このような記事をアップは相当な覚悟がいるだろうな・・と思うので、前文アップしたい。人間に必要なのは死ぬ覚悟と思う・・
殆どの人は無名に生きて死んでいくのであって、歴史に名を残すような人はほんの一握りでしかないんだよね。
「手のひらの物語」で書いているのは、そんな無名の人の切り取られた一時の話なんだけど。だから武将も剣豪も立派な業績を誇るような人も出てこない。
犬死せしものって映画もあったけど、穏やかに晩年を過ごして逝く人も、犬死と呼ばれるような無惨な死を迎えても、多くの無名の死の上に、時代はあるんだろう。
「佐藤満夫監督虐殺から30年。「山谷 やられたらやりかえせ」 日時:12月21日(日)夕方6:00~ 場所:山谷労働者福祉会館2F (入場無料)という発信を見て想い出す事があった。
「12月22日、佐藤満夫氏を殺した暴虐の膿は、冬の短い影に身を潜め、一切の纂奪を窺っている」そう。映画監督・佐藤満夫は1984年の12月22日に、ヤクザ金町一家西戸組の組員・筒井栄一によって背後から刺され、山野の路上に斃れた。」
小池文夫氏が「忘れえぬ死者たち」という、とても美しい追悼文でこう書いた。
佐藤が路上で刺されて死んだ事は、映画関係の友人から聞いた。当時は個人的な事情で映画の仕事も辞めて横浜に移り住んでいたんだけど。
たまたま池袋の文芸座近くて、映画学科時代の知人とばったりあって。彼が口を切ったのは佐藤さん殺られちゃったなぁ。って一言だった。
彼は土本さんの所でドキュメンタリーを撮っていたから、とても他人事ではなかったんだと思う。
佐藤は1947年私と同年の生まれで、東大全共闘で、負けた想いのオトシマエをつけるように山谷の労働者を撮ろうとした。そこにはびこるるヤクザの搾取 とその後ろにいる者を描き、釜ヶ崎や全ての負けっぱなしの底辺労働者への応援歌として山谷に止まりこんで撮影をしていた。
警察は包丁をぶら下げて歩いていた犯人を逮捕したものの、たった三日の公判で単独犯と断定。佐藤は冷たいアスファルトに倒れこみながら「追え!」と叫んで息絶えたという。
そして佐藤満夫刺殺後1年。同じ一家のヤクザに新宿路上で射殺された山岡強一。彼は佐藤にバトンを託されたようにこの映画を完成させたのだ。労務者にやまさんと慕われた1940年生まれ。
「品川の運河に浮かんだアイヌ・酒井衛。山谷からアフガニスタンへ飛び、その地で散った写真家・南条直子。山谷最大のドヤ「パレス」の階段下で「野たれ死」んだ梅本巧光。
山谷労働会館が最後の作品となった建築家・宮内康。全世界の被抑圧民衆との地下水脈をさぐり力尽きた池田修。そしていまでもその音色がぼくの頭の中で響い ているサックス奏者・篠田昌已。人生を見事に下放した高木淳。走る靴音とともに姿をあらわし、バイクの音とともに消え去った見津毅。」
小池さんとは知ってる人も違い、当時、世俗の生活で精一杯だった自分も、衝撃を受けたものだった。二年後も山岡の死も、らしい死に方だとは思ったが。
山岡は、この映画の現場に立つ前に船本洲治の遺稿集の編集に携った。船本洲治は1975年に沖縄・カデナ基地前で焼身自殺した寄せ場の闘士であり、その行動と思想は、現在まで寄せ場の運動に大きな影響を残していると云われる無名人。
こういうこと書くから左翼とか云われるんだろうけど、そんなもん思想とかじゃないんだよね。冬の地下足袋に冷える足で足踏みしながら、人集めのトラックを待つ底辺労務者の思いを、身に受け止めて表現しようとした男達が殺されたってことだ。
それは果たして過去の犬死なんだろうか。小池氏の文を読んでいてちょっと泪ぐんでしまった・・それだけだ。
@onoyasumaro NHK報道局さん、小渕優子前経産相の関係先を10月に東京地検特捜部が 捜索した際に、パソコンのハードディスクが既に破壊されていたという重要なニュースを、なぜまったく報道しないのですか?
ー大拡散希望!このような無法な日本低国で、誰彼なしの無差別の殺戮がさらに激烈になったのが現在の日本低国だ・・『殆どの人は無名に生きて死んでいくのであって、歴史に名を残すような人はほんの一握りでしかないんだよね』ーhttp://ameblo.jp/momocat1010/entry-11967233891.htmlー
最新の詩 破壊せよ!
人生も 人間も
考えだすと切りがなくなるので嫌いだ
社会も 社会を支配するお前らについても
こうだったらああだったらときりがない
SFのパラレルワールドやゲームとは違って
起こってしまった事は取り返しがつかない
ぼくらに残されているのはもはや
さらに貧弱にされてゆく明日しかないというのに
明日どうするのかと
覚悟を決めるしかない断崖絶壁で
何をやるべきなのか?
円滑支配のためのシステムがどいつもこいつも
いよいよ強固になって
嘘を撒き散らすこの低国で
嘘ばかりが覆い尽くしてゆく
宗教や教育やマスコミの相互監視システムが
「破壊せよ!」とぼくらに命じ続ける
「お前自信を破壊せよ!」と執拗に・・