*一読すると・・この詩なんかも、宮沢賢治の詩や童話とは正反対のことを表現していると思えるが、どっちもシャーマンの言葉であり・・シャーマンには鳥のシャーマン(宮沢賢治)もいれば、あくまでも現実に即した蛇のシャーマン(金子光晴)もいれば・・アメリカ先住民に多いヘカテのような両性具備の徹底的な反逆の人生を生きるシャーマン(子供の命名者としての役割)も多い
反対 金子光晴
僕は少年の頃
学校に反対だった。
僕は、いままた
働くことに反対だ。
ぼくは第一、健康とか
正義とかがきらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無精にするものはない
むろん、やまと魂は反対だ
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻を向けてゐる。
なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答えよう。反対しにと。
ぼくは、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、
きもの左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。
僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きていることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。
(金子光晴詩集『赤土の家』1919年発行より)