福島第1原発事故から7年、今福島で何が起きているかの報道が急速になくなっている。報道がなくなっただけではない。毎週金曜日、国会前の反原発集会に参加・取材している木下昌明さんは参加者が減っていると教えてくれた。「忘れさせる」のは支配者の常套手段だ。被災者は分断され、末は棄民だ。そんなことがまたくりかえされていいのか。
5月12日(土)新宿で行われた「脱被ばく実現ネット」主催の集会とデモの記事(堀切さとみ)を読んだ(レイバーネットHP)。福島市から駆けつけた今野寿未雄さん(20年以上原発で働いていた)はこう訴える。いま「廃炉作業で終わったのは四号機の燃料プールの燃料を移動しただけ」なのに、〈もう七年〉という雰囲気になっている。が、そうではない。「〈まだ七年〉なのだ」と。
その今野さんが本書の「エピローグ」に現れる。著者は朝日新聞記者(写真右)。昨年11月今野さんは故郷の浪江町を訪れた。避難指示が解除され出入りが自由になって、解体業者が家屋の取り壊しを急いでいる。環境省への解体の申請期限は2018年3月30日になっているからだ。だが今野さんは自宅を解体するかどうか、迷っている。妻には「税金がかかるようになるから壊したら」と言われている。地震で飛び出した「台所の引き出し」も、居間の床の「プラレールやおもちゃ」も震災当時のままだ。かれの住んでいた住宅街の一角に帰ってきた人は一人もいない。
これは実際なのだ。「7年間、福島第一原子力発電事故を追い続け」た著者は、避難者たちは始め「憐れみ」に、次に偏見と差別に、そして今は「無関心」にさらされているという。その無関心のもとで避難者はもちろん、帰還した人も元の場所に住み続けている人たちも苦しい生活を強いられている。避難者の子供がどのようにいじめられるか(第5章「『原発いじめ』の真相」)。自主避難者への住宅提供は2017年3月末で打ち切られた。別居状態で避難を選んだ母子の心身はさらに蝕まれてしまう(第6章「捨てられた避難者たち」)。そうした一人ひとりが見えるように描かれる。「無関心」でいいはずはないという著者の声が聞こえてくる。足で書く記事は、記者の本領だろうが、それが随所に生きる。行政内部に問題点を自覚し取材に応えてくれる人がいた。環境省・福島環境再生事務所・契約課課長補佐の宮島幸司さん。かれには現場を直視し変えたいという姿勢があった。取材の基本に徹することによってかれのような人との出会いが可能になったのだろう。宮島さんは、しかし著者が記事を書きますと告げた直後の正月、富士山で遭難死してしまう。
核による抑止力=核武装のために原発再稼働は必要で、それは国策と言い放つ「原子力村」の元幹部の話を読み「やはり」と思う。解体すると損失のみになるという目先だけでの再稼働ではない(第3章「帰還政策は国防のため」)。
国家権力は不都合な事実を常に「なかったことにする」。それを許した報道機関の敗北・無力を著者は「猛省する」と書いている。他人事ではない。まだ7年、これからだ。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。