(写真は蕎麦畑・・蕎麦も北海道のが一番旨い!)
◆盗人猛々しすぎる!『産経新聞社長と中曽根元首相が慰安所づくり自慢「女の耐久度、どこの女がいい悪い、3千人のための慰安所」 』-Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140909-00038966/・・読売と安倍晋三と検察・外務省と、右翼カルトはCIA直系!
安部晋三に続いて、谷垣氏「誤った新聞報道反省を」だが・・公約破ぶりや情報隠しや税的負担増で国民生活破壊ばかりの自民党政治屋(財閥財界と高給官僚公務員と宗主国米国の言いなり走狗)どもが、何をか言わんやだ!
◆創業者がCIAスパイの読売、祖父がCIAスパイの安倍晋三(父がカルトのセールスマン!)、スパイだらけの右翼カルト同様・・『産経新聞社長と中曽根元首相が慰安所づくり自慢「女の耐久度、どこの女がいい悪い、3千人のための慰安所」』ーhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140909-00038966/
両親もぼくの兄弟もすごぶる社交的だったのだが、大酒を飲んだ時の父とぼくだけはその例外だった。「別荘」に一晩留置や、道端でよく寝ている父をよく起こしに行ったことがある(夏場は凍死しないので放ったからし)。
父に反抗しては、時々物置小屋の天井から吊るされたのを微かに覚えている。その頃のぼくはひどい泣き虫で、泣き出すとシャクリが出てくるまで泣き止めることができなかった。北海道言うところの「ゴンボ堀り」、言うことを聞かない強情者の筆頭だった。
ただ子供の側からは、酒を買いに行かせられたり、給料日となるといつも飲み歩いて帰らない父を迎えに行くのが嫌でたまらなかった。家に来てドンチャン騒ぎの酔っ払いたちも・・
母が働いた給料はすべて祖母の膀胱の薬代になり、父が飼ってした山羊は(動物の世話はぼくの仕事に)、母乳が出ない生まれたばかりの双子の乳代わりになった。
父の酒代や祖母の薬代のために、何処へ引っ越してもぼくの家がそこで一番貧しい家に思えた。なにしろ現金貯金も一円も無い上に、父などは子供が貯めていたお年玉を借りて返す気がまるでなかった。
ただ子供頃の写真を見ると丸々と太っているのは、魚介類は自給自足で、日曜日には畑仕事に借り出され、毎日は鶏や山羊や兎の世話でてんてこ舞いだった。
好きな物を何も買えないし食べられないけれども、好き嫌いを言わなければ食べ物は十分だった。戦後の北海道は日本一食料が豊富だった。ただ生野菜は冬場には高くて品薄になるので、ぼくの家のように畑で作った野菜を、畑に掘った穴のムシロに貯蔵して置くのじゃないとエンゲル係数が相当高くなったのかもしれない。
そんな訳だったが、一年に一度か二度かは、祖母の家か、母方の伯母や叔母の家に遊びに行くのが子供時代で最高の楽しさだった。