テレビが生活保護費削減の問題を報道しない - 有識者が声を上げない生活保護費削減の件、厚労省が12月8日に発表(リーク)して10日以上経つのに、テレビ報道が一向にこの問題に焦点を当てない。17日放送のサンデーモーニングでも寸毫も触れられなかった。他の番組は無視しても、この番組だけは取り上げるだろうと期待していたので、裏切られた気分で暗鬱にさせられる。先々週から先週にかけて、テレビが毎日騒いでいたのは、年収850万円以上の会社員が増税になるという税制の問題だった。毎日毎日、同じ話題を同じパネルで長々と説明し、後藤謙次が、昔は自民党の税調が強かったが今は官邸が税制を仕切っているなどと、どうでもいいくだらない政界漫談を垂れて「解説」に代えていた。平日夜に生活保護の問題を取り上げるなら、報ステしかないだろうと思い、テレビの前で待っている。が、いつまで経っても放送されない。パンダの話と貴乃花の話で埋め、自民党の憲法改正案に少し触れて、残りは北朝鮮の話で流し、今年は納めにするのだろうか。生活保護費の問題は、憲法25条に関わる問題だ。国が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が切り下げられようとしている。国民生活にとってきわめて重要な問題なのに、テレビ報道の関係者が故意に目を背けている。異常な風景と言うしかない。
朝日は、16日に「生活保護費引き下げ方針、再考を」という社説を上げ、今回の措置に軽く苦言を呈しているが、本格的な批判ではなく、憲法25条に触れる問題だという指摘がない。心底からの真剣な熱意が感じられず、本気で政府に撤回を求めた主張には見えない。この措置によって困窮を強いられる世帯への意識がない。他人事のようであり、制度論について機械的に論評しているような論旨で止まっている。高給取りの朝日新聞の社員にとっては、月18万円の支給が2万円減らされて月16万円になるという、減額の痛みは分からず、実感がわかず、その家族の生活に想像を及ばせることができないのだろう。悲しく絶望的な日本社会になってしまった。野党第一党の立憲民主党からも声が聞こえて来ない。これも不思議な光景だ。この厚労省の措置に賛同しているのだろうか。そういえば、前回、13年度から16年度にかけて6.5%減額したときも、民主党から激しい反発が起きて政府を糾弾したという記憶がない。菅政権で進めた「税と社会保障の一体改革」の中に、生活保護の見直しがあり、現在のような引き下げの方向性が入っていたため、政策上の整合性をとるため沈黙を続けているのだろうか。
今回、厚労省は8日の審議会で「1割削減」を打ち出し、マスコミに書かせ、一週間後の14日の審議会でそれを「5%削減」に修正し、世間の反発に配慮したような格好を演出した。無論、これは予め企んでいたシナリオであり、来年度予算案の編成日程に合わせた策謀で、5%削減が厚労官僚が狙っていた線に他ならない。審議会というのは、厚労省の生活保護基準部会である。私が不思議なのは、この審議会のメンバーに阿部彩と岩田正美の二人が入っているのに、なぜ呆気なく「5%削減」が通過してしまったかということだ。審議会のメンバーは8人いて、岩田正美は部会長代理の要職にある。部会長は駒村康平で、この男は厚労官僚の提灯持ちだろう。部会長代理ながら、岩田正美は駒村康平よりもはるかに年長で、部会全体の中で発言力と影響力を持っていると思われる。どうして強行に反対しなかったのだろう。あっさり押し切られた結果になったのだろう。阿部彩と岩田正美の普段の発言を聞き知っているわれわれには、この経緯と進行はきわめて奇妙に感じられる。厚労省のサイトに上がっている情報を見ると、8日午後に会議があり、続いて12日午後、最後に14日午後に会議が行われて、ここで報告書案が出されている。
厚労省の前では、12日と14日と、部会が開かれる前に関係団体による抗議集会が開かれているが、そこで委員が顔を出して意思表明したという情報はない。普通に考えれば、削減に反対する委員が部会で猛反発し、厚労官僚が提出した報告書案を承認しないと主張して会議が大荒れになり、全会一致ではなく多数決の議決にして反対に挙手するとか、その場で委員を辞任して会議室を退出するとかの幕になっていい。そうでなくとも、8日の「1割削減」の原案方針が出た時点で、即座に記者会見を開き、マスコミを集め、政党や各団体に呼びかけ、反対世論を興す中心になるというのが当然の役割だろう。現在のところ、阿部彩と岩田正美が会見をしたという情報は入ってない。岩田正美は、新聞がこの件を報道した記事の中でコメントしている。が、激しく非難しているという雰囲気ではなく、批判の口調が淡泊で意外に感じられる。そもそも、厚労省が5年に一度の制度改定で生活保護費の削減を狙っていることは、委員たちは全員分かっていたはずだ。生活扶助基準の検証は今年の1月から始まっていて、厚労官僚が着々と資料を出している。資料を出す厚労官僚のバックには片山さつきがいて事前に査閲している。10月の衆院選で自民党が大勝した後、12月の予算編成に向けてどう出てくるか、手の内が読めなかったはずがない。
前回、2013年のときは、政権は保守マスコミを使って、半年前、1年前から延々と生活保護叩きのキャンペーンをやっていた。生活保護費がこれだけ伸びて財政を圧迫しているという統計を出し、削減が必要だとネット記事でまくしたて、生活保護受給者の中でパチンコして遊んでいる不逞の輩がたくさんいるという風説を垂れ流した。国民の大切な税金が無駄に使われると喚き、2chを使って「ナマポ」などという言葉を流行らせた。頃合を見て片山さつきがプライムニュースに登場、弱者いじめの世論を煽る仕上げをした。生活保護の窓口に申請に来た者がアクセサリーを付けているなどと難癖をつけたのは、このときだっただろうか。そう生放送で言う片山さつき自身が、気持ち悪くなる醜い厚化粧顔で、高額ブランドのアクセサリーをじゃらじゃらさせていた。今回は、この件のプロパガンダで黒幕の片山さつきが出て来ない。生活保護バッシングをネオリベ右翼がマスコミでやらない。黙って静かに、厚労官僚の仕切りとリークに任せている。政権とネオリベ右翼側が作戦を変えた。削減を推進する側が作戦を変えたのは分かるが、それに反対する側もきわめて静かで、誰もマスコミの表に出て来ない。5%削減は大きいし、母子加算削減は大きい。普通に考えれば、すぐに阿部彩が報ステに出て来そうなものなのに。
生活保護支給額が切り下げられ、消費税率が2%上がったら、生活保護受給世帯は本当に苛酷な事態に直面するだろう。そうしたことに対する、世間とマスコミの内在とコンパッションが、年を追うほどに薄れているように思う。格差と貧困という言葉は枕詞のように軽く言われていて、そこに社会の不条理に対する憤りがなく、苦しんでいる者たちへの同情の眼差しがなく、許せないとか元に戻そうという義憤がない。10年前のNHKのワーキングプアの頃はそれがあった。憲法25条の価値と意味を人が理解していて、それを大事にしようという意識があった。本来、憲法25条にコミットしていれば、厚労省がやっているような、生活保護支給額と低所得者世帯の生活費を比較して、低い方に合わせるなどという愚劣な政策は採らないはずだ。政策の設計思想そのものが間違っている。国民の健康で文化的な最低限度の生活の水準は、国が総力を挙げて上げていくべきもので、落としてはならないもので、そこにこそ国家の使命と目的がある。国家の存在理由と成否がかかった問題ではないか。格差を是正して貧困をなくすためには、まず生活保護費を上げなくてはならず、連動する福祉諸支出の水準を上げ、そこに関係して決まる最低賃金を上げなくてはならない。当たり前のことだ。当たり前のことにコミットしている学者が少なく、マスコミ人が少ない。
憲法25条の権利が人の心の中で空洞化していて、政府だけでなく、マスコミとアカデミーの中で死文化された状態になっている。