ水俣病大量発生時に、水俣工場の排水口から水銀の放流をとめなかった日本窒素の「社長」と「水俣工場長」として、最高裁で有罪が確定した。

 すでに登場したように、久保田豊と角田吉雄は、薬害エイズを放置した83年の厚生大臣・林義郎の身近な一族であり、特に久保田は、戦後も日本のアジア経済侵略の代表者として、アジア各国に膨大な借金をつくらせた人物でもあった。朝香三郎は、これもすでに述べたように、危機管理の第一人者・佐々淳行と、満州事変時に内務大臣として弾圧をおこなった安達謙蔵の身近な一族である。

 1931年に関東軍によって満州事変がひき起こされたあと、野口遵は 中国大陸北部へ進出し、満州の利権にも介入していったが、当時、満州国の商工次官をつとめて水力発電事業の責任者であった岸信介と折衝して、満州~朝鮮の共同水利開発の条約を締結することに成功した。このころ、満州の産業を支配していたのは、満州重工業の初代総裁となった鮎川義介であり、彼ら三人はライバルというより、互いに利権をあいだに置いて、協力的な関係にあった。
 
しかも鮎川義介のごく近い一族が、のちに総理大臣となった岸信介当人である。しかし、さらに近い一族が東急電鉄の五島昇であり、この五島昇の親友が、はかならぬ「エイズ研究班班長」の安部英であった。あらゆることが、戦時中に仲間となった人間関係から生まれてきた。- - - 内務省特高警察を指揮していた正力松太郎と、東急電鉄創業者の五島慶太は、東京帝国大学法学部で同期であった。この五島慶太の息子が、五島昇である。

この鮎川義介の義兄弟として、やはり満州・朝鮮の大きな利権を握っていた久原房之介が、日立製作所の創業者であった。三菱重工、東芝と並ぶ、今日の原子炉メーカー "御三家"のひとつである。鮎川義介、岸信介、久原房之介、正力松太郎たちが、いずれも戦後に戦犯として巣鴨刑務所に入獄した仲間であるのは、このような親しい関係では当然であった。また、彼らに比べて一世代あとのもうひとりの人物、中曽根康弘の場合は、鹿島建設会長・渥美健夫と子供同士が結婚しているが、渥美健夫の弟・渥美昭夫の義父・篠原三千郎が、東急電鉄社長として、五島慶太の大番頭であった。

朝鮮現地で野口コンツェルンの中に頭角を現わしたのが、チッソ社長の吉岡喜一らと共に働いていた前述の宗像英二であった。
 宗像は、戦後、財閥解体と共に日本窒素から分離した旭化成の重役に一度転じたあと、チッソの野口研究所で理事長として君臨したが、この時こそまさに、チッソの排水口から水銀が放流され続け、水俣病がすさまじい勢いで被害者を発生した時代にあった。その宗像が、やがて、68年には、別の世界でトップの座についた。日本原子力研究所(原研)の理事長となって、原子力時代を動かしはじめたのである。
水俣病と大気汚染公害など、あらゆる影を背負って、その内部から原子力発電所が誕生してきた。また、その影を背負って、薬害エイズが誕生してきた。それが、岸信介、鮎川義介、久原房之介、武田長兵衛、宗像英二、五島昇、中曽根康弘へとつながる一族を中心として生み出されたものであったことが、系図から見事に浮かびあがってくる。

梅澤邦臣が科学技術庁の原子力局長だった71年、中部電力最初の浜岡原発1号炉の建設がスタートし、彼は事務次官に昇格した。メーカーの東芝では、その一族として重要な役割を果たした玉置敬三が翌72年に社長に昇格、同じ一族に、初代の原子力委員会委員長・正力松太郎と原子力委員会の委員長代理・井上五郎があった。

井上は中部電力の社長から、日本原子力産業会議理事、さらに動燃理事長という履歴を飾ったのである。その一族に、浜岡建設業者の鹿島建設・鹿島守之介の姿があった。
梅澤邦臣が科学技術庁の原子力局長だった71年、中部電力最初の浜岡原発1号炉の建設がスタートし、彼は事務次官に昇格した。メーカーの東芝では、その一族として重要な役割を果たした玉置敬三が翌72年に社長に昇格、同じ一族に、初代の原子力委員会委員長・正力松太郎と原子力委員会の委員長代理・井上五郎があった。

井上は中部電力の社長から、日本原子力産業会議理事、さらに動燃理事長という履歴を飾ったのである。その一族に、浜岡建設業者の鹿島建設・鹿島守之介の姿があった。

日本では、官僚から天下りして企業の経営者となり、巨大な利益を懐に入れる者が、夥しい数をかぞえる。官僚から政界に転じ、国会を覇府として、さらに大きな利権を手にする慣習がある。

大地震があれば、プールはコンクリート製であり、そこにばりばりと亀裂が入れば、水が抜けてゆく。また原子炉には制御棒があるが、使用ずみ燃料プールには制御棒がないので、万一の臨界反応(核分裂反応)の暴走という危険性が潜在している。いずれの場合にも、使用ずみ燃料が出す巨大な熱によって、燃料が灼熱状態になり、メルトダウンを起こしはじめる。原発を何十基もまとめた事故であるから、チェルノブイリ原発事故とは比較にならないほど大きな地球規模のカタストロフィーになる。

原発で事故が発生した場合、一般の被害者が原子力事業者(電力会社)の過失を立証することは不可能に近いので、「無過失責任」が採用されている。破局的な事故が発生しても、原子力事業者と保険会社を保護するためにつくられたのが、1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」であった。しかも、実際の原子力損害における責任限度額は、賠償金が原発1基あたり最大300億円、最小10億円という驚くべき小額である。これ以上の損害賠償は国家が肩代りすることになっているが、国家による賠償は、義務づけられていない。一方、原子力事業者の財産保険は、1000億円を超えている。
広瀬 隆 著「腐蝕の連鎖」薬害と原発にひそむ人脈より抜粋

この他、サリドマイドや薬害エイズにスモン病とこの国の公害とか薬害と呼ばれる事象に厚労省と製薬会社に連なる人脈と官僚や御用学者に政治家とこの国の腐敗の一大モニュメントが六ヶ所村の再処理施設なのだと思う。
薬害エイズの人脈が731部隊の人脈まで遡れ原発推進の人脈と重なるとは?などとこの本を昔に読んだ時に思った。

広瀬隆の調査能力には恐れ入った。
大多数の国民が原発など望まずクリーンエネルギーを望むのに何でこの国は?なんて素朴な疑問からこの本に行き着いた。
御用学者が原発は安全です大嘘をつき続けた結果この国は破局寸前まで来ている。
関東大震災が起きた時どうなるのか?
おそらく何が起きても誰も責任など取らずというこの国の不可思議な機能不全の歴史の正体は政官財による閨閥の生き残りでしか機能していないというこの国のお粗末な現実から来る。
だから機能不全に写るだけで・・・・・・
それで滅んだとしても人間の愚かさに変わりなく、電力会社の腐った人脈によってこの国が滅ぶ可能性は非常に高いかと思う。
で、こういう奴等が愛国心だの共謀罪だのと謳うのだから笑っちゃうのであります。
国を滅ぼしている奴等が国を動かし放射能を垂れ流す、その人脈に水銀を垂れ流し水俣病を起こした人脈があり閨閥を作り上げる。
ということであります。

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