第50回 2018年4月1日
「アベどん、もうここらでよかろうかい」
アベどん、いったい今のおぬしのざまは何じゃ。
みんな他人のせいにして。ほんのこて見苦しいかぎりじゃぞ。
今までさんざん旭日を、哀れじゃとか、惨めじゃとかこけにしとったが、みんな自分にはねかえってきたとじゃなかか。「江戸の仇を長崎で」とはこんことじゃ。
こんどの騒ぎは、明治14年に「官有物払い下げ事件」ちうのがあったが、あれとそっくりじゃ。これは薩摩の恥じゃが、北海道の官有地を当時の長官黒田清隆が同じ薩摩の政商五代友厚に二束三文で売り渡そうとしたんじゃ。この仲間うちの悪だくみが世間にばれて大騒ぎになった。
近ごろ「明治150年」なんちうてたいそうに宣伝しとるが、裏では身内でこげなウソとごまかしばっかりやってきたんじゃ。そう、今とおんなじことよ。
それにしても、左川とかいう元役人。公文書(くもんじょ)の改竄ちう、前代未聞の万死に価することをやりながら、お白洲では目ん玉ぐりぐりまわして知らぬ存ぜぬの一点張り。
お家大事の忠義・忠臣ぶりの茶番を見て、こん国はあの御維新からほんまに150年たったのかと思うたぞ。ほんのこつ、こやつもなかなかふとか奴じゃのう。何のために最高府の赤門ば4年もくぐったか。これから獄門に入るためか。
(おい、山田どん、座布団一枚くれやんせ。)
いさぎよう非を認めればええもんを往生際の悪い。そうじゃけん、今度はアキエさーの責任じゃ、アキエさーを出せ、と世間は言い始めちょる。
何を馬鹿んこつを。あん嫁ほど天真爛漫なおなごは見たことなか。あんひとはほんまに心のうつくしかエエひとじゃ、善意のかたまりじゃ。ただちーと考えが足りんだけじゃ。ちうより何んも考えとらん。おまけに尻も軽い。まあ、それもおなごの愛嬌じゃ。
アキエさーは夫のため、夫に喜んでもらおと思うて、おまんを応援する寺子屋建立ために籠の池に百両寄進したんじゃ。あげなおごじょは薩摩にもおらんど。あれはまっこと貞女の鑑じゃ。日本一の名誉校長じゃ。
あの籠の池の女房もそうじゃろ。亭主のために尽くしたあげくが、大阪小伝馬の牢いりじゃ。自死したあの気の毒な役人の妻を思うてみい。左川の妻子はどうじゃ。悪いのはいつも男じゃ、夫じゃ。おなごはみな陰で泣いちょるぞ。
それもこれもみんな、おぬしが悪いんじゃ。先代への負い目から、「大日の本」を取り戻すちゅうて大風呂敷を広げ、わしでもびっくりするような王政復古を唱えたからじゃ。
それに取り入ろうちゅうのが、ウヨウヨ集まってきた。このウヨウヨんなかには、番犬・忠犬、提灯持ちやら幇間・ごますり、ソンタクやらセンタクやら(うん、ちょっとちごうたか)、ろくでもない奴ばっかしじゃ。あたりまえじゃろ。目先の欲得だけで、糞にたかる蝿みたいな連中じゃ。
それにしても、おまんのまわりにおる家臣や家来ども、どげんもこげんもないほど腹黒か奴が多いのはなしてじゃ。なかには娘を手込めにしたとかいう不埒な者までおるそうじゃなかか。どいつもこいつも、口先では愛国じゃ、憂国じゃ言いながら、その裏ではカネやら利権やら出世やらをめぐっての悪算段。「男どもの悪だくみ」ちうて、アキエーさに写真まで撮られとる始末で、おはんらの野望を砕く獅子身中の虫とはこんことじゃ。
たしかにおいどんは憂国の至情で、西南の役を起こしてしもうた。
朝敵となって、城山で自刃したが、その後お許しを得て上野で銅像を建ててくれやんした。あんまり似とらんがな。
それだけじゃなかぞ。おぬしの好きなNHKで毎週にお茶の間に登場しておる。あん林真理子ちゅうのがドラマにしてくれたんじゃ。いささか荒唐無稽ではあるがの。
おぬしもわしみたいに歴史に名を残して、「アベどんー憲法を変えて、いくさのできる国にした男」なんちドラマを期待しとるのかもしれんが、誰が見るんじゃ、そんなもの。
朝廷に弓引いたこのわしが、何かにつけ話題に上るのは、自分で言うのもおこがましいが、清廉潔白、無私無欲な性情をいささか評価してもろたからじゃと思うちょる。
それもこれも、「敬天愛人」つまり、天を畏れ敬い、人を愛すことを唱え、実践してきたからじゃ。じゃどん、いま、おぬしのやっちょることは何じゃ。「背天欺人」(はいてんぎじん)すなわち、天に背いて、人を欺くことばっかりじゃなかか。
おぬしはあの寺子屋の土地をめぐって、もし関わりがあったら、首相も議員も辞めると言うたが、こんままでは人間ば辞めにゃならんぞ。それこそ、「首相辞めますか、人間辞めますか」ちゅうとこまできちょるぞ。
悪いことは言わん。もういい加減にしやんせ。
アベどん、そろそろここらでよかろうかい。
何っ、まだ辞めんと。このたわけ。おまんはそれでも長州人か。情けなかー。
聞いたか、皆の衆。そんなら、むしろ旗ならぬプラカードを掲げて、国会へ押し出すまでじゃ。行くぞ、チェスト!
「アベどん、もうここらでよかろうかい」
アベどん、いったい今のおぬしのざまは何じゃ。
みんな他人のせいにして。ほんのこて見苦しいかぎりじゃぞ。
今までさんざん旭日を、哀れじゃとか、惨めじゃとかこけにしとったが、みんな自分にはねかえってきたとじゃなかか。「江戸の仇を長崎で」とはこんことじゃ。
こんどの騒ぎは、明治14年に「官有物払い下げ事件」ちうのがあったが、あれとそっくりじゃ。これは薩摩の恥じゃが、北海道の官有地を当時の長官黒田清隆が同じ薩摩の政商五代友厚に二束三文で売り渡そうとしたんじゃ。この仲間うちの悪だくみが世間にばれて大騒ぎになった。
近ごろ「明治150年」なんちうてたいそうに宣伝しとるが、裏では身内でこげなウソとごまかしばっかりやってきたんじゃ。そう、今とおんなじことよ。
それにしても、左川とかいう元役人。公文書(くもんじょ)の改竄ちう、前代未聞の万死に価することをやりながら、お白洲では目ん玉ぐりぐりまわして知らぬ存ぜぬの一点張り。
お家大事の忠義・忠臣ぶりの茶番を見て、こん国はあの御維新からほんまに150年たったのかと思うたぞ。ほんのこつ、こやつもなかなかふとか奴じゃのう。何のために最高府の赤門ば4年もくぐったか。これから獄門に入るためか。
(おい、山田どん、座布団一枚くれやんせ。)
いさぎよう非を認めればええもんを往生際の悪い。そうじゃけん、今度はアキエさーの責任じゃ、アキエさーを出せ、と世間は言い始めちょる。
何を馬鹿んこつを。あん嫁ほど天真爛漫なおなごは見たことなか。あんひとはほんまに心のうつくしかエエひとじゃ、善意のかたまりじゃ。ただちーと考えが足りんだけじゃ。ちうより何んも考えとらん。おまけに尻も軽い。まあ、それもおなごの愛嬌じゃ。
アキエさーは夫のため、夫に喜んでもらおと思うて、おまんを応援する寺子屋建立ために籠の池に百両寄進したんじゃ。あげなおごじょは薩摩にもおらんど。あれはまっこと貞女の鑑じゃ。日本一の名誉校長じゃ。
あの籠の池の女房もそうじゃろ。亭主のために尽くしたあげくが、大阪小伝馬の牢いりじゃ。自死したあの気の毒な役人の妻を思うてみい。左川の妻子はどうじゃ。悪いのはいつも男じゃ、夫じゃ。おなごはみな陰で泣いちょるぞ。
それもこれもみんな、おぬしが悪いんじゃ。先代への負い目から、「大日の本」を取り戻すちゅうて大風呂敷を広げ、わしでもびっくりするような王政復古を唱えたからじゃ。
それに取り入ろうちゅうのが、ウヨウヨ集まってきた。このウヨウヨんなかには、番犬・忠犬、提灯持ちやら幇間・ごますり、ソンタクやらセンタクやら(うん、ちょっとちごうたか)、ろくでもない奴ばっかしじゃ。あたりまえじゃろ。目先の欲得だけで、糞にたかる蝿みたいな連中じゃ。
それにしても、おまんのまわりにおる家臣や家来ども、どげんもこげんもないほど腹黒か奴が多いのはなしてじゃ。なかには娘を手込めにしたとかいう不埒な者までおるそうじゃなかか。どいつもこいつも、口先では愛国じゃ、憂国じゃ言いながら、その裏ではカネやら利権やら出世やらをめぐっての悪算段。「男どもの悪だくみ」ちうて、アキエーさに写真まで撮られとる始末で、おはんらの野望を砕く獅子身中の虫とはこんことじゃ。
たしかにおいどんは憂国の至情で、西南の役を起こしてしもうた。
朝敵となって、城山で自刃したが、その後お許しを得て上野で銅像を建ててくれやんした。あんまり似とらんがな。
それだけじゃなかぞ。おぬしの好きなNHKで毎週にお茶の間に登場しておる。あん林真理子ちゅうのがドラマにしてくれたんじゃ。いささか荒唐無稽ではあるがの。
おぬしもわしみたいに歴史に名を残して、「アベどんー憲法を変えて、いくさのできる国にした男」なんちドラマを期待しとるのかもしれんが、誰が見るんじゃ、そんなもの。
朝廷に弓引いたこのわしが、何かにつけ話題に上るのは、自分で言うのもおこがましいが、清廉潔白、無私無欲な性情をいささか評価してもろたからじゃと思うちょる。
それもこれも、「敬天愛人」つまり、天を畏れ敬い、人を愛すことを唱え、実践してきたからじゃ。じゃどん、いま、おぬしのやっちょることは何じゃ。「背天欺人」(はいてんぎじん)すなわち、天に背いて、人を欺くことばっかりじゃなかか。
おぬしはあの寺子屋の土地をめぐって、もし関わりがあったら、首相も議員も辞めると言うたが、こんままでは人間ば辞めにゃならんぞ。それこそ、「首相辞めますか、人間辞めますか」ちゅうとこまできちょるぞ。
悪いことは言わん。もういい加減にしやんせ。
アベどん、そろそろここらでよかろうかい。
何っ、まだ辞めんと。このたわけ。おまんはそれでも長州人か。情けなかー。
聞いたか、皆の衆。そんなら、むしろ旗ならぬプラカードを掲げて、国会へ押し出すまでじゃ。行くぞ、チェスト!